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メシアの生涯(79)—3度目のガリラヤ伝道(1)—
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12使徒の派遣について学ぶ。
「3度目のガリラヤ伝道(1)」
§070 マタ9:35~10:15
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの公生涯は、弟子訓練の段階に入っている。
②3度目のガリラヤ伝道では、弟子たちを2人一組にして、派遣している。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「3度目のガリラヤ伝道」(§70)
マタ9:35~11:1
(3)この箇所を7分割して学ぶ。
①使徒たちを派遣する必要性(9:35~10:4)
②使徒たちへの具体的指示(10:5~15)
③迫害への警告(10:16~23)
④拒否への警告(10:24~33)
⑤拒否の結果(10:34~39)
⑥信じる者への報い(10:40~42)
⑦結語(11:1)
2.アウトライン
<使徒たちを派遣する必要性>(9:35~10:4)
(1)羊飼いのいない羊
(2)12使徒の派遣
<使徒たちへの具体的指示>(10:5~15)
*5つある。
3.結論:
(1)「時代の精神」について
(2)具体的指示の現代的適用について
12使徒の派遣について学ぶ。
<12使徒を派遣する必要性>(9:35~10:4)
Ⅰ.羊飼いのいない羊(9:35~38)
1.35節
「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、
あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた」
(1)メシアの3つの働き
①教えた。教育である。
②御国の福音を宣べ伝えた。宣教である。
③病気をいやされた。医療である。
2.36節
「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに
思われた」
(1)訳語の比較
「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそ
うに思われた」(新改訳)
「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、
深く憐れまれた」(新共同訳)
「また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、
彼らを深くあわれまれた」(口語訳)
(2)群衆の様子
①羊飼いのない羊
②弱り果てて倒れている。打ちひしがれている。
(3)イエスの反応
①かわいそうに思われた。深く憐れまれた。
②ギリシア語では「スプランクニゾマイ」。はらわたが痛くなるという意味。
3.37~38節
「そのとき、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主
に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい』」
(1)現状
①収穫は多い。
②指導者たちはイエスを拒否していたが、民衆レベルでは信じる者が起こされて
いたということ。
③収穫のための働き手が少ない。
(2)祈り
①「収穫の主」とは父なる神。
②「働き手を送ってください」という祈りを捧げる。
③人は、神から派遣されなければ働き手となることはできない。
④12使徒の派遣は、この祈りの結果である。
Ⅱ.12使徒の派遣(10:1~4)
1.1節
「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊ども
を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった」
(1)弟子から使徒へ
①弟子とは、師から学ぶ者。
*ユダヤ的文脈では、ラビに従う「タルミディム」である。
②使徒とは、派遣された者。
*遣わす者の代理人である。
(2)使徒たちには、イエスが持っていたのと同じ権威が付与された。
①悪霊を追い出す力
*悪霊の追い出しをしていたユダヤ人はいたが、弟子たちにその権威を与え
たのはイエスだけである。
②病をいやす力
2.2~4節
「さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟ア
ンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人
マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオ
テ・ユダである」
(1)2人一組で派遣された。
①名前が並んでいる順番に一組になったのであろう。
(2)イスカリオテのユダ
①彼にも他の使徒たちと同じ権威が与えられた。
②彼は、イエスの教えと御業に触れただけでなく、自らその権威を行使した。
③その彼が、後にイエスを裏切るようになるとは、全く不可解である。
<使徒たちへの具体的指示>(10:5~15)
Ⅰ.ユダヤ人だけに語る。
1.5~6節
「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。『異邦人の道に行っ
てはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊の
ところに行きなさい』」
(1)この段階では、ユダヤ人伝道だけが行われる。
①伝えるメッセージは、十字架の福音ではない。
②天の御国の福音は、契約の民だけに向けられたものである。
(2)サマリヤ人も異邦人も除外された。
①マタ28章になって、ようやく異邦人が伝道の視野に入る。
②弟子たちに、大宣教命令が与えられた。
Ⅱ.天の御国の福音を語る。
1.7節
「行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい」
(1)伝えるべきメッセージは、「天の御国が近づいた」というものである。
①バプテスマのヨハネのメッセージと同じ。
②イエスのメッセージとも同じ。
(2)天の御国の福音とは何か。
①イエスは、イスラエルの王として来られた。
②イエスは、タナハ(旧約聖書)が預言するメシアである。
③この方をメシアとして受け入れたなら、メシア的王国は成就する。
④もしユダヤ人たちがイエスを受け入れていた場合はどうなっていたか。
*聖書は沈黙している。
*イエスはローマに逮捕され、やはり十字架にかかっていたであろう。
2.8節
「病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出し
なさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい」
(1)イエスは使徒たちに権威を与えた。
①使徒たちが行う奇跡は、彼らが伝えるメッセージの信憑性を保証した。
Ⅲ.旅の費用を心配する必要はない。
1.9~10節
「胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつ
も、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです」
(1)マコ6:8
「また、彼らにこう命じられた。『旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行って
はいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません』」
①マタイとルカは、余分なものを持って行くなと教えている。
②マルコは、すでに持っているもの以外のものは持って行くなと教えている。
(2)働き人には、神が必要なものを備えてくださる。
Ⅳ.ふさわしい人の家に泊まれ。
1.11節
「どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、そ
の人のところにとどまりなさい」
(1)宿はどうするのか。
(2)「適当な人」
①新共同訳と口語訳では、「ふさわしい人」。
②ギリシア語では、「アクシオス」。
③英語では「worthy」。
④使徒たちを迎えるにふさわしい人という意味。
⑤その人は、天の御国の福音を信じる人である。
⑥その人は、使徒たちに仕える特権に与る。
2.12~13節
「その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしい家
なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあ
なたがたのところに返って来ます」
(1)祝福の祈り
①ふさわしい家なら、祝福はその家に来る。
②ふさわしい家でないなら、祝福は使徒たちに返って来る。
Ⅴ.不信仰の場を去る時は、足のちりを払い落とせ。
1.14節
「もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その
家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい」
(1)劇的な表現
①彼らは使徒たちを拒否した。
②それは、彼らを遣わしたメシアを拒否したことである。
③メシアもまた、彼らを拒否された。
2.15節
「まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町
よりはまだ罰が軽いのです」
(1)不信仰な町々と、ソドムとゴモラが対比される。
①メシアの使徒たちを目撃したのに、不信仰に留まる罪は大きい。
結論:
1.時代の精神について
(1)どの国にも、「時代の精神」というものがある。
①日本の歴史でも、同じことが言える。
②それは、政治、経済、社会体制などによって規定されるが、それだけではない。
③それは、無意識的に「内発的」でもある。
(2)「羊飼いのない羊のよう」とは、時代の精神である。
①イエスが登場する直前の時代の精神は、「メシア待望」であった。
②イエスが登場して以降、民衆は混乱に陥った。
③どの指導者に従えばいいのか、分からなくなったのである。
④ラビたちは、そのほとんどがイエスを拒否した。
⑤しかし、民衆はまだそこまでは行っていなかった。信じる者が起こされていた。
⑥後になって、民衆もイエスを拒否するようになる。
⑦民衆は、それぞれが自分の判断で行動していた。
⑧国家的混乱が、「時代の精神」である。
(3)イエスはそれを憐れんで、使徒たちは派遣された。
①天の御国の福音を信じることが、救われる方法であった。
(4)日本における「時代の精神」とはなにか。
①それぞれの時代に、「時代の精神」というものがあった。
②戦国時代の後に、日本が統一されたことは、大いなる悲劇でもあった。
*権威(お上)が、思想と信仰の自由を束縛した。
*キリシタン禁教令は、その最大の例である。
*民衆がキリスト教を拒否したのではなく、権威がそれを行ったのである。
③キリスト教は邪宗門であるいう理由なき認識が、江戸時代の「時代の精神」と
なった。
④日本を統治する権威は幕末以降変化してきたが、日本古来の「時代の精神」と
江戸時代に醸成された「時代の精神」とは、そのまま生き延びてきた。
*日本は天皇を祭司とする神の国である。
*キリスト教は排除すべき宗教である。
⑤現在の日本の「時代の精神」は、混乱である。
*勝利主義的国家観が再び台頭しつつある。
*大震災以降、悲観的国家観を共有する人たちが増えてきている。
*多くの若者が、将来への希望を見い出せなくなっている。
(例話)「半沢直樹」(視聴率42.2パーセント)
(5)このような「時代の精神」に対して、御国の大使として派遣される必要がある。
①使徒たちの派遣は、他人ごとではない。
②働き人を送ってくださいとの祈りは、自らが働き人となるという決断を迫る。
③献身の形態を狭く捉えてはならない。
*フルタイムの献身は尊いことである。
*しかし、万人祭司の教えを思い出すべきである。
*自給伝道には、大きな可能性がある。
2.具体的指示の現代的適用について
(1)この文脈で語られたことを、そのまま私たちに適用することはできない。
①生活の準備をしないで宣教地に向かう宣教師はいない。
(2)ただし、普遍的原則は適用できる。
①異邦人にもユダヤ人にも、福音を語る。
②イエス・キリストの福音を語る。
③余計なものを人生のゴールとしない。
④信仰の友を同労者とする。
*奉仕し、奉仕される関係
⑤拒否されることを恐れない。
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