私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q209 セカンドチャンスは ありますか。
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
福音を信じないまま死んでも、死後にまだ救われるチャンスが残されているというのが「セカンドチャンス論」です。
死んでからなら誰でも神様を信じられそうですが、聖書にはなんと「死んでも信じなかった人」の実例も書かれています。
209 セカンドチャンスはありますか。
Q :私は、アメリカに住むプロテスタントのクリスチャンです。日本に帰国して行った教会 の信者さんから、セカンドチャンスを信じていると聞きました。私は、セカンドチャンスはないと思っていますが、どう考えたら良いのでしょうか。
A:セカンドチャンス論とは、イエス・キリストの福音を信じないで死んでも、死後に再度信じる機会が与えられるという教えです。人間的には、非常に魅力的な教えですが、聖書的ではありません。セカンドチャンス論について、いつものように3つ申し上げます。
1 番目に、福音を信じないで死んだ人は、自分の行いに応じて裁かれます。
ヘブル書9章27節は、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と教えています。 その裁きは、黙示録20章11~15節では、「大きな白い御座の裁き」と呼ばれています。死んだ人々が御座の前に立たされ、数々の書物ともう一つの書が開かれます。数々の書物には、各人が生前に行った行為が記されています。もう一つの書は、「いのちの書」と呼ばれます。そこには、誕生した人すべての名が記されていますが、不信者のままで死ぬと、その名はいのちの書から消されます。
白い御座の裁きは、2段階で行われます。①いのちの書に名が記されていないことを確認し、②数々の書物に基づいて裁きが行われます。信者は、いのちの書に名が記されているので、白い御座の裁きを受けることはありません。
2 番目に、仮にセカンドチャンスが与えられたとしても、不信者は福音を信じません。
ルカ16章19~31節で、イエスは、貧しい人ラザロと金持ちの話をしておられます。死後、ラザロはアブラハムのふところ(天国)に行き、金持ちはよみ(地獄)に行きます。金持ちは、よみで大いに苦しんでいますが、悔い改めようとはせず、アブラハムに向って、ラザロを自分の家族に送って欲しいと懇願するのみです。アブラハムは、「彼らには聖書があるのだから、その言うことを聞けばよい」と答えます。
この話から分かるのは、人の心は死んだだけでは変わらないということです。人間の心は神に敵対しており、顔と顔を合わせて神を見ただけでは、悔い改めないのです。
3 番目に、生きている限りは、何度でもチャンスは与えられます。
セカンドチャンスがないというのは、死んだ人の場合であって、生きている人には適用されません。生きている間は、セカンドチャンスどころか、何度でも悔い改めの機会が与えられます。神は、憐れみ深く、忍耐深いお方です。神は、何度も失敗してきたあなたを、今招いておられます。今は恵みの時、救いの時です。
亡くなった方のことは、神にお委ねしましょう。神は、愛と義によって正しく判断しておられます。
参考になる聖句
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」 (ヘブ9:27)
セカンドチャンス論は、聖書的な教えではありません。
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(13)批判する者たちへの反論10:1~18
Q421 天国でも性別は存在しますか。
イスラエル旅2023#088中川牧師とめぐる旅:【エルサレム旧市街】4つの地区とエルサレムの再統一
コリント人への手紙第二(14)パウロと偽使徒の違い(1)11:1~15
コリント人への手紙第二(12)エルサレム教会への献金(3)-喜んで与える祝福―9:1~15
Q420 頭に燃える炭火を積むとはどういう意味ですか。