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メシアの生涯(63)—悔い改めない町々—
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このメッセージは、イエスにある休息について学ぼうとするものである。
「悔い改めない町々」
§058 マタ11:20~30
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆に向かって話し始めた。
②イエスはヨハネを非常に高く評価された。
③イエスは、不信仰な時代を責めた。
(2)初臨においては、裁きはメシアの中心的な使命ではない。
①しかし、イエスは罪を糾弾された。
②きょうの箇所では、特に不信仰な3つの町が取り上げられている。
(3)聖書が教える裁きの原則:祝福や特権を多く受けた者には、多くの責任が伴う。
①アモ3:2
「わたしは地上のすべての部族の中から、あなたがただけを選び出した。それゆ
え、わたしはあなたがたのすべての咎をあなたがたに報いる」
②ルカ12:48
「しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打た
れても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任さ
れた者は多く要求されます」
③ロマ2:12
「律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯
した者はすべて、律法によってさばかれます」
(4)ガリラヤ湖畔の4つの町
①コラジン
②ベツサイダ
③カペナウム
④テベリヤ
*今日、テベリヤだけが町として栄えている。
(5)A.T.ロバートソンの調和表
機会を与えられた町々の上に呪いを宣告するイエス(§58)
2.アウトライン
(1)不信仰な町々の叱責(20~24節)
(2)不信仰の理由(25~27節)
(3)休息への招き(28~30節)
3.結論:現代的適用
(1)終末的裁きについて
(2)休息について
このメッセージは、イエスにある休息について学ぼうとするものである。
Ⅰ.不信仰な町々の叱責(20~24節)
1.20節
「それから、イエスは、数々の力あるわざの行われた町々が悔い改めなかったので、責め
始められた」
(1)祝福を受けた者の責任は、大きい。
①町々とは、その町の住民たちのことである。
②イエスは、それらの町々で数々の奇跡を行われた。
③それでも彼らは、悔い改めなかった。
2.21~22節
「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行われた力あるわざが、もしもツ
ロとシドンで行われたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改
めていたことだろう。しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばき
の日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ」
(1)この箇所から、情報不足を痛感させられる。
①コラジンに関しては、福音書に情報がない。
②ベツサイダに関しては、若干の情報がある。
③ヨハ21:25
「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書
きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う」
(2)イスラエルの2つの町と異邦人の2つの町が対比させられている。
①コラジンとベツサイダ対ツロとシドン
②両者に共通するのは、ともに不信仰の町であるということ。
③異なるのは、前者がメシアに直接触れ、多くの奇跡を目撃したということ。
④もしツロとシドンが同じことを目撃していたなら、彼らはとうの昔に悔い改め
ていたことだろう。
(3)ツロとシドンへの裁きの預言は、エゼ26~28章にある。
①彼らは、偶像礼拝と罪のゆえに裁かれる。
②しかし、彼らの上に下る裁きよりも、イスラエルの2つの町に下る裁きの方が
より厳しいものとなる。
3.23~24節
「カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされる
のだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドム
はきょうまで残っていたことだろう。しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言
うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ」
(1)カペナウムとソドムとが対比させられている。
①カペナウムは、特に特権に与った町である。
②イエスはここを伝道の拠点とされた。
③ソドムは、淫乱の罪のゆえに裁かれた(創19章)。
④もしソドムが同じ特権に与っていたなら、ソドムは悔い改め、滅びることはな
かったであろう。
(2)裁きの日には、カペナウムはソドムに下ったもの以上の罰を受ける。
Ⅱ.不信仰の理由(25~27節)
1.25~26節
「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえま
す。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいまし
た。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした』」
(1)この箇所は、ヨハ14~17章のイエスの祈りを思わせる。
①イエスは、父に呼びかけておられる。
②イエスは、ガリラヤの町々の不信仰のゆえに、絶望しているわけではない。
③この状況が父の御心に叶っていることを認め、御名を賛美している。
(2)御名を賛美する理由
①「賢い者や知恵のある者には隠して、」
*当時のユダヤ教のリーダーたちのことである。
②「幼子たちに現してくださいました」
*幼子のような信頼をもって近づく人のことである。
(3)1コリ1:26~27
「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くは
なく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵あ
る者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、
この世の弱い者を選ばれたのです」
(4)イエスの真意
①イエスは、裁きを喜んでいるわけではない。
②知者たちに対して光を遮断しているわけでもない。
*彼らがイエスを拒否することを選べば、イエスの光を遮断する。
③信じない人がいれば、信じる人もいるという事実に、慰めを見い出している。
2.27節
「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、
子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る
者がありません」
(1)父と子の深遠な関係が表現されている。
(2)「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています」
①永久のアオリスト(timeless aorist)である。
②マタ28:18も同じである。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」
③これは、イエスの神性宣言である。
(3)「父のほかには、子を知る者がなく、」
①イエスの本質は、人であり神である。
②このことを真の意味で理解できるのは、父しかいない。
(4)「子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者があり
ません」
①人は自力で父を知ることはできない。
②イエスは私たちに父を示すことができる。
③御子を知った者は、父を知ったのである。
④ヨハ14:7
「あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。し
かし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです」
Ⅲ.休息への招き(28~30節)
1.28節
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあな
たがたを休ませてあげます」
(1)不信仰な町々を叱責しながらも、真理を求める人たちを招いておられる。
①「すべて、疲れた人、重荷を負っている人」
*罪の重荷
*あるいは、口伝律法の重荷
(2)信仰の対象は、イエスである。
2.29~30節
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わ
たしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやす
く、わたしの荷は軽いからです」
(1)「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」
①これはラビ用語で、イエスの学校に入学することを意味する。
②これは、ラビ的ユダヤ教を出て、イエスの学校に来なさいという招きである。
③今みなさんは、「わたしから学びなさい」という命令を実行している。
(2)魂に安らぎが与えられるという約束がある。
①イエスは、「わたしは柔和で謙遜な者だから、」(新共同訳)と言われた。
②口伝律法や罪の重荷と比較して、イエスのくびきは負いやすい。
結論:現代的適用
1.終末的裁きについて
(1)マタ11:20~23は、ハデスでの裁きが均一ではないことを教えている。
①多くの光が与えられた者は、より厳しい裁きを受ける。
②不信者は最後に「火の池」に行くが、苦しみの度合いは異なる。
(2)信者が受ける報酬にも軽重がある。
「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を
据えることはできません。この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで
家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにさ
れるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなも
のであるかを吟味するからです。だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その
人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火
の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」(1コリ3:11~15)(新共同訳)
2.休息について
マタ11:28
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしが
あなたがたを休ませてあげます」
(1)イザ45:22
「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかに
はいない」
(2)ヨハ1:12
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子ど
もとされる特権をお与えになった」
(3)ヨハ6:35
「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢える
ことがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません』」
(4)ヨハ7:37~38
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれで
も渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言
っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる』」
(5)マタ9:20~21
「すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、そ
の着物のふさにさわった。『お着物にさわることでもできれば、きっと直る』と心の
うちで考えていたからである」
(6)1ヨハ4:2
「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それに
よって神からの霊を知りなさい」
(7)ロマ6:23
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエ
スにある永遠のいのちです」
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