私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(52)—八福の教え—
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このメッセージは、八福の教えの本質について学ぼうとするものである。
「八福の教え」
§054 マタ5:3~12、ルカ6:20~26
1.はじめに
(1)文脈の重要性
①文脈を無視して、山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い。
②イエスは、神の国の福音をもたらされた。
③当時のユダヤ人たちの関心事
*自分の義は、神の国に入るにふさわしいものか。
④彼らが教えられていた唯一の義は、パリサイ人の義であった。
*口伝律法を行うことによる義である。
⑤イエスは、信仰による義を紹介された。
(2)山上の垂訓の本質
①山上の垂訓は、「メシアによる律法解釈」である。
*パリサイ人は、律法の外面的な服従にこだわった。
*イエスは、内面的服従と、外面的服従の両方を強調した。
②山上の垂訓は、救いの道を示したものではない。
*もしそれが救いの道を示したものであるなら、業による救いが可能となる。
*聖書が教える方法は、常に、信仰と恵みによるものである。
③山上の垂訓は、現代のクリスチャンに適用すべきものではない。
*もしそうなら、私たちは、613のモーセの律法を実行せねばならなくなる。
*ただし、山上の垂訓から多くの教訓を学ぶことができる。
*新約時代の律法とは、「キリストの律法」(ガラ6:2)のことである。
*山上の垂訓の教えの多くが、「キリストの律法」に登場する。
*十戒の内九戒までが、「キリストの律法」に登場する。
(3)八福の教えの本質
①信仰による義を獲得した人たちの特徴(すでに得た)。
*イエスをメシアと信じる信仰
②信仰による義を獲得した人たちが目指すべき目標(完成への途上にある)。
③神に全面的に信頼した結果、内面の変化を経験する。
④外面のみを強調するパリサイ的義とは異なる。
2.アウトライン
(1)神の前での謙遜
(2)悔い改め
(3)神の恵みへの信頼
(4)神の義への渇望
(5)責任転嫁からの脱却
(6)信仰の結果
(7)キリストの紹介
(8)迫害
3.結論:八福の教えと新約時代のクリスチャン
このメッセージは、八福の教えの本質について学ぼうとするものである。
Ⅰ.神の前での謙遜
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」 (3節)
(1)物質的貧しさとは違う。
①経済的弱者、社会的弱者は、神の愛の対象である。
②と同時に、裕福な者も神に愛されている。
(2)内面的な貧しさである。
①現実的に、客観的に、自己評価ができている人
②自分の義に信頼を置いていない人
③傲慢(プライド)とは正反対の性質を持った人
④神にのみ信頼を置いている人
(例話)綿畑に投資した人が財産すべてを失った。
Ⅱ.悔い改め
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから」 (4節)
(1)人生で味わうさまざまな悲しみとは違う。
(2)罪に関する悲しみのことである。
①罪に対する感受性が豊かな人
②結果として、神に対して罪を告白する人
(3)イザ61:3
「シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、
憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光
を現す【主】の植木と呼ばれよう」
①シオンの悲しむ者たちとは、信仰による義人たちである。
②彼らは、頭に灰をかぶり、断食をし、喪に服したような状態である。
③神は彼らに喜びを与え、彼らを祝福される。
④彼らは、「義の樫の木、栄光を現す【主】の植木」と呼ばれる。
Ⅲ.神の恵みへの信頼
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから」 (5節)
(1)モーセのような人(民12:3)
「モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(口語訳)
(2)主イエスのような人(マタ11:29)
「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたし
に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」 (口語訳)
(3)静かで、動じることのない強さを持った人
①神への絶対的な信頼がある。
②神の権威を認め、それに従っている。
③神の恵みによって生きている。
④自分を実態以上に大きく見せる必要はない。
(4)詩37:11
「しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる」(口語訳)
Ⅳ.神の義への渇望
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから」 (6節)
(1)飢え渇きは人間の本能である。
①食物
②愛
③神
(2)ここでは、霊的な意味で、飢え渇きという言葉が使用されている。
①完全な基準に基づいて生きたいという願い
②この文脈では、モーセの律法が完全な基準である。
③聖い生活への渇望
Ⅴ.責任転嫁からの脱却
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから」 (7節)
(1)自分に厳しく、他者にやさしい人
①他者の必要に敏感に答える人
(例話)罪を犯した直後のアダムとエバ
(2)詩18:25
「あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、」
(3)箴11:17
「いつくしみある者はおのれ自身に益を得、残忍な者はおのれの身をそこなう」
(口語訳)
Ⅵ.信仰の結果
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから」 (8節)
(1)これこそ、信仰による救いの結果である。
①魂の奥底に真理が宿っている。
(2)正しい動機で行動を起こしている。
①神に喜ばれる行為を行っている。
②これは、パリサイ人の義と大いに異なる点である。
(3)「神を見る」
①イエスが神であることを認識する。
②神を実感として感じることができるようになる。
(4)詩24:3~5
「だれが、【主】の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。手が
きよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかっ
た人。その人は【主】から祝福を受け、その救いの神から義を受ける」
Ⅶ.キリストの紹介
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」 (9節)
(1)政治的平和とは無関係の箇所である。
(2)キリストを伝達する人
(3)信者同志の間に平和をつくる人
Ⅷ.迫害
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。わたし
のために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、
あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大き
いから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです」
(10~12節)
(1)常に神の基準によって生きている人
①たとえ迫害が来ても、生き方を曲げない。
(2)イエスをメシアと信じたユダヤ人にとっては、迫害は現実的なことであった。
(3)2テモ3:12
「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けま
す」
結論:
1.八福の教えは、信仰による義を得た者の特徴を示している。
(1)と同時に、信仰者が生きるべき目標を示している。
2.八福の教えを実行することによって、義とされるのではない。
(1)いかなる律法を行ったとしても、それによって義とされることはない。
3.では、そのようにして八福の教えを実行することができるのか。
(1)悲劇的信仰者の姿
①最大の悲劇は、律法を行うことによって聖化を達成しようとすること。
②この理解は、クリスチャン生活を律法主義的生活に追い込む。
(2)ロマ書7章クリスチャンとロマ書8章クリスチャンの違い
①前者は、自分で自分に重荷を課している。
②その人が苦しむのは、自然の成り行きである。
③後者は、聖霊の導きで歩む。
④その結果として、祝福と平安が与えられる。
(3)ロマ8:3~4
「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくだ
さいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わし
になり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従っ
て歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」
①キリストを信じた瞬間、私たちは罪に対して死に、解放された。
②その結果、御霊に従って歩む自由が与えられた。
③御霊に従って歩むなら、結果的に律法の要求が全うされる。
④これが聖化である。
⑤すべての鍵は、「位置的真理」を思い出すことである。
(4)昇天のイエスは、大祭司として執りなしをしておられる。
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