私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(138)—弟子の責務—
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クリスチャンの責務について考えてみる。
「弟子の責務」
ルカ17:1~10
1.はじめに
(1)文脈の確認
①前回の箇所でイエスは、パリサイ人たちの誤りを正すために「金持ちとラザロ
の物語」を語った。
②きょうの箇所では、再び弟子たちに向かって語りかけている。
③文脈の中でこの箇所を理解する必要がある。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§117 管理人についての3つのたとえ話(16:1~17:10)
①不正な管理人のたとえ(弟子たちに)
②パリサイ人たちとの対決
③金持ちとラザロの物語(パリサイ人たちに)
④赦しと奉仕に関する教え(弟子たちに)
(3)今回は、④を取り上げる。
2.アウトライン
(1)赦しに関する教え(隣人への責務)(1~4節)
①つまずきを与えるな(1~2節)。
②つまずくな(3~4節)。
(2)奉仕に関する教え(神への責務)(5~10節)
①真の信仰を持つこと(5~6節)。
②神に忠実に仕えること(7~10節)。
3.結論
(1)赦しに関するまとめ
(2)弟子の自己認識
クリスチャンの責務について考えてみる。
Ⅰ.赦しに関する教え(隣人への責務)(1~4節)
1.つまずきを与えるな(1~2節)。
Luk 17:1 イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。
Luk 17:2 この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
(1)罪が支配する世にあっては、つまずきが起こることをなくすのは不可能である。
①「つまずき」は、ギリシア語で「skandalon」である。
②本来の意味は、獲物を捕獲する「罠」に付けられ木片である(餌を付けてある)。
③それが作動すると、「罠」が閉まり、獲物が捕獲される。
④この言葉は、罠にかかった獲物の行動も指す。
⑤ここでは、この言葉が比ゆ的に用いられている。
⑥他の人たちに罪を犯させること。
⑦他の人たちを、イエスから遠ざけること(信仰から遠ざけること)。
(2)しかし、つまずきを起こさせる者は、わざわいである。
①パリサイ人たちは、つまずきを与えていた。
「わざわいだ。律法の専門家たち。おまえたちは知識のかぎを持ち去り、自分も
入らず、入ろうとする人々をも妨げたのです」(ルカ11:52)
*律法主義というつまずきである。
②金持ちもまた、つまずきを与えていた。
*物質主義、拝金主義というつまずくきである。
(3)イエスの弟子たちは、つまずきの原因となってはならない。
①「小さい者たち」とは、第一義的には、霊的幼子たちであろう。
②彼らは、まだ信仰が成長していないので、悪影響を受けやすいのである。
(4)つまずきを与えることは、深刻な罪である。
①処罰も大きい。
②処罰に関して厳しい言葉が使われている。
(例話)カペナウムの遺跡に置かれている石臼
③婦人が手で回すものではなく、ロバに挽かせるような石臼
(例話)ロバート・シュラー博士の質問 「何を一番恐れるか」
④道徳的な罪、聖書の単純な意味を変更するような教え
2.つまずくな(3~4節)。
Luk 17:3 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。
Luk 17:4 かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
(1)イエスの弟子は、自分自身に関しては、つまずいてはならない。
①罪に対しては、赦しをもって対処する。
②2段階の対処法
*罪を犯している人を戒める。
*悔い改めれば、赦す。
③7度の赦しは、完全な赦しを意味する。
Ⅱ.奉仕に関する教え(神への責務)(5~10節)
1.神への第一の責務は、真の信仰を持つことである(5~6節)。
Luk 17:5 使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」
Luk 17:6 しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。
(1)無限に赦すことは、極めて難しいことである。
①それで弟子たちが、「私たちの信仰を増してください」と願ったのである。
(2)イエスは、より大きな信仰ではなく、正しい信仰こそ大切であると教えた。
①それが、からし種ほどの信仰である。
②真の信仰には、桑の木をも動かすほどの力がある。
③桑の木とは、いちじく桑の木である。この木は、地中に根を広げる。
④ここでは、桑の木は私たちの内にあるプライド、自我を象徴している。
⑤赦しの心がないのは、プライドや自我の問題である。
⑥それを抜き取る力は、信仰から来る。
2.神への第2の責務は、神に忠実に仕えることである(7~10節)。
Luk 17:7 ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい』としもべに言うでしょうか。
Luk 17:8 かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。
Luk 17:9 しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。
Luk 17:10 あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」
(1)忠実なしもべのたとえ話
①主人は、野らから帰って来た奴隷(自由意志による奴隷)を食卓に招かない。
*主人が奴隷と食卓に着くことはない。
②むしろ、食事の用意をさせる(少数の奴隷しかいない家)。
③その後で、奴隷は食事をする。
④主人は奴隷に感謝を表さない。
⑤イエスの弟子も、そのような心構えを持つべきである。
⑦「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです」と言う。
⑧訳文の比較
「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです」(新改訳)
「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」
(新共同訳)
「わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」(口語訳)
(2)たとえ話の教訓
①信仰は、奉仕を通して成長する。
(例話)奉仕→信仰が育つ→より大きな奉仕ができる→より信仰が育つ
結論
1.赦しに関するまとめ
(1)他の信者から傷つけられた場合、先ず心の中でその人を赦す。
「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦し
てくださったように、互いに赦し合いなさい」(エペ4:32)
①赦しの心を持つことは、自分の魂を解放する道である。
(2)次に、個人的にその人に悔い改めを迫る。
「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい」
(ルカ17:3)
①マタ18:15
(3)もし悔い改めないなら、ほかに一人か二人を連れていく。
①マタ18:16
(4)それでも効果がないなら、教会にそれを告げる。
①マタ18:17
②以上のことを、愛をもって実行する。目的は、交わりの回復である。
(5)ルカ17:4
「かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度
あなたのところに来るなら、赦してやりなさい」
①「悔い改めます」という言葉が真実かどうかを吟味する必要はない。
②その言葉を信じて、その都度赦す。
③これは、天の父が私たちを扱ってくださる方法である。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を
赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(1ヨハ1:9)
2.弟子の自己認識
(1)エペ2:8~10
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身か
ら出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇る
ことのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・
イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行
いをもあらかじめ備えてくださったのです」
①救いも、行いも、すべて神の恵みによる。
②「取りに足りない僕」という自己認識こそ、信仰を育て、その人を自由にする。
(2)ロイ・ヘッション
*英国人(1908~1992)、「カルバリの道」の著者。
*「しもべの5つの特徴」
①数々の仕事の上にもう一つ仕事を乗せられても、自分に対する配慮がないと思
わないで、それをそのまま受け入れる。
②その際、感謝されることを期待しない。
③その仕事を終えたとき、主人のことを、利己的な人だと責めない。
④「自分は取るに足りないしもべです」と告白しなければならない。
⑤柔和と謙遜への道において、自分はなにひとつ貢献していないと認めなけれ
ばならない。
(3)自己実現を求める道と、カルバリへの道とは大いに異なる。
(4)カルバリの道の先に待っているものはなにか。
「主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待
ち受けている人たちのようでありなさい。帰って来た主人に、目をさましているとこ
ろを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人のほう
が帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます」
(ルカ12:36)
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