私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(148)—バルテマイの癒し—
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盲人の癒しを通して、弟子道について学ぶ。
「バルテマイの癒し」
マコ10:46~52
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、エルサレムへの途上で、さまざまなテーマについて教えた。
②前回は、イエスによる受難と復活の予告であった。
③弟子たちは、その意味が理解できなかった。
④弟子たちが乗っている文脈と、イエスが語っている文脈とが異なる。
*イエスは十字架に向かって進んでいる。
*弟子たちの認識では、戴冠式に向かう王の行列に参加している。
⑤このことを前提に、きょうの箇所を読む必要がある。
⑥単純で、麗しい物語である。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§126 盲人のバルテマイとその仲間の癒し
マコ10:46~52、マタ20:29~34、ルカ18:35~43
2.アウトライン
(1)状況説明(46節)
(2)バルテマイの願い(47~48節)
(3)イエスの答え(49~52節)
3.結論
(1)逆転の法則
(2)機会の法則
(3)弟子の法則
盲人の癒しを通して、弟子道について学ぶ。
Ⅰ.状況説明(46節)
1.46節
Mar 10:46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。
(1)イエスの一行は、ペレアを去ってヨルダン川を渡り、エリコまで来た。
①エリコはユダヤの一部である。
②エリコからエルサレムまでは、徒歩で1日の道のりである。
③多くの群巡礼者が、エルサレムに向かっていた。
(例話)今年のペサハは、4月3日(金)の日没から始まった。
(2)盲人は、何人いたのか。
①マタ20:30では、「ふたりの盲人」となっている。
②マルコの福音書では、ひとりである。
③これは、矛盾ではない。
*盲人はふたりいた。
*マルコは、より目立つ人物に焦点を合わせている。
(3)この出来事が起こった場所は、どこか。
①ルカ18:35
「イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをし
ていた」
②マコ10:46
「彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを
出られると、テマイの子のバルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわって
いた」
③これは、矛盾ではない。
*旧約のエリコ
*新約のエリコ(ヘロデが冬の王宮のために建設。南に約2キロの場所)
*イエスは、旧約のエリコを出て、新約のエリコに向かっておられた。
(例話)不信仰な質問をする学者 「第3の盲人」
(4)当時の盲人の社会的地位は、どのようなものであったか。
①盲人や身体にハンディのある者は、一般職に就くことができなかった。
②生き延びる唯一の方法は、物ごいをすることであった。
*通常は、人通りの多い場所に座った。
③彼らは、社会的弱者であったが、モーセの律法によって守られていた。
④宗教的には、見下されていた。
⑤子どもたちが見下されていたのと、同じである。
Ⅱ.バルテマイの願い(47~48節)
1.47節
Mar 10:47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。
(1)彼は、イエスに関する知識を持っていた。
①ナザレのイエスは、盲人の目を開いた方である。
②そこで彼は、叫び始めた。
(2)「ダビデの子イエスさま」
①彼は、イエスがイスラエルのメシアであることを信じた。
②不信仰な指導者たちとは、対照的である。
(3)イエスは、彼を黙らせなかった。
①イエスは、「人の子」という称号を用いられた。
②ここでは、「ダビデの子」と呼ばれることを受け入れている。
2.48節
Mar 10:48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。
(1)人々は、彼を黙らせようとした。
①大ぜいでたしなめた。弟子たちも入っていたであろう。
②盲人は、王の行列を妨害している。
③弟子たちが、イエスに近づく子どもたちを叱ったのと同じ構図である。
④しかし盲人は、ますます激しく叫び立てた。
Ⅲ.イエスの答え(49~52節)
1.49~50節
Mar 10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。
Mar 10:50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。
(1)イエスは立ち止まられた。
①エルサレムに向かう決意を固めている時でも、弱者への奉仕を忘れない。
(例話)タイムマネッジメントと予定変更
②「あの人を呼んで来なさい」とは、たしなめている人たちへの叱責である。
(2)人々は、盲人に励ましの言葉をかけた。
「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」(新改訳)
「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」(新共同訳)
「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」(口語訳)
「心安かれ、起て、なんぢを呼びたまふ」(文語訳)
「運のいいやつだ。 おい、イエス様がお呼びだぞ」(リビングバイブル)
(4)盲人は、すぐにイエスのところに来た。
①劇的な描写である。
②目撃者情報である。ペテロがマルコに伝えたと思われる。
2.51~52節
Mar 10:51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
Mar 10:52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
(1)「わたしに何をしてほしいのか」
①盲人の信仰を確認し、それを引き出すための質問である。
(2)「先生」
①「ラボニ」とは、「我が主」という意味である。
②ヨハ20:16で、マグダラのマリアが復活のイエスにそう呼びかけている。
(3)「あなたの信仰があなたを救ったのです」
①信仰が彼を癒したのではない。
②信仰は、癒しを受け取る方法である。
③さらに、肉体的癒しは、彼が霊的に救われたことを示している。
(4)この盲人は、イエスの後に従った。
結論
1.逆転の法則
(1)先の者が後になり、後の者が先になる。
(2)「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う
者はそれを救うのです」(マコ8:35)
(3)イスラエルは霊的盲目状態にあったが、この盲人は、霊的には見えていた。
「そこで、イエスは言われた。『わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、
目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためで』」(ヨハ9:39)
2.機会の法則
(1)イエスがエリコを通るのは、これが最後である。
(2)盲人は、最初で最後の機会を有効に捉えた。
①盲人は、一生懸命イエスに叫び続けた。
「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助け
た。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(2コリ6:2)
(例話)テレビ伝道 「今が時です」
3.弟子の法則
(1)弟子化のプロセス
①先ず、自らの無力を認識した。
*盲人であるので、一般人よりもその認識がある。
*上着を脱ぎ捨てた。象徴的行為である。
*上着は、防寒用であり、寝具であり、施しを受けるための道具である。
②次に、イエスをメシアと認識した。
*神の恵みを与えてくれるのは、イエスだけである。
③その結果、信仰による救いを体験した。
*肉体の癒しは、霊的に救われていることの証明である。
④そして、イエスに従った。
*数日後に、彼はイエスの十字架の死を目撃することになる。
(2)盲人の視力の回復は、弟子たちの霊的目が開かれることの例示である。
①弟子たちの目は、イエスの復活と聖霊降臨によって開かれる。
②盲人のために立ち止まることこそ、神の国の本質に関係したことである。
(3)バルテマイとは、「テマイの息子」という意味である。
①実名が出て来るのは、初代教会で有名な信者になっていたからであろう。
②「いのちの書」と「小羊のいのちの書」
*誕生した人の名は、すべて「いのちの書」に書かれている。
*不信者のままで死ぬと、その名は消される。
*信じた時に、「小羊のいのちの書」に名が記される。
*最終的には、「いのちの書」と「小羊のいのちの書」が同一のものとなる。
(例話)ホテルの予約表に名が記されていないことがあった。
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