メシアの生涯(134)—3つのたとえ話(1)—

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3つのたとえ話の意味について学ぶ。

「3つのたとえ話(1)」

ルカ15:1~10

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①十字架の時が迫っている。

    ②「誰が神の国に入れるのか」というテーマが展開された。

    ③「後の者が先になり、先の者が後になる」という教えがあった。

      *パリサイ人や律法学者よりも、取税人や遊女の方が先になる。

      *ユダヤ人よりも、異邦人の方が先になる。

    ④3つのたとえ話は、恐らく最も有名なたとえ話であろう。

⑤「後の者が先になり、先の者が後になる」というテーマの延長線にある。

⑥今回は、最初の2つのたとえ話を取り上げる。

  (2)A.T.ロバートソンの調和表

    §116 イエスは、3つのたとえ話によってパリサイ人と律法学者に反論する。

  2.アウトライン

    (1)場面設定(1~2節)

    (2)いなくなった羊(3~7節)

    (3)なくした銀貨(8~10節)

    (4)いなくなった息子(11~32節)

    (今回は、最初の2つのたとえ話を取り上げる)

  3.結論:3つのたとえ話と聖書の神

3つのたとえ話の意味について学ぶ。

Ⅰ.場面設定(1~2節)

Luk 15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。

Luk 15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

   1.イエスの態度

(1)取税人、罪人を受け入れた。

  ①罪人とは、遊女のことである。

②取税人も罪人も、イエスに魅かれた。

  2.パリサイ人と律法学者たちは、イエスを非難した。

    (1)もしイエスがメシアであるなら、取税人や遊女とは交際しないはずである。

      ①彼らは、口伝律法に固執していた。

    (2)口伝律法は、取税人や遊女と交際することを禁じた。

      ①パリサイ人たちは、取税人との売買取引を禁じられた。

      ②パリサイ人たちは、取税人の食卓に着くことを禁じられた。

*什一をしていない可能性がある。

      ③パリサイ人たちは、取税人を食卓に招くことを禁じられた。

      ④パリサイ人たちは、罪人の面前で清めの律法について論じることを禁じられた。

        *罪人が清められることを望まなかったからである。

      ⑤パリサイ人たちは、罪人にとって良き手本となることを禁じられた。

        *罪人が悔い改めて救われることがないためである。

      ⑥パリサイ人たちは、神は罪人の死を喜ばれると考えていた。

    (2)イエスは、山上の垂訓で、口伝律法の誤りを正した。

      ①ここでは、3つのたとえ話を用いて、口伝律法の誤りを正す。

      ②イエスは、神が罪人に対してどのような姿勢を取るかを、教えている。

      ③取税人や遊女と、パリサイ人や律法学者の対比が語られる。

Ⅱ.いなくなった羊(3~7節)

Luk 15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

Luk 15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を/野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

Luk 15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

Luk 15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

Luk 15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

   1.たとえ話の意味

    (1)羊飼いは、イエスを指している。

      ①パリサイ人たちは、羊飼いを見下していた。

      ②イエスは、パリサイ人たちが最初から拒否するであろう形でこのたとえ話を語

っている。

    (2)いなくなった1匹は、悔い改めた罪人を指している。

      ①100匹というのは、羊飼いがひとりで導く平均的な数である。

      ②その中の1匹が失われた。

      ③残された99匹は、パリサイ人たちを指している。

        *彼らは、「囲いの中」ではなく、「野原(荒野)」に残された。

        *彼らは、自分たちは悔い改める必要がないと思っている人たちである。

      ④羊飼いは、どこまでも羊を探す。

    (3)羊飼いの肩に担がれる羊は、救われた者の特権を指している。

      ①悔い改めた(イエスを受け入れた)罪人は、イエスと親密な関係に入る。

      ②羊飼いは、友人や隣人を集めてともに喜ぶ。

  2.たとえ話の適用

    (1)神の喜びとは何か。

      ①「天」とは、神のことである。

②ひとりの罪人が救われること。

  *99匹はどうでもよいということではない。

③「悔い改める必要のない99人」とは、パリサイ人たちである。

  *彼らは、自分たちは悔い改める必要がないと思っていた。

④業によって救いを得ようとする人よりも、信仰をもって近づく人を喜ばれる。

    (2)神の友とは誰か。

      ①いなくなった羊の回復を喜ぶ人である。

      ②パリサイ人たちは、神の友とは言えない。

  

Ⅲ.なくした銀貨(8~10節)

Luk 15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

Luk 15:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

Luk 15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

  1.たとえ話の意味

    (1)主人公は、女の人である。

      ①パリサイ人たちは、女性の価値を認めていなかった。

      ②イエスは、パリサイ人たちが最初から拒否するであろう形でこのたとえ話を語

っている。

③彼女は、銀貨10枚を持っている。

  *ドラクマ(ギリシアのコイン)

  *1デナリと同じで、労働者1日分の価値がある。

④これは、恐らく花嫁料(ケトゥバア)であろう。

*結婚に際して、花嫁は花婿、または父親からこれを受け取った。

*当時のパレスチナでは、10枚であった。

*これは、離婚しても彼女が所有権を主張できる金である。

*10枚には、結婚指輪と同様の象徴的価値があった。

*1枚を失くすことには、金額的な損失以上の精神的損失があった。

     (2)なくした銀貨は、悔い改めた罪人を指している。

      ①貧しい家の床には裂け目や凹凸があった。

      ②すぐには見つからない。

        *考古学者は、床から発見されたコインで、その家の年代を推定する。

    (3)彼女は、念入りに捜す。

      ①あかりをつける。

        *手で持つランプである。窓から差す光よりも明るい。

      ②ほうきで掃く。

        *コインがあれば、音がする。

      ③見つけるまで捜す。

    (4)彼女は、友人や近所の女たちを招いてともに喜ぶ。

      ①ユダヤ教の伝承では、天使たちは地上における神の業に関心を抱いている。

      ②天使たちは、罪人の救いを喜ぶ。

  2.たとえ話の適用

    (1)神の喜びとは何か。

      ①ひとりの罪人の救いを喜ばれる。

      ②9枚の銀貨は、パリサイ人たちを指している。

      ③彼らは、自分たちは悔い改める必要のない者であると考えていた。

    (2)神の友とは誰か。

      ①女とともに、銀貨を見つけ出したことを喜ぶ人たち。

      ②パリサイ人たちは、神の友ではない。

結論:3つのたとえ話と聖書の神

  1.なくなったものの価値が後になるほど増していく。

      ①100分の1

      ②10分の1

      ③2分の1

  2.三位一体の神が関与している。

    (1)いなくなった1匹を探し歩く羊飼いは、イエスを指している。

      ①イエスの生涯を思い出せ。

        *①誕生、公生涯、拒絶。十字架の死と復活

      ②ラビの中には、罪人が神のもとに来るなら神は許してくださると教える者もい

た。

③神が捜し歩くという教えは、イエスに独特のものである。

    (2)なくなった銀貨を捜す女の人は、聖霊を指している。

      ①みことばの光を掲げて、捜す。

      ②部屋の中に落ちていることは、分かっている。

      ③アダムとエバが木の間に身を隠していることは分かっていた。

      ④ザアカイがいちじく桑の木の葉の間に身を隠していることは分かっていた。

    (3)放蕩息子の父は、父なる神を指している。

      ①あるべき姿に戻れ。

      ②神は、私たちを喜び、誇りとしたいと思っておられる。

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