私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(120)—口をきけなくする悪霊の追い出し—
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キリストの弟子としての心構えを学ぶ。
「口をきけなくする悪霊の追い出し」
ルカ11:14~36
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ベルゼブル論争の記事と似ている。
*§61 マタ12:22~37
*ユダヤ人の指導者たちが、イエスのメシア性を拒否した出来事
*この出来事は、イエスの公生涯の分水嶺となった。
②これとそっくりの内容が、再度登場する。
*§61とは、別の出来事である。
*§61とは異なる要素がいくつか出て来る。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「ベルゼブルの力を借りているという冒涜的非難」(§106)
ルカ11:14~36
2.アウトライン
(1)イエスを非難する言葉(14~16節)
(2)イエスの回答(17~23節)
(3)当時のユダヤ人たちの霊的状態(24~28節)
(4)当時のユダヤ人たちへのしるし(29~32節)
(5)信仰の道と不信仰の道(33~36節)
3.結論:
(1)最初のベルゼブル論争との対比
(2)健全な目と悪い目の対比
キリストの弟子としての心構えを学ぶ。
Ⅰ.非難の言葉(14~16節)
1.14節
Luk 11:14 イエスは悪霊、それも口をきけなくする悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、口がきけなかった者がものを言い始めたので、群衆は驚いた。
(1)イエスは、口をきけなくする悪霊を追い出した。
①マタ12:22では、「悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人」。
②口をきけなくする悪霊の追い出しは、メシア的奇跡である。
(2)群衆は驚いた。
①イエスがメシア的奇跡を行ったから。
②ここでの重要なポイントは、イエスを批判するのが群衆だという点である。
③群衆の中に、2種類の不信仰の言葉を口にする者たちがいた。
2.15~16節
Luk 11:15 しかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言う者もいた。
Luk 11:16 また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。
(1)イエスは、悪霊どものかしらベルゼブルの力を借りていると主張する者たち
①ベルゼブルとは「蠅の主」という意味で、サタンを指す。
②彼らは、ユダヤ人の指導者たちの意見を採用し、イエスのメシア性を否定した。
(2)イエスをためそうとして、天からのしるしを求める者たち
①メシア性を証明する奇跡を求めた。
*彼らには、盲目で生まれついた人の癒しだけでは不十分だった。
②奇跡を行えば、非難する者たちは沈黙するではないかという誘いがある。
③「十字架から降りてきたら信じてやる」という意識と似ている。
Ⅱ.イエスの回答(17~23節)
1.17~18節
Luk 11:17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。
Luk 11:18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。
(1)その非難は、間違っている。
①悪の王国でも、仲間割れしたら崩壊してしまう。
②これは、最初のベルゼブル論争にも出て来た要素である。
2.19~20節
Luk 11:19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。
Luk 11:20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。
(1)彼らは、悪霊の追い出しは聖霊の力によると信じていた。
①ベルゼブルによって悪霊を追い出しているとの主張は、神学的に矛盾する。
②これもまた、最初のベルゼブル論争に出て来た要素である。
3.21~23節
Luk 11:21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。
Luk 11:22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。
Luk 11:23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。
(2)強い人とはサタンであり、もっと強い者とはイエスである。
①分捕り品とは、サタンによって束縛されていた人々である。
②これもまた、最初のベルゼブル論争に出て来た要素である。
Ⅲ.当時のユダヤ人たちの霊的状態(24~28節)
1.24~26節
Luk 11:24 汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。
Luk 11:25 帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。
Luk 11:26 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」
(1)このたとえ話は、当時のユダヤ人たちの霊的状態を説明したものである。
①内側が掃除されたとは、バプテスマのヨハネがしたことである。
②内側が空き家になっているとは、形式的な信仰のことである。
③初めの状態よりもはるかに悪い状態がやって来るとは、裁きの預言である。
*当時、ユダヤ人たちは多少の自治権を持っていた。
*この時から40年後、エルサレムは滅ぼされた。
*神殿の崩壊、ユダヤ人の世界離散、系図や歴史的記録の破壊など。
(2)このたとえ話は、最初のベルゼブル論争に出て来た。
2.27~28節
Luk 11:27 イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」
Luk 11:28 しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」
(1)ひとりの女が、イエスを称賛する。
①母親を祝福することによって、息子を称賛するのは当時の習慣である。
②自分がこのような人物の母であったら、どんなに素晴らしいかと考えた。
(2)イエスは、血のつながりよりも、霊的関係を重視された。
①ユダヤ人たちは、自分たちがアブラハムの子孫であることを誇りとした。
②神のことばを聞いてそれを守る人たちとは、イエスを信じる人たちである。
③ルカは、異邦人の救いを予見している。
(3)最初のベルゼブル論争との相違
①マリアとイエスの兄弟たちが、イエスを家に連れて帰ろうとした。
Ⅳ.当時のユダヤ人たちへのしるし(29~32節)
1.29~30節
Luk 11:29 さて、群衆の数がふえてくると、イエスは話し始められた。「この時代は悪い時代です。しるしを求めているが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。
Luk 11:30 というのは、ヨナがニネベの人々のために、しるしとなったように、人の子がこの時代のために、しるしとなるからです。
(1)聴衆は群衆である。
①彼らは、しるしを求めた。
②イエスは彼らを、「悪い時代」と呼ばれた。
*「悪い世代」である。
(2)イエスは、ヨナのしるし以外のしるしを与えることを拒否された。
①ヨナのしるしとは、復活のことである。
②ヨナは、ニネベの人々のためのしるしとなり、人々は悔い改めた。
③イエスは、この時代のためのしるしとなる。
④民族的には崩壊するが、個人的な救いの道は残されている。
⑤イエスをメシアと信じることが、救いの道である。
(3)「赦されない罪」への言及は、ここにはない。
2.31~32節
Luk 11:31 南の女王が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、彼らを罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
Luk 11:32 ニネベの人々が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。
(1)南の女王
①シェバの女王は、なんのしるしもないのに、ソロモンに会いに来た。
②裁きの時に、彼女は立って、この時代の人々を裁く。
(2)ニネベの人々
①彼らは、ヨナの短い説教を聞いて悔い改めた。
②裁きの時に、ニネベの人々は立って、この時代の人々を裁く。
(3)南の女王とニネベの人々の話は、最初のベルゼブル論争に出て来た。
Ⅴ.信仰の道と不信仰の道(33~36節)
1.33節
Luk 11:33 だれも、あかりをつけてから、それを穴倉や、枡の下に置く者はいません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。
(1)イエスを信じることは、光の中を歩むことである。
①イエスを信じないことは、光を拒否し、暗やみの中を歩むことである。
(2)イエスのことばはあかりである。
①それは、父なる神を啓示するあかりである。
②それを受け取った人は、そのあかりを隠さず、他の人々に示す。
2.34~36節
Luk 11:34 からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。
Luk 11:35 だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。
Luk 11:36 もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。」
(1)多くの人が、目から光が出て、ものが見えるようになると考えていた。
①つまり、目がランプの役割を果たしていると考えていたのだ。
②目から光が入るという考え方もあった。
③ここでは、その両方の考え方が反映されている。
(2)「目が健全なら」:英語で「single eye」である。
①「目が悪ければ」:英語で「evil eye」である。
②マタ6:22~23では、寛容な人と、貪欲な人が対比されている。
③ここでは、イエスのことばを受け入れる人と、そうでない人が対比されている。
結論:
1.最初のベルゼブル論争との対比
(1)共通項が多く見られるが、違いもある。
(2)場所
①ガリラヤ地方で、複数回(マタ9:34)起こっている。
②ここにあるのは、ユダヤかペレアでの質問である。
③巡回伝道者には、よく起こることである。
(3)時期
①約1年後の隔たりがある。
(4)赦されない罪への言及がない。
(5)ベルゼブル論争後の出来事
①イエスは、湖畔に出て多くのたとえ話を語った。
②家に入ると、弟子たちにいくつかのたとえ話を解説した。
③その後、湖を渡ってゲラサ人の地に向かった。
(6)ここでの出来事
①パリサイ人との食事
②パリサイ人を糾弾することば(公生涯が終わりに近づいてきた)
2.健全な目と悪い目の対比
(1)肉体の目に関して言えることは、霊的目に関しても言える。
①ユダヤ人たちの霊的目は、開いていなかった。
②彼らは、自分たちの内には光があると思っていたが、それは闇であった。
③イエスの教えに目を開くなら、神の啓示の光が心を満たしてくれる。
(2)私たちへの教訓(ラオデキヤの教会へのメッセージ)(黙3:17~20)
Rev 3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
Rev 3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
Rev 3:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
Rev 3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
①悪い目の教会
*裕福で満ち足りた教会
*自己認識が歪んだ教会
②金融業による富がある町
*火で精錬された金を買え(永遠に価値あるもの)。
③羊毛で有名な町(黒の上着)
*白い衣(義の衣)を買え。
④医学の学校があった町(目薬が売られていた)
*目に塗る目薬を買え。
*神のことばに問題があるわけではない。
*自分の霊的目に問題がある。
(例話)朝、ホテルのカーテンを開ける。
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