使徒の働き(62)―アテネでの伝道(1)―

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第二次伝道旅行について学ぶ。

「アテネでの伝道(1)」
使徒17:16~21

 

1.はじめに
(1)パウロの旅程
 ①マケドニア州でのパウロ伝道が終わった。
  *ピリピ、テサロニケ、ベレア
 ②ここから、アカヤ州での伝道が始まる。
 ③地図の表示
 ④アテネでの伝道は、パウロの当初の計画に入っていなかった可能性がある。
 ⑤考えられる当初の計画は:
  *マケドニア州をそのまま西に向い、反対側の海岸に出る。
  *そこから船に乗り、直接ローマに行く。
 ⑥ロマ1:13
Rom 1:13
兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。
 ⑦ローマに行かなかった理由は:
  *ローマからのユダヤ人追放令が出された直後である。
  *マケドニア州を安全に移動することができなくなった。

 

(2)写真5点
 ①パルテノン神殿①と②
 ②アレオパゴス①と②
 ③アゴラ

 

(3)アウトライン
 ①偶像で満ちた町(16節)
 ②広場での伝道(17~18節)
 ③アレオパゴスに連行されるパウロ(19~21節)

 

結論:
1.パウロによる偶像礼拝の糾弾
2.ギリシア哲学とキリストの福音の対峙

 

アテネでの伝道(1)について学ぶ。
Ⅰ.偶像で満ちた町(16節)
1.16節
Act 17:16 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。
(1)アテネ
 ①エーゲ海から8キロ内陸に入った所にある町である。
 ②ギリシアの中心都市であり、民主主義発祥の地としても有名である。
 ③アテネの黄金時代は約500年前に終わっていた。
  *前4~5世紀の文化的、政治的な功績により、ヨーロッパに影響を与えた。
  *パウロが訪問した時には、第一級の都市としての地位は失っていた。
 ④しかし、大学都市としての地位は保っていた。
  *アレキサンドリア、タルソ、アテネ
 ⑤また、ローマ帝国内における哲学、芸術、文学の中心都市でもあった。

 

(2)ここでパウロは、シラスとテモテの到着を待っていた。
 ①ふたりは、ベレアに留まっていた。
 ②恐らく、パウロが待っていた期間は、ほんの1週間程度であろう。
 ③その間、パウロは単独で伝道を開始する。
 ④その理由は、「心に感じた憤り」である。

 

(3)「町が偶像でいっぱいなのを見て、」
 ①アテネという名は、女神アテナに敬意を表するために付けられたものである。
 ②アクロポリスの上にはパルテノン神殿が建っている(アテナを祀る神殿)。
 ③この町は、数多くの神殿と彫刻された像で満ちていた。
 ④パウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。
  *現代の私たちにとっては、アテネの遺跡は文化遺産である。
  *パウロにとっては、それらの建造物は偶像礼拝の反映である。
  *パウロは、ギリシア・ローマ風の都市に慣れていた。
  *しかし、アテネの偶像礼拝は、許容限度を超えていた。
  *ペトロニウスという風刺作家はこう書いている。
   「アテネでは、人間を見つけるよりも偶像を見つける方が容易である」

 

Ⅱ.広場での伝道(17~18節)
1.17節
Act 17:17 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。
(1)パウロが採用した伝道の原則
 ①使17:2~3(テサロニケでの伝道)
Act 17:2 パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
Act 17:3
そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。
 ②先ずユダヤ人に、次に異邦人に。
 ③旧約聖書のメシア預言を基に、イエスこそキリストであると論じた。

 

(2)パウロは、アテネでも同じ伝道の原則を実施した。
①安息日に会堂を訪問し、ユダヤ人や神を敬う異邦人たちと論じた。
 ②ユダヤ人伝道を実行した後、直ちに異邦人伝道を開始した。

 

(3)週日には、広場(アゴラ)に行って、そこに居合わせた人たちと論じた。
 ①彼らは、異教徒の異邦人たちである。
 ②アゴラは、公の市場であり、公園であり、町の中心である。
 ③そこは、巡回教師たちが人々に知識を伝える場所となっていた。
 ④そこには、議論好きの人たちが集まっていた。
 ⑤議論好きの人たちの中に、哲学者もいた。
  *エピクロス派の学者とストア派の学者
  *この2つは、当時のギリシア哲学の代表的な学派である。

 

2.18節
Act 17:18
エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。
(1)エピクロス派
 ①創始者は、エピクロス(前341~270年)である。
 ②この学派の教えの基本は、唯物論に基づく快楽主義である。
  *快楽主義と言っても、欲望の充足を求めるようなものではない。
  *快楽とは、欲望、苦痛、死の恐怖から解放された平静な状態のことである。
  *エピクロス自身は、肉体的快楽をむしろ「苦」と考えた。
 ③たとえ神々が存在したとしても、人間に関心を持ったりはしない。
 ④それゆえ、体系化された宗教は悪である。
 ⑤死はすべての終わりである。
 ⑥彼らは、世俗的不可知論者である。

 

(2)ストア派
 ①創始者は、ゼノン(前340~265年)である。
 ②破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるので、自然との調和が必要である。
 ③賢人(道徳的・知的に完全な人)は、破壊的な衝動に苛まれることはない。
 ④賢人は、宇宙理性としてのロゴス(神)が世界に遍在することを知っている。
 ⑤いっさいの事象は、そのロゴス(神)の摂理によって必然的に生起する。
 ⑥賢人とは、内心の理性にのみ聴く人である。
 ⑦賢人は、アパティア(悟りの境地)に入り、真の幸福に到達することができる。
 ⑧この学派の特徴は、「人間の理性」に対する絶対的な信頼である。
  *彼らは、相当に傲慢であったと言われている。
 ⑨この立場は、キリスト教の人間理解とは正反対のものである。
 ⑩彼らは、汎神論者である。
 ⑪また、運命論者である。

 

(3)哲学者たちは、2つの反応を示した。
 ①「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」
  *「おしゃべり」とは、鳥が蒔かれた種をついばむ様子から出た言葉である。
  *パウロのことを、あちこちから教えをつまみ食いしてきて、それをさも自
分のものであるかのように語っている安物教師と考えたのである。
 ②「彼は外国の神々を伝えているらしい」
  *パウロは、イエスとその復活を伝えていた。
  *彼らには、その意味が全く理解できなかった。

 

Ⅳ.アレオパゴスに連行されるパウロ(19~21節)
1.19~20節
Act 17:19
そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。
Act 17:20 私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」
(1)哲学者たちは、パウロの語ることに興味を示した。
 ①彼らは、新しい教えを聞くことに喜びを覚えていた。
 ②そのために生きているようなものである。

 

(2)彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行った。
 ①招かれたのか、出頭命令を受けたのかは、明らかではない。
 ②アレオパゴスは、場所を指す場合と、評議会も指す場合がある。
  *場所の場合は、マルスの丘である。
  *評議会の場合は、アゴラの中の建物である。
 ③この評議会は、アテネ政治における貴族勢力の牙城である。
  *30人の議員がいた。
  *ローマの元老院のような役割を果たした。
 ④この評議会は、宗教、道徳、教育に対する権威を有していた。
 ⑤また、巡回教師たちの教えや活動を吟味する役割も果たしていた。

 

(3)当時のローマ法では、新しい宗教を伝えることは違法とされていた。
 ①アテネの哲学者ソクラテスは、前399年に、伝統的な神々を否定し若者を惑わ
す危険思想を教えたとして有罪になり、刑死した。
 ②パウロに起こったことは、裁判そのものではなく、聴聞である。
 ③パウロもまた、ある種の危険に晒されていたのである。

 

2.21節
Act 17:21 アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。
(1)ルカは、アテネ文化に詳しくない読者のために、挿入句を書いている。
 ①アテネの住民たちは、新しい情報に異常なほどの関心を持っていた。
 ②それゆえ、パウロはアレオパゴスで証言する機会を得たのである。

 

結論:アテネでの伝道(1)から学ぶ教訓
1.パウロによる偶像礼拝の糾弾
(1)ユダヤ人たちは、元来偶像礼拝に走る傾向のある民であった。
(2)しかし、バビロン捕囚を経験して以降、偶像礼拝から解放された。
(3)アテネは、500年前に最盛期を迎えていた。
 ①ペリクレス(前495~429年)が、アテネの最盛期を築き上げた。
 ②主な建造物は、この時代に建設された。
 ③アテネの芸術は、偶像礼拝の反映である。
(4)アテネの最盛期に、イスラエルで起こっていたこと
 ①ネヘミヤ記に記された出来事(前445~420年)
 ②捕囚期後の預言者たちの奉仕(ハガイ、ゼカリヤ、マラキ)
(5)イスラエルが神に立ち帰っていた時期に、アテネは偶像礼拝を広めていた。
(6)パウロは、イエスを信じるユダヤ人として偶像礼拝に強く反発した。
 ①ロマ1:22~25
Rom 1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
Rom 1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
Rom 1:24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
Rom 1:25
それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。

 

2.ギリシア哲学とキリストの福音の対峙
(1)ギリシア哲学者たちは、ヘレニズム思想の代弁者である。
 ①世界の知的センターが、偶像礼拝を生み出していた。
 ②アテネの偶像礼拝は、人間性や自然の力を神格化したものである。
 ③動物を神格化するよりもましであるが、人間を引き上げる力はない。
 ④彼らが語っていることは、人間の知恵から生まれたことである。
  *世俗的不可知論
  *汎神論

 

(2)その彼らにパウロは、イエスの死と復活を宣べ伝えた。
 ①人の知恵と神の知恵とがぶつかり合う。
 ②そして、前者は後者をあざ笑うのである。
 ③今日、アテネの偶像たちは、遺跡としてしか存在していない。
 ④しかし、パウロが伝えた福音は、今も世界に広がり続けている。

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