私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(130)—宮きよめの祭りにて—
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イエスと宗教的指導者たちの対立を通して、イエスの本質について学ぶ。
「宮きよめの祭りにて」
ヨハ10:22~39
1.はじめに
(1)文脈の確認
①これまでは、仮庵の祭りの時期に起こったことを扱ってきた。
*十字架の死の約半年前
②今回は、宮きよめの祭りの時期に起こったことを扱う。
*仮庵の祭りから約2ヶ月後、十字架の死の約4ヶ月前
③前回のイエスの教えの要約
*指導者たちがメシアを拒否したので、民族的滅びがやって来る。
*しかし、個人的にその滅びを免れる道が用意されている。
*イエスをメシアとして信じることが、その道である。
④今回の内容
*エルサレムの宗教的指導者たちがイエスに敵対した。
*イエスは彼らに答えた。
*その結果、両者の溝はさらに深くなった。
*読者の視点:メシアはどういう経緯で十字架にかかって行ったのか。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§111 宮きよめの祭りで、ユダヤ人たちはイエスに石を投げようとした。
2.アウトライン
(1)はじめに(22~23節)
(2)対立(1)(24~30節)
(3)対立(2)(31~32節)
(4)対立(3)(33~38節)
(5)結論(39節)
3.結論:2つの重要な教理
(1)神の選び
(2)永遠の保証
イエスと宗教的指導者たちの対立を通して、イエスの本質について学ぶ。
はじめに(22~23節)
1.時期(22節)
Joh 10:22 そのころ、エルサレムで、宮きよめの祭りがあった。
(1)モーセの律法には、7つの祭りが出て来る。
①過越の祭り、七週の祭り(ペンテコステ)、仮庵の祭りは、巡礼祭である。
(2)モーセの律法に出てこない祭りが2つある。
①プリムの祭り
*起源は、エステル記に記された解放劇にある。
*ハマンの策略から解放されたことを記念する祭り。
*アダルの月の14日と15日(太陽暦の2月~3月)
*新約聖書には出てこない(エルサレムではなく、各地で祝われた)。
②宮きよめの祭り(神殿奉献記念祭)(the feast of the dedication)
*ヘブル語で「ハヌカ」(奉献)という。
*前165年、キスレウの月(第9の月)の25日(太陽暦の11月~12月)
*セレウコス朝(アンティオコス・エピファネス)からの解放
・マカベア戦争により、ユダヤ人たちは独立を勝ち取った。
*最初の祭りは、2ヶ月遅れの仮庵の祭りであった。
*8日間、神殿の油が切れなかった。光の祭り。
*パリサイ人たちは、この8日間の祭りの継続を決め、今日に至る。
*欧米では、クリスマスと宮きよめの祭りが、時期的に重なる。
2.状況(23節)
Joh 10:23 時は冬であった。イエスは、宮の中で、ソロモンの廊を歩いておられた。
(1)時期的には、十字架にかかる約4ヶ月前である。
①時は冬であった。ヨハネは、霊的な冬を暗示していると思われる。
②光である方が、光の祭りに姿を現された。
③イエスは、ご自身の命を父なる神に「奉献」しようとしていた。
(2)ソロモンの廊を歩いていた。
①神殿の東側に位置する南北に延びた廊(屋根付の空間)である。
②ラビたちが講話を語る場所であった。
③イエスは、非常に目立った場所におられた。
Ⅰ.対立(1)(24~30節)
1.ユダヤ人の指導者たちの糾弾(24節)
Joh 10:24 それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。」
(1)ユダヤ人たちとは、エルサレムの指導者たちである。
①彼らは、イエスを包囲した。彼らの強い決意が見える。
(2)訳文の比較
「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください」(新改訳)
「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」(新共同訳)
「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」(口語訳)
「何時まで我らの心を惑しむるか、汝キリストならば明白(あらは)に告げよ」
①彼らの理解では、イエスは自分がキリストだとは明言していない。
②彼らは、言葉尻を捕らえてイエスを逮捕しようとしている。
2.イエスの回答(25~30節)
Joh 10:25 イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行うわざが、わたしについて証言しています。
Joh 10:26 しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。
Joh 10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
Joh 10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
Joh 10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
Joh 10:30 わたしと父とは一つです。」
(1)イエスのメシア性は、明確に証明されている。
①教えによって
②奇跡によって(父の御名によって行うわざ)
(2)6つの重要な教えが登場する。
①信じないのは、彼らがイエスの羊に属していないから(26節)。
②信じた人たちは、イエスの声を聞き分ける(27節)。
③イエスは彼らのことを知っている(27節)。
*イエスと信者の密接な関係を示している。
④彼らは、イエスについて行く(27節)。
*福音のメッセージを理解し、父なる神の御心に従順に生きる。
⑤彼らには、永遠の保証が与えられている(28節)。
⑥彼らをイエスに与えたのは、天の父である(29節)。
(3)イエスと父とは一つである(30節)。
①イエスと父が同一人物だということではない。
②ユダヤ的には、これはイエスの神性宣言である。
②そして、ユダヤ人の指導者たちは、その部分は十分理解した。
Ⅱ.対立(2)(31~32節)
1.ユダヤ人の指導者たちの反応(31節)
Joh 10:31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。
(1)ユダヤ人の指導者たちは、イエスのことばの意味をよく理解した。
①イエスは、最も明白な方法で神性宣言をしている。
(2)彼らは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。
①理由は、冒とく罪である。
②レビ24:16
③ヨハ8:59で同様の記事が出て来る。
2.イエスの回答(32節)
Joh 10:32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」
(1)イエスの冷静な態度
①イエスは、エルサレムにおいて数々の癒しを行われた。
②それらの癒しは、父から出て良いわざである。
③そのうちのどのわざが、ユダヤ人の指導者たちを怒らせたのか。
Ⅲ.対立(3)(33~38節)
1.ユダヤ人の指導者たちの反応(33節)
Joh 10:33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
(1)イエスが行った良いわざは、問題ではない。
①安息日の癒しに対しては、怒っていたはずなのに、それに触れていない。
(2)人間でありながら、自分を神とするのが問題である。
①イエスが単なる人間だという前提は変えない。
②彼らは、イエスの意図をさらに明確に言葉にしている。
③これが冒とく罪になるのは、イエスが単なる人間である場合のみである。
2.イエスの回答(34~38節)
(1)ラビ的議論を理解する必要がある。
①旧約聖書から引用し、それを適用しながら論を展開する。
②「あなたがたの律法に、○○と書いてはいないか」
*ユダヤ人たちは、律法を与えられていることを誇りとした。
*ここでは、「律法」は旧約聖書全体を指している。
(2)イエスが引用したのは、詩82:6である(34節)。
Joh 10:34 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、おまえたちは神々である』と書いてはいないか。
①詩82篇では、神は裁き主である。
②神は、正しい裁きを地上に実現するために、人間の裁き人を立てる。
③彼らは、神の代理人として裁きを行う。
④そういう意味で、彼らは「神々」である(ヘブル語でエロヒム)。
⑤人間の裁き人に神性が宿っているということではない。
(3)引用聖句の解釈と適用(35~36節)
Joh 10:35 もし、神のことばを受けた人々を、神々と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、
Joh 10:36 『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している』と言うのですか。
①「聖書は破棄されるものではない」とは、イエスの聖書観である。
②ここにも、カル・バホメル(大から小へ)の議論がある。
③神が立てた人間の裁き人が、「エロヒム」と呼ばれている。
④それなら、父から遣わされた者が自分のことを「神の子」と呼ぶのが、なぜ冒
とく罪なのか。
⑤「聖であることを示し」とは、父の業を行うために選び分かたれたという意味。
⑥イエスは、父から直接世に遣わされた。
(4)わざがイエスのメシア性を証明している(37~38節)。
Joh 10:37 もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じないでいなさい。
Joh 10:38 しかし、もし行っているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」
①イエスが行っているわざは、「父のみわざ」である。
②イエスのことばが信じられなくても、イエスのわざを信用することはできる。
③「父がわたしにおられ、わたしが父にいる」
*これもまた、イエスの神性宣言である。
④ニコデモの言葉
「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っていま
す。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だ
れも行うことができません」(ヨハ3:2)
Ⅴ.結論(39節)
Joh 10:39 そこで、彼らはまたイエスを捕らえようとした。しかし、イエスは彼らの手からのがれられた。
(1)ユダヤ人の指導者たちはまた、イエスを捕らえようとした。
①ヨハ7:30、32、44、8:20参照
(2)イエスは、彼らの手から逃れた。
①逃れた方法は記されていない。
②逃れた理由が重要である。また、時が来ていない。
③間もなく、イエスが自らを彼らの手に委ねる時が来る。
結論
1.神の選び
Joh 10:26 しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。
Joh 10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
(1)分かっていること(人間の責務)
①ユダヤ人の指導者たちは、イエスの語っていることを信じなかった。
②彼らは、イエスのことばは明瞭ではないと思っていた。
③彼らは、自分たちが理解できる枠の中にイエスが入ってくることを求めた。
(例話)「〇〇が分かったら信じる」という人の問題点
④自分から聖書の論理に近づく必要がある。
⑤発想の転換
「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。
あなたは人間でありながら、自分を神とするからです」(33節)
*イエスは神でありながら、人間になられた。
(2)分からないこと(神の選び)
①神の羊に属さない者は、イエスを信じない。
②イエスの羊は、イエスの声を聞き分ける。
(3)上記(1)と(2)は、ともに信じる必要がある。
2.永遠の保証
Joh 10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
Joh 10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
(1)イエスの約束は信じられる。
①信じる者には、永遠のいのちが与えられている。
②信じる者は、決して滅びることがない。
③信じる者は、御子と御父によって守られている。
(2)永遠の保証の教理は、放縦な生き方に道を開くものではない。
①私たちは、救いを失わないためにクリスチャン生活をするのではない。
②私たちは、クリスチャンになったからクリスチャン生活をするのである。
③クリスチャン生活とは、神の愛に対する愛の応答である。
(3)新約聖書に書かれて警告のことばは、永遠の保証を前提に読む必要がある。
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