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ヨハネの福音書(5)ニコデモとの対話―永遠のいのちを得る方法-ヨハ2:23~3:21
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このメッセージは、イエスとニコデモの対話について学ぼうとするものである。
ヨハネの福音書(5)
ニコデモとの対話
―永遠のいのちを得る方法-
ヨハ2:23~3:21
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
*最初の宮きよめ(2:13~22)
*人の心の中を見抜くイエス(2:23~25)
*ニコデモに対する個人伝道(3:1~21)
*イエスをあがめるバプテスマのヨハネ(3:22~30)
*イエスの卓越性(3:31~36)
2.この箇所の注目点
(1)イエスに対する応答
①指導者たちはイエスに敵対したが、民衆は好感を持った。
(2)ヨハネは、7つの対話を記している。
①その最初が、ニコデモとの対話である。
(3)ニコデモは、紀元1世紀のユダヤ教の代表である。
①ユダヤ教の代表である人物とイエスの対話が、かみ合わない。
②紀元1世紀のユダヤ教が、いかに真理から逸脱していたかが分かる。
③この対話は、ユダヤ的視点で読む必要がある。
3.アウトライン
(1)人の心の中を見抜くイエス(2:23~25)
(2)ニコデモとの対話(3:1~15)
(3)ヨハネによる福音の要約(3:16~21)
4.結論
(1)風と聖霊の対比
(2)青銅の蛇と人の子の対比
このメッセージは、イエスとニコデモの対話について学ぼうとするものである。
Ⅰ.人の心の中を見抜くイエス(2:23~25)
1.23節
Joh 2:23
過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。
(1)イエスはしるしを行った(複数形)。
①ヨハネは、しるしの内容を記していない。
②癒しや悪霊の追い出しであろう。
③宮清めの出来事はメシア宣言であり、しるしはメシア性の証明である。
(2)公生涯の初期に行われたしるしは、メシア性の証明である。
①マタイ12章のベルゼブル論争を境に、しるしの目的が変化する。
②しるしは、信仰があることを前提に、恵みのわざとして行われる。
(3)多くの人々が、その名を信じた。
①「その名を信じた」とは、イエスを信じたということである。
②癒し主として信じたが、罪からの救い主として信じたわけではない。
2.24~25節
Joh 2:24
しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。すべての人を知っていたので、
Joh 2:25
人についてだれの証言も必要とされなかったからである。イエスは、人のうちに何があるかを知っておられたのである。
(1)イエスは、彼らの「信仰」を信用しなかった。
①その信仰は、しるしを見た結果、一時的な興奮状態に陥った信仰である。
②イエスは、人の心の中を知っておられた。
*これはイエスの神性を示している。
*1サム16:7、使1:24~25
③イエスが信用した人はいるのか。
*ニコデモ(2:25と3:1のつながりは、明白である)
*サマリアの女(不道徳であるが霊的事項に関心があった)
Ⅱ.ニコデモとの対話(3:1~15)
1.1節
Joh 3:1
さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。
(1)ニコデモは、「パリサイ人」である。
①パリサイ派は、死者の復活を信じていた(サドカイ派とは異なる)。
②ユダヤ人として生まれた者は、すべて神の国に入ると信じていた。
③バプテスマのヨハネは、これを否定していた(マタ3:9)。
④彼は、ラビであり、最高法院の議員である。
2.2節
Joh 3:2
この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
(1)彼は、「夜」イエスのもとに来た。
①好意的に解釈すれば、ゆっくり話すために来たということかもしれない。 ②ヨハネの福音書では、「夜」には深い意味がある(否定的な意味)。
③ニコデモは、人目を避けて来たのであろう。
(2)ニコデモのあいさつ
①イエスに「先生」と呼びかけた。原文では「ラビ」である。
*この呼びかけは、イエスに対して敬意を表したものである。
*ニコデモは、ラビ対ラビの対話を求めている。
②イエスが「神のもとから来られた」教師であることを認めた。
*原文では「神のもとから来られた」ということばに強調点がある。
③「私たち」とは、イエスを受け入れている他の議員たちであろう。
*アリマタヤのヨセフ、ラビ・ガマリエルなどがいた。
④イエスが行っているしるしは、神がともにおられることの証拠である。
*福音書では、イエスがしるしを行ったことを疑う人は出て来ない。
3.3節
Joh 3:3
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
(1)イエスは、ただちに本論に入る。
①「まことに、まことに」は、強調のことばである。
②「新しく生まれなければ」は、新生の必要性を教えることばである。
*「アノウセン」は、「上から」とも訳せる。
*意訳すると、「上から、新しく生まれなければ」となる。
③「神の国を見ることはできません」
*本書では、「神の国」という用語は2回しか出てこない(3、5節)。
・70年のエルサレム崩壊で、神の国の延期は明らかになった。
*「神の国」とは、やがて地上に実現するメシア的王国であろう。
*「神の国を見る」とは、永遠のいのちを得ることである。
④反抗者でない限り、神の国に入ることができるというのが当時の認識。
⑤イエスは、神の国での生活のためには、新しい性質が必要だと教えた。
*善良な指導者であるニコデモでさえも、そのままでは失格である。
4.4節
Joh 3:4
ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」
(1)ニコデモは、「新しく生まれる」ということばを知っていた。
①「新生」は、ラビ用語であった。
②旧約聖書(申30:6)は、新生を預言している。
Deu 30:6
あなたの神、【主】は、あなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、【主】を愛し、そうしてあなたが生きるようにされる。
③ラビ用語の「新生」の概念と申30:6の預言内容は、同じではない。
(2)ラビ用語の「新生」の意味(フルクテンバウム師の教え)
①異邦人がユダヤ教に改宗すること
②王になること
③バール・ミツバ(13歳)を迎えること
④結婚すること(既婚者であることは議員の資格である)
⑤30歳でラビになること
⑥イェシヴァ(神学校)の校長になること(通常は50歳)
*「イスラエルの教師」(10節)に定冠詞が付いている。
(3)上記①と②はニコデモに該当せず、③から⑥はすべて終わっている。
①誕生から人生やり直すのは、不可能である。
5.5~6節
Joh 3:5
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
Joh 3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
(1)「まことに、まことに」は、重要な教えであることを示している。
①「アーメン、アーメン」。
(2)「水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません」
①「神の国に入る」=「神の国を見る」
②イエスは、パリサイ派神学を否定した。
③「水によって生まれる」とは、赤子としての誕生のこと。
④「御霊によって生まれる」とは、聖霊による超自然的な誕生のこと。
⑤肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
6.7~8節
Joh 3:7
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
Joh 3:8
風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」
(1)「あなたがた」
①イエスは、ニコデモを筆頭とするラビ集団に語りかけている。
(2)ラビ的教授法が採用されている。
①知っていること(自然現象)から、知らないこと(超自然現象)へ。
②風の働きと聖霊の働きが、対比される。
*ともにヘブル語で「ルアㇵ」である。
*ギリシア語で「プニューマ」である。
7.9~10節
Joh 3:9 ニコデモは答えた。「どうして、そのようなことがあり得るでしょうか。」
Joh 3:10
イエスは答えられた。「あなたはイスラエルの教師なのに、そのことが分からないのですか。
(1)ニコデモの限界が露呈した。
①彼は、地上の領域でしかものごとを考えていない。
(2)イエスは驚かれた。
①神学校の校長でありながら、信仰の基本を理解していない。
②イザ32:15、エレ31:33、エゼ36:25~27など。
8.11~13節
Joh 3:11
まことに、まことに、あなたに言います。わたしたちは知っていることを話し、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れません。
Joh 3:12
わたしはあなたがたに地上のことを話しましたが、あなたがたは信じません。それなら、天上のことを話して、どうして信じるでしょうか。
Joh 3:13
だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。
(1)「わたしたち」
①イエス、および、新生体験をした信者たち
②「わたしたち」は、知っていることを話し、見たことを証ししている。
③「あなたがた」は、わたしたちの証しを受け入れない。
④ニコデモは、不信仰のイスラエルの象徴である。
(2)「わたし」
①イエスのことばである。
②「地上のこと」とは、神の国に入るために必要な新生のことである。
③「天上のこと」とは、死後の世界や新天新地のことである。
④天に上り、地上に戻ってきた者はいない。
⑤イエスは天から下って来た者である。
⑥イエスだけが、天上のことを話すことができる。
9.14~15節
Joh 3:14
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。
Joh 3:15
それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
(1)青銅の蛇と人の子が対比される。
結論
1.風と聖霊の対比
(1)人間には制御できない。
(2)目には見えないが、働きの結果は見える。
(3)その働きは、神秘である。
2.青銅の蛇と人の子の対比
(1)青銅の蛇が旗ざおの上に付けられた(民21:4~9)。
①青銅の蛇は、蛇に似ているが、毒はない。
②蛇にかまれた者は、それを仰ぎ見て生きた。
(2)人の子は、十字架に付けられる。
①人の子は、罪人に似ているが、罪はない。
②罪人は、人の子を仰ぎ見て生きる。
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