私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ルカの福音書(96)二階の大広間での出来事(2)22:24~38
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
二階の大広間での出来事について学ぶ。
ルカの福音書 96回
二階の大広間での出来事(2)
22 :24~38
1.文脈の確認
(1)イエスの受難(22~23章)
①宗教的指導者たちの陰謀(22:1~6)
②過越の食事の準備(22:7~13)
③二階の大広間での出来事(22:14~38)
④イエスの逮捕(22:39~53)
⑤イエスの裁判(22:54~23:25)
⑥イエスの死(23:26~49)
(2)二階の大広間での出来事(22:14~38)
①過越の食事(14~18節)
②新しい契約(19~20節)
③裏切りの予告(21~23節)
④弟子たちへの教え(24~30節)
⑤ペテロのつまずきの予告(31~34節)
⑥迫害に対する備え(35~38節)
(3)注目すべき点
①共観福音書の中では、ルカの記述が最も詳しい。
②それよりも詳しいのは、ヨハネの福音書である(13~17章)。
2.アウトライン
(1)弟子たちへの教え(24~30節)
(2)ペテロのつまずきの予告(31~34節)
(3)迫害に対する備え(35~38節)
3.結論
(1)ペテロの体験とヨブの体験
(2)1コリ10:13の意味
二階の大広間での出来事について学ぶ。
Ⅰ.弟子たちへの教え(24~30節)
1.24節
Luk 22:24
また、彼らの間で、自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、という議論も起こった。
(1)イエスが、自らの死について語った直後に、この出来事が起こった。
①第3の杯によって新しい契約が結ばれた直後のことである。
②イエスは、数時間後に十字架につけられようとしている。
③タイミングも議論の内容も、最悪である。
④しかし、弟子たちはメシア的王国がすぐに来ると思い込んでいる。
⑤彼らの関心事は、だれが一番偉いかということである。
(2)そこでイエスは、再度、謙遜について教える。
①9:46~48で、同じ議論が持ち上がっていた。
②イエスは、一人の子どもを立たせ、「一番小さい者が、一番偉い」と教えた。
③謙遜に関する教えは、すべての弟子たちにとって重要なものである。
2.25~26節
Luk 22:25
すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々に対し権威を持つ者は守護者と呼ばれています。
Luk 22:26
しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。
(1)イエスは、この世と教会(信者の共同体)の違いについて教える。
①この世では、上位の者が下位の者を支配する。
②権威を持つ者は、「守護者」(良いわざを行う人)と呼ばれている。
③彼らは、タイトルが偉大なだけであって、人格が優れているわけではない。
④多くの場合、王たちは残酷な支配者たちであった。
(2)教会の価値観
①偉くなりたいなら、一番年の若い者のようになれ。
②上に立つ人は、身を低くして仕えよ。
③「守護者」のタイトルにふさわしいのは、イエスだけである。
④使10:38
Act 10:38
それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒やされました。それは神がイエスとともにおられたからです。
3.27節
Luk 22:27
食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょうか。食卓に着く人ではありませんか。しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています。
(1)イエスの手本
①イエスは、給仕する者のように歩んで来られた。
②イエスに従う者は、イエスを模倣する必要がある。
(2)ルカは、異邦人読者を意識しながら、この部分を書いている。
①異邦人の文化では、地位や年齢が重視された。
②信者は、年齢や身分に関係なく、互いに仕え合うべきである。
4.28~30節
Luk 22:28
あなたがたは、わたしの様々な試練の時に、一緒に踏みとどまってくれた人たちです。
Luk 22:29
わたしの父がわたしに王権を委ねてくださったように、わたしもあなたがたに王権を委ねます。
Luk 22:30
そうしてあなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだりし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるのです。
(1)今、弟子たちは、誰が一番偉いかと議論している。
①間もなく彼らは、イエスを捨てて逃げようとしている。
②しかしイエスは、彼らの失敗が一時的なものであることを知っておられた。
(2)謙遜の教えとのバランスで、忠実な弟子たちへの報奨が約束された。
①父なる神は子なる神に、メシア的王国での王権を約束された。
②イエスは、ダビデの王座に着くために地上に戻って来る。
③そのときイエスは、弟子たちにイスラエルの12部族を裁く権威を与える。
④この約束は、忠実な生き方への動機づけとなる。
⑤次に、弟子たちの忠実さが試される。
Ⅱ.ペテロのつまずきの予告(31~34節)
1.31~32節
Luk 22:31
シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
Luk 22:32
しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
(1)弟子たちは、試練から守られるのではなく、試練の中で守られる。
①「シモン、シモン」という呼びかけは、元来のペテロに対するものである。
②彼は、一時的に、「ペテロ」(岩)ではなくなる。
③サタンは、使徒たち全員(あなたがた)を試すことを許された。
④イエスは、ペテロ(あなた)のために祈られた。
*ペテロが使徒たちの代表となっている。
*サタンの誘惑よりも、イエスの力のほうがまさっている。
⑤「立ち直る」とは、一時的な信仰の後退からの立ち直りである。
⑥「兄弟たちを力づけてやりなさい」。
*他の弟子たちも、失敗する。
*これは、ペテロがリーダーになることの預言である。
⑦ペテロは、復活のイエスに出会う最初の使徒となる。
2.33~34節
Luk 22:33
シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
Luk 22:34
しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
(1)イエスが死のうとしていることを認めたのは、ペテロが最初である。
①ペテロは、自信過剰であった。
②牢であろうと、死であろうと、どこまでもイエスに付いて行くと言う。
③これは、「自分にはイエスの祈りは必要ではない」という傲慢なことばである。
④人は、成長して初めて、自分ひとりで大きくなったのではないことが分かる。
(2)ペテロのつまずきが予告される。
①マコ14:30
Mar 14:30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
②「鶏が二度鳴く」とは、時間を示す用語である。
*一番鶏は、午前0時。
*二番鶏は、午前3時。
③つまり、ペテロのつまずきが目前に迫っているということである。
Ⅲ.迫害に対する備え(35~38節)
1.35~36節
Luk 22:35
それから、イエスは弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も袋も履き物も持たせずに遣わしたとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。
Luk 22:36
すると言われた。「しかし今は、財布のある者は財布を持ち、同じように袋も持ちなさい。剣のない者は上着を売って剣を買いなさい。
(1)この箇所は、ルカ固有の記録である。
①イエスがともにいたときには、財布、旅行袋、くつを持つ必要はなかった。
②それでも、不足する物はなかった。
③その教えが新しい内容に変更される。文脈が変わると、命令も変化する。
(2)イエスがいなくなるので、これから先は、必要な物は持つ。
①「財布、袋、剣」は文字どおりに解釈すべきか、比ゆ的に解釈すべきか。
②両方可能である。
③比ゆ的解釈では、襲ってくる試練への備えを強調しているという意味になる。
3.37節
Luk 22:37
あなたがたに言いますが、『彼は不法な者たちとともに数えられた』と書かれていること、それがわたしに必ず実現します。わたしに関わることは実現するのです。」
(1)イエスは、イザヤ書53章を引用し、自分に適用する。
①イザヤ書53章がメシアの受難の預言であることを認めない人がいる。
②その人は、イエスの聖書解釈を否定する人である。
(2)弟子たちへの教訓
①イエスは、メシア預言どおりに死ぬ。
②弟子たちは、激しい迫害に遭遇する。
③それゆえ、神への信頼と、霊的備えを確認する必要がある。
4.38節
Luk 22:38
彼らが、「主よ、ご覧ください。ここに剣が二本あります」と言うと、イエスは、「それで十分」と答えられた。
(1)弟子たちは、剣を買うということばを字義どおりに解釈した。
①彼らは、剣2本で敵と戦い、イエスを守ろうとした。
②「それで十分」とは、「It is enough.」である。
③「この話題はここまで」という意味である。
(2)霊的戦いにおいては、物理的な武器は役に立たない。
①私たちに必要なのは、神への信頼と、霊的備えである。
②弟子たちは、ゲツセマネの園での祈りにおいて、眠りこけることになる。
結論
1.ペテロの体験とヨブの体験
(1)イエスはペテロにこれから起こることを予告した。
①サタンがペテロを麦のようにふるいにかけることを許された。
②イエスはペテロのために祈った。
(2)これは、ヨブの体験と似ている(ヨブ1:10~11)。
Job 1:10あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。
Job 1:11しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
(3)霊的戦いの内容
①神は、ご自分の民を試すためにサタンを用いることがある。
②サタンは、ヨブを苦しめる前に神から許可を得る必要があった。
③サタンがもたらす苦しみには、ある限界が設けられた。
④それゆえ、サタンがもたらす苦しみは、耐えられないほどのものではない。
2.1コリ10:13の意味
1Co 10:13あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
(1)クリスチャン生活における試練は、誰もが体験することである。
①使徒たちもまた、そこを通過した。
(2)試練の中での慰め
①神は私たちを、耐えられないほどの試練に会わせるようなことはしない。
②試練とともに脱出の道も備えてくださる。
③大祭司であるイエスが、祈っていてくださる。
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(18)最後のあいさつ13:11~13
ルカの福音書(9)羊飼いたちへの告知2:8~20
コリント人への手紙第二(17)訪問を前提とした勧告12:19~13:10
ルカの福音書(8)イエスの誕生2:1~7
ヨハネの黙示録(9)—7つの封印を開く前の天の様子—
Q425 天にいるイエスのからだには、十字架の傷跡が残っているのでしょうか。