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ルカの福音書(97)イエスの逮捕22:39~53
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患難への備えについて学ぶ。
ルカの福音書 97回
イエスの逮捕
22:39~53
1.文脈の確認
(1)イエスの受難(22~23章)
①宗教的指導者たちの陰謀(22:1~6)
②過越の食事の準備(22:7~13)
③二階の大広間での出来事(22:14~38)
④イエスの逮捕(22:39~53)
⑤イエスの裁判(22:54~23:25)
⑥イエスの死(23:26~49)
(2)イエスの逮捕(22:39~53)
①ゲツセマネの園での祈り(39~46節)
②ユダの裏切り(47~53節)
(3)注目すべき点
①このセクションの主要テーマは、患難への備えである。
②イエスは、祈りによって患難への備えを終える。
③弟子たちは、患難への備えをしなかった。
④イエスの逮捕は、両者の備えの違いを浮き彫りにする。
⑤ヨハ16:33
Joh 16:33
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」
2.アウトライン
(1)ゲツセマネの園での祈り(39~46節)
(2)ユダの裏切り(47~53節)
3.結論
(1)イエスの苦悶
(2)ペテロの失敗
患難への備えについて学ぶ。
Ⅰ.ゲツセマネの園での祈り(39~46節)
1.39~40節
Luk 22:39
それからイエスは出て行き、いつものようにオリーブ山に行かれた。弟子たちもイエスに従った。
Luk 22:40
いつもの場所に来ると、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。
(1)イエスと弟子たちは、オリーブ山に着いた。
①「ゲツセマネの園」が省略されている。(読者の関心をそらさないためか)。
②時間は、木曜日の夜10時~11時頃(すでに金曜日)であろう(遅い時間帯)。
③イエスは、十字架を目前に控えて、必死の祈りをされる。
④この祈りは、史上最大の霊的戦いの内容を明らかにしている。
⑤イエスの苦悶を理解せずに、十字架の意味を味わうことは不可能である。
(2)「いつものようにオリーブ山に行かれた」
①イエスが着いた場所は、ゲツセマネの園である。
②ゲツセマネの園は、オリーブ山の西側、城壁に隣接した位置にある。
③ユダに対して隠すものは何もない(イエスが状況を支配している)。
④ゲツセマネとは、「オリーブの絞り場」という意味である。
⑤オリーブ油は、聖霊の象徴である。
⑥メシアは砕かれ、信じる者に聖霊を与える。
(3)「誘惑に陥らないように祈っていなさい」
①この内容は、ルカだけが書いているものである。
②これは、イエスのためではなく、自分自身のために祈れという命令である。
③ここでの「誘惑」(ペイラスモス)とは、信仰のテストである。
④イエスが逮捕されたときに、イエスと父への信仰を放棄するかどうか。
⑤これは、弟子たち全員への指示である。
2.41~42節
Luk 22:41
そして、ご自分は弟子たちから離れて、石を投げて届くほどのところに行き、ひざまずいて祈られた。
Luk 22:42
「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」
(1)イエスは、弟子たちを残して、一人で園の奥に入って行った。
①ペテロとヤコブとヨハネの3人が途中まで同行したことは、書かれていない
(2)「ひざまずいて祈られた」(祈り始めた)
①この姿勢は、神への従順を示している。
②「ひれ伏した」(マタ26:39、マコ14:35)
(3)「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください」
①「この杯」とは、神の怒りの杯である。
②人間としてのイエスは、「この杯」が取り去られることを願った。
③神の計画を無視して、自分の願いが成るように求めよというのが、誘惑である。
(4)「しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように」
①イエスは、父の御心を優先させた。
②この祈りによって、イエスは誘惑に勝利された。
③ルカの福音書を通して、イエスは父の御心を成就してこられた。
④いかに死ぬかは、いかに生きてきたかによって決まる。
⑤この祈りは、私たちの祈りの模範である。
3.43~44節
Luk 22:43〔すると、御使いが天から現れて、イエスを力づけた。
Luk 22:44
イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。〕
(1)この部分も、ルカだけの記録である。
①天使(単数形)がイエスを力づけた。
*「荒野の誘惑」では、誘惑が終わってから天使たちがイエスに仕えた。
②弟子たちは眠りこけていたが、イエスは孤独ではなかった。
*私たちも、孤独ではない。
③「汗が血のしずくのように地に落ちた」
*激しい動揺により、発汗細胞が傷つき、血液が汗に混じる状態。
*神の怒りを予感した結果起こる動揺。
4.45~46節
Luk 22:45
イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに行ってご覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。
Luk 22:46
そこで、彼らに言われた。「どうして眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい。」
(1)ルカは、イエスが3度弟子たちのところに行ったことは省略している。
①強調点は、弟子たちの失敗よりも、イエスの祈りにある。
(2)「どうして眠っているのか」
①こんな大切な時に、どうして眠っていられるのか。
(3)「誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」
①信仰のテストに合格するためには、祈りの準備が必要である。
Ⅱ.ユダの裏切り(47~53節)
1.47~48節
Luk 22:47
イエスがまだ話をしておられるうちに、見よ、群衆がやって来た。十二人の一人で、ユダという者が先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして近づいた。
Luk 22:48
しかし、イエスは彼に言われた。「ユダ、あなたは口づけで人の子を裏切るのか。」
(1)イエスを逮捕しようとする者たちが、ゲツセマネの園にやって来た。
①木曜日(金曜日になっている)の真夜中過ぎで、夜明けまではまだ時間がある。
②ここから、イエスの逮捕、裁判、十字架刑へと進んで行く。
(2)イエスの祈りとユダの裏切りが、密接に関連付けられている。
①逮捕される前に、イエスが祈り終わる必要があった。
②ユダが群衆を先導して来た。
(3)ユダの偽善
①「ユダという者」という表現は、イエスとユダの間に距離を置くためのもの。
②ユダは、イエスに口づけしようとした。
③口づけは、友情のしるし、ラビへの敬意のしるしである。
④「ユダ、あなたは口づけで人の子を裏切るのか」
*口づけ、人の子、裏切り
2.49~50節
Luk 22:49
イエスの周りにいた者たちは、事の成り行きを見て、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。
Luk 22:50
そして、そのうちの一人が大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。
(1)「主よ、剣で切りつけましょうか」
①これは、許可を求めているのではなく、行動を起こすという宣言である。
②イエスは、祈りによって、父の御心に従う決心ができていた。
③弟子たちは、祈りによる準備ができていなかったので、自分の計画を実行した。
(2)大祭司のしもべに切りかかったのがペテロであることは、伏せられている。
①ユダの罪の深さに比べれば、ペテロの失敗は軽微なものである。
②大祭司のしもべの右の耳を切り落とした。
*ルカとヨハネが、これを記録している。
3.51節
Luk 22:51
するとイエスは、「やめなさい。そこまでにしなさい」と言われた。そして、耳にさわって彼を癒やされた。
(1)「耳にさわって彼を癒やされた」
①敵に対するイエスの愛
②ペテロに対する守り
4.52~53節
Luk 22:52
それからイエスは、押しかけて来た祭司長たち、宮の守衛長たち、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って出て来たのですか。
Luk 22:53
わたしが毎日、宮で一緒にいる間、あなたがたはわたしに手をかけませんでした。しかし、今はあなたがたの時、暗闇の力です。」
(1)イエスを逮捕するために押しかけて来たのは、イスラエルの指導者たちである。
①イエスは、彼らの偽善を指摘する。
②彼らは、イエスが宮で教えていたときは、イエスに手をかけなかった。
*民衆を恐れたからである。
③しかし、暗闇の今、彼らはイエスを捕えようとしている。
(2)「今はあなたがたの時、暗闇の力です」
①今は、悪魔が働く時である。
②悪魔の子である彼らも、働く。
③神は、一時的に悪魔の時を許可された。
結論
1.イエスの苦悶
(1)イエスは、杯を取りのけてくださいと祈られた。
①「杯」とは、十字架の死のことではない。
②イエスは、十字架で死ぬために来られた。
*ルカ19:10、ヨハ12:27、ヘブ10:5~9、ピリ2:8
(2)「杯」とは、罪に対する神の怒りのことである。
①聖書が聖書を解釈する。
*詩11:6、75:8、イザ51:17、エレ25:15、黙14:10
②神の怒りの杯を飲む者は、霊的に死んでいる不信者である。
*彼らは、神から切り離された者たちである。
③メシアの肉体的死は預言されていたが、霊的死の預言はない。
④イエスは、霊的死(父との分離)について知って、驚かれたのであろう。
⑤私たち人間には、父と子の分離がどういう意味をもつのか理解できない。
⑥霊的死を通過することで、イエスは私たちのために完璧な大祭司となられた。
2.ペテロの失敗
(1)4つの失敗
①内省すべきときに、傲慢になった。
②聞くべきときに、語り続けた。
③祈るべきときに、眠っていた。
④降伏すべきときに、戦った。
(2)アダムとイエスの対比
①アダムは父に背いて、死をもたらした。
②イエス(最後のアダム)は、父への従順を学び、いのちをもたらした。
③私たちの手本は、最初のアダムではなく、最後のアダムである。
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