私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
コリント人への手紙第一(23)御霊の賜物(3)―一致と多様性(2)―12:15~31
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
御霊の賜物の一致と多様性について学ぶ。
コリント人への手紙第一 23回
御霊の賜物(3)
―一致と多様性(2)―
12 :15~31
はじめに
1.文脈の確認
(1) 結婚に関する教え(7:1~40)
(2)偶像に献げられた肉(8:1~11:1)
(3)女のかぶり物(11:2~16)
(4)聖餐式(11:17~34)
(5)御霊の賜物(12~14)
①御霊による信仰告白(12:1~3)
②一致と多様性(12:4~31)
③愛の優位性(13:1~13)
④異言よりも預言(14:1~25)
⑤正しい賜物の行使(14:26~40)
2.注目すべき点
(1)コリント教会の礼拝に混乱をもたらした3つの要因
①女のかぶり物
②聖餐式
③御霊の賜物
(2)御霊の賜物が最も深刻な問題である。
①パウロは、14章で異言の問題を取り上げる。
②その前に、御霊の賜物全般について解説する。
3.アウトライン(一致と多様性)
(1)一つの御霊と多様な賜物(4~11節)
(2)一つのからだと多様な部分(12~14節)
(3)たとえの適用(15~26節)
(4)多様性の再確認(27~31節)
4.結論:使徒たちと預言者たち
御霊の賜物の一致と多様性について学ぶ。
Ⅰ.一つの御霊と多様な賜物(4~11節)
Ⅱ.一つのからだと多様な部分(12~14節)
Ⅲ.たとえの適用(15~26節)
1.15~17節
1Co 12:15
たとえ足が「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。
1Co 12:16
たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。
1Co 12:17
もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。
(1)からだのたとえの適用(教訓)を記している。
①健康なからだには、通常、多様な部分が備わっている。
②教訓とは、自分を過小評価する必要はないということである。
③また、他の信者を過小評価してはならないということである。
(2)足は、自分が手ではないことを卑下する必要はない。
①足は、立つ、歩く、走る、上る、蹴る、踊るなどの役割を果たすことができる。
(3)耳は、目のような役割を果たすことができないと卑下する必要はない。
①声や音が聞こえにくくなると、耳の役割の大切さが分かるようになる。
(4)多様性のないからだは、生き延びることができない。
①からだ全体が目であったら、物音を聞くことができない。
②からだ全体が耳であったら、においを嗅ぐことができない。
③パウロの強調点
*からだ全体が舌(tongue)(異言)であれば、それは異常である。
*コリントの信者たちは、異言の賜物だけを重視していた。
2.18~20節
1Co 12:18
しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。
1Co 12:19
もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。
1Co 12:20 しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。
(1)神は、御心にしたがって、からだを造ってくださった。
①からだの中に多様な部分を備えてくださった。
②全体がただ一つの部分だとしたら、からだは存在しなくなる。
③実際は、部分は多くあり、からだは一つである。
(2)キリストのみからだである教会も、これと同じである。
①神は、御心にしたがって多くの御霊の賜物を教会に与えてくださった。
②他の人に与えられている賜物を妬んだり、うらやんだりする必要はない。
③目立たない賜物でも、教会には不可欠なものである。
④それぞれの部分が、全体の祝福のために仕えているのである。
3.21~22節
1Co 12:21
目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。
1Co 12:22
それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。
(1)他の人に与えられている賜物を軽蔑してはならない。
①目は見ることができるが、手のように仕事をすることはできない。
②頭は判断することができるが、足のように移動することはできない。
(2)からだの中でほかより弱く見える部分が、かえって不可欠の部分である。
①心臓、肺、肝臓、腎臓などの内臓は、目立つことなしに、忠実に働いている。
②手や足がなくても生きることができるが、内臓なしには生きることができない。
4.23~24節a
1Co 12:23
また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、
1Co 12:24a 格好の良い部分はその必要がありません。
(1)私たちのからだに関して
①見栄えが劣っている部分を、衣服で覆う。
*パウロは、生殖器に言及していると思われる。
②格好の良い部分は、露出したままである。
(2)教会に関して
①目立たない賜物や奉仕は、もっと大切にされるべきである。
*掃除、礼拝のために準備、苦しんでいる人への奉仕、ベビーシッター
5.24b~25節
1Co 12:24b
神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。
1Co 12:25
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。
(1)私たちのからだに関して
①劣った部分と見栄えの良い部分の差が埋まるように、神は配慮しておられる。
(2)教会に関して
①各部分が、互いを受け入れ、配慮し合うように、神は導いておられる。
6.26節
1Co 12:26
一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
(1)これは、私たちのからだに関しても、教会に関しては言えることである。
①ロマ12:15
Rom 12:15 喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。
②ここまでのたとえは、主に人間のからだに関するものであった。
③次の箇所では、教会に関する教えに移行する。
Ⅳ.多様性の再確認(27~31節)
1.27節
1Co 12:27 あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
(1)コリント教会は、普遍的教会ではない。
①コリント教会は、地域教会である。
②コリント教会は、普遍的教会の一部である。
③信者たちは、普遍的教会の一部であると同時に、地域教会の一部である。
2.28節
1Co 12:28
神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち、そして力あるわざ、そして癒やしの賜物、援助、管理、種々の異言を備えてくださいました。
(1)このリストは、御霊の賜物をすべて網羅したものではない。
①使徒たち
*12使徒
*パウロ、バルナバ、ヤコブ、シラス、テモテ
*エペ2:20
Eph 2:20 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。
②預言者たち
*新約聖書が完結するまでは、神は預言者たちを通して語られた。
③教師たち
*みことばを一般信徒に分かるように教える人たち
④力あるわざ
*死者を蘇生させたり、悪霊を追い出したりする能力
⑤癒やしの賜物
*瞬時に病を癒やす能力
⑥援助
*執事の賜物
⑦管理
*長老や監督の賜物
⑧種々の異言
*パウロは、異言を最後に置いた。
*コリントの信者たちは、異言を最初に置いていた。
3.29~30節
1Co 12:29
皆が使徒でしょうか。皆が預言者でしょうか。皆が教師でしょうか。すべてが力あるわざでしょうか。
1Co 12:30
皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか。
(1)この質問は、「NO」という答えを想定したものである。
①からだは一つ、賜物は多数。
②教会は、各人が自分の賜物を発揮することによって建て上がって行く。
4.31節
1Co 12:31
あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。/私は今、はるかにまさる道を示しましょう。
(1)「よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」
①これは、個人としてではなく、地域教会として求めよという勧めである。
②どんな賜物も、軽視してはならない。
③しかし、教会の益になるかどうかという視点から見ると、優劣の差がある。
④賜物のリストの順番が、優劣の順番になっている。
(2)「私は今、はるかにまさる道を示しましょう」
①これは、愛の章(13章)へのイントロダクションである。
②賜物は、持っていること以上に、愛に基づいて用いることが重要である。
③特に、異言の行使においては愛が必要である。
④異言を語る人は、自己中心的になるべきではない。
⑤異言を語らない人は、異言の賜物を侮辱してはならない。
結論:使徒たちと預言者たち
1.使徒たち
(1)12使徒(使1:22)
①イエスが洗礼を受けたときから弟子であった人 たち
(2)第2グループの使徒たち
①復活のイエスに出会った人 たち
②パウロはこの資格を満たしている(1コリ9:1)。
③バルナバもまた第2グループの使徒である(使14:14)。
④イエスの弟のヤコブも同じである(1コリ15:7、ガラ1:19)。
(3)使徒と預言者の賜物は、終了した。
①エペ2:19~22によれば、使徒と預言者は「土台」 である。
②キリストは「礎石」である。
③信者は建物を形成する石材 である。
2.預言者たち
(1)預言者たちの使命は、神からの啓示を受けてそれを記録することである。
(2)使徒は、預言の賜物も持っている。
(3)新約時代の「預言者」と「使徒」によって、「恵みの時代」の啓示はすべて記録された。
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(18)最後のあいさつ13:11~13
ルカの福音書(9)羊飼いたちへの告知2:8~20
コリント人への手紙第二(17)訪問を前提とした勧告12:19~13:10
ルカの福音書(8)イエスの誕生2:1~7
ヨハネの黙示録(9)—7つの封印を開く前の天の様子—
Q425 天にいるイエスのからだには、十字架の傷跡が残っているのでしょうか。