私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ローマ人への手紙(50)—二重国籍者への勧め(2)—
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クリスチャンの地上生活について学ぶ。
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「二重国籍者への勧め(2)」
1.はじめに
(1)文脈の確認
①1~8章が教理
②9~11章がイスラエルの救い
③12~16章が適用
(2)12章は、基本的には教会内の行動についての勧めであった。
(3)13章は、二重国籍者への勧めである。
①国家との関係(1~7節)
②愛の律法(8~10節)
③決断の時(11~14節)
2.アウトライン
(1)愛の律法(8~10節)
(2)決断の時(11~14節)
3.メッセージのゴール
(1)利己的解釈の例
(2)時代の影響を受けた解釈の例
(3)ユダヤ的視点を失った解釈の例
このメッセージは、クリスチャンの地上生活について学ぼうとするものである。
Ⅰ.愛の律法(8~10節)
1.8節(返すべき負債と、返せない負債)
「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについ
ては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです」
(1)「あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい」(7節)とあった。
①この言葉に触発されて、隣人との関係おける義務に話題が移ったのであろう。
(2)「何の借りもあってはいけません」とは、単なる借金以上のものを意味している。
①これは、銀行からの借り入れを禁止しているのではない。
②人の世話になりっぱなしではいけないということ。
(3)「ただし、互いに愛し合うことについては別です」
①互いに愛し合うという「借り」は、完済不可能なものである。
②それは、利子を支払っているようなものである。
③ここでの愛は、「アガペ」の愛、自己犠牲の愛である。
④ヨハ13:34~35
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあ
なたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に
愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての
人が認めるのです」
(4)「他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです」
①「他の人」とは、教会外の人も含む。
②隣人とは、私たちの周りにいる必要を抱えている人たちのこと。
③外面的な行為だけでは、律法を守ったことにならない。
2.9~10節(モーセの律法の要約)
「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』という戒め、またほかにどんな戒めがあっ
ても、それらは、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』ということばの中に要約さ
れているからです。愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします」
(1)十戒の「隣人との関係」の部分だけを引用している。
①姦淫するな。第7戒。
②殺すな。第6戒。
③盗むな。第8戒。
④むさぼるな。第10戒。
(2)レビ19:18
「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあな
た自身のように愛しなさい。わたしは【主】である」
①「トーラ(律法)の一般原則の最高峰は、レビ19:18である」(ラビ・アキバ)
②マタ22:39
「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同
じようにたいせつです」
③ガラ5:14
「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもっ
て全うされるのです」
(3)愛の命令は、ロマ8:1~4の真理によって可能となる。
「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決して
ありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の
原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはでき
なくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、
罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それ
は、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるた
めなのです」
①ロマ書7章クリスチャンに逆戻りしないように注意する必要がある。
②ロマ書8章クリスチャンの特徴
*「キリストにあって」
*「御霊によって」
Ⅱ.決断の時(11~14節)
1.11節(今という時代の認識)
「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あ
なたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころ
よりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです」
(1)「今がどのような時か知っているのですから」
①クロノス(直線的な時間の流れのこと)
②カイロス(終末的時、決断の時)
(2)「私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいている」
①救いの3要素(義認、聖化、栄化)
②ロマ8:23
「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめ
きながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを
待ち望んでいます」
③ここでの「救い」とは、復活か、携挙である。
④クリスチャン生活の一日一日が、そこに近づく過程である。
(3)それゆえ、今は「眠りからさめるべき時刻」である。
①怠惰なクリスチャン生活からの覚醒
2.12~13節(霊的覚醒の勧め)
「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の
武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではな
く、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか」
(1)闇と光の対比が語られている。
①主イエス
②ヨハネ
③クムラン文書(死海写本)
(2)「夜」とは何か。
①キリストが地上を去っておられる状態
②サタンがこの世を支配している状態
③2コリ4:4
「その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリス
トの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです」
④6つの悪徳は、「夜」の生活の特徴である。
⑤特に、ローマ帝国末期の特徴である。
⑥訳の比較(12節)
「やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか」(新改訳)
「だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」(新共同訳)
*闇の行いを、ナイトガウンを脱ぐように脱ぎ捨てる(アポティセイミ)。
*「光の武具」とは、キリストの性質のこと。
(3)「昼」とは何か。
①キリストの現れ(再臨)
②ヨハ14:2~3
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたが
たに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くの
です。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを
わたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」
③愛の実践は、「昼」の生活の特徴である。
3.14節(まとめ)
「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません」
(1)キリストを着るとは、キリストの性質を身に付けること。
①キリストの内にあるという認識が重要である。
(2)ガラ3:27
「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその
身に着たのです」
(3)「肉」とは古い性質のこと
結論:
1.利己的解釈の例
(1)ロマ13:1~7の誤用に注意する。
(2)教会内の指導者と会衆の関係については、他の聖句がある。
(3)1ペテ5:1~5
「そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの
苦難の証人、また、やがて現れる栄光にあずかる者として、お勧めします。あなたが
たのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従
って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めて
それをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではな
く、むしろ群れの模範となりなさい。そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたが
たは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。同じように、若い人たちよ。長老
たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へり
くだる者に恵みを与えられるからです」
①指導者は、会衆に対して説明責任を負っている。
②指導者が聖書から逸脱している時は、従うべきではない。
2.時代の影響を受けた解釈の例
(1)「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
(2)今は、「self-esteem」が強調される時代である。
①自尊心、自負心、自己尊重の強調
(3)この聖句は、「自己愛」を自然の感情として理解している。
①「自分を愛せよ」という命令はない。
②アガペの愛は、自分に向かうものではない。無私の愛である。
③自分に関心を向けることは、罪の本質である。
(4)セルフイメージの低い人への助言は、いかにあるべきか。
①キリストにあって、本来の自分を回復する。
3.ユダヤ的視点を失った解釈の例
(1)クリスチャン生活の動機は、終末論にある。
(2)キリスト教は、歴史観である。
①世的歴史観は、この世がいつまでも続くという前提に立っている。
②聖書の歴史観は、歴史はゴールに向かって進んでいると考える。
(3)初代教会の信者たちの認識:再臨は近い。
①批判的意見:彼らは、間違っていた。2千年が経過している。
②正しい理解
*イエスは終末を来らせた。
*それ以降の時代は、イエスを信じるために用意された決断の時である。
*人類の歴史は、イエス以降、エピローグの時代に入っている。
(4)ユダヤ人の救いを論じなくなった時、何が起こったか。
①教会時代が千年王国であるという認識
②終末時代に対する興味の喪失
③キリストの再臨に関する無知
④クリスチャン生活の動機の喪失
⑤1テサ5:4~5
「しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、
盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ど
も、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません」
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