私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ローマ人への手紙(33)—確信と賛美の歌—
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大いなる救いを与えてくださった神を賛美する。
チャート「神の義の啓示」
「確信と賛美の歌」
1.はじめに
(1)救いの3つの側面は、すべて信仰により、恵みによって達成される。
①義認(過去形)
②聖化(現在進行形)
③栄化(未来形)
(2)この箇所は、1~8章のまとめとなっている。
①神学的議論というよりは、賛美の歌であり、礼拝である。
②3の疑問文(修辞的疑問文)を中心に見ていく。
2.アウトライン
イントロダクション(31節)
「では、これらのことからどう言えるでしょう」
(1)疑問文その1(31~32節)
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」
(2)疑問文その2(33節)
「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか」
(3)疑問文その3(34節)
「罪に定めようとするのはだれですか」
結論(35~39節)
3.メッセージのゴール
(1)1~8章のまとめ
(2)9~11章の展望
(3)12~16章の準備
このメッセージは、大いなる救いを与えてくださった神を賛美するためのものである。
イントロダクション(31節)
「では、これらのことからどう言えるでしょう」(新改訳)
「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか」(新共同訳)
1.「これらのこと」とは何か。
(1)1~8章全体か
(2)直前の文脈か
(3)すべて、信仰により、恵みによって与えられたものである。
2.ロマ8章に書かれていた祝福を列挙する。
(1)私たちは、神の養子とされた(15節)。
「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子と
してくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます」
(2)私たちは、キリストとの共同相続人とされた(17節)。
「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに
受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの
共同相続人であります」
(3)救いの保証として御霊を受けた(23節)。
「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきな
がら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望ん
でいます」
(4)聖霊の執りなしがある(26節)。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように
祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによ
って、私たちのためにとりなしてくださいます」
(5)罪の赦しと栄化の保証が与えられている(30節)。
「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認め
た人々にはさらに栄光をお与えになりました」
3.真理は私たちを自由にし、私たちを賛美する民に変える。
Ⅰ.疑問文その1(31~32節)
1.31節a
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」
(1)特に、試練に会ったときに発する疑問である。
(2)神は私たちの側についておられる。
①神+私(たった一人でも)=多数
②つまり、私たちに敵対できる人(もの)は存在しないということ。
2.32節
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、
御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」
(1)背景にあるのは、アブラハムがイサクを捧げた出来事である。
①創22:12
「御使いは仰せられた。『あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何
もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あ
なたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた』」
②創22:16
「これは【主】の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このこ
とをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、」
③「ひとり子」
*アブラハムとイサクは、同じ本質を持っていた。
*父なる神とイエスは、同じ本質を持っている。
(2)「惜しまずに」は、「フェイドマイ」という動詞である。
①LXXの訳では、創22:12と16の「惜しまないで」が「フェイドマイ」である。
②イサクは死なずに済んだが、イエスは死なれた。
(3)ラビ的議論である。大から小への議論。
①大は、ご自分の御子をさえ惜しまれなかった。
②小は、すべてのものを、私たちに恵んでくださる。
*「すべてのもの」とは、被造の世界すべて。
(4)「ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された」
①日本語訳はすべて「死に渡された」となっている。
②原文では、「渡された」だけで、「死」という言葉は補足である。
③この補足によって、意味が狭められたのは残念である。
④ヨハ3:16との関連で、「渡された」という言葉を理解する。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御
子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(5)私たちの神は、その本質において「与える神」である。
Ⅱ.疑問文その2(33節)
1.33節a
「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか」
(1)「訴える」は、エンカレオウという動詞である。
①これは法廷用語である。
②時制は、未来形である。
③想定されているのは、終わりの日の裁きである。
(2)この訴えは、違法な訴えである。
①もし私たちを訴える人(もの)がいたとしても、それは違法な訴えである。
2.33節b
「神が義と認めてくださるのです」
(1)「神」(セオス)という言葉が連続して出てくる文章構造である。
①「神」の強調がある。
②神が選び、神が義とされる。
(2)33節は、ロマ1~5章の義認のまとめである。
①神は、いわば最高裁である。
②それ以上の裁判所はない。
Ⅲ.疑問文その3(34節)
1.34節a
「罪に定めようとするのはだれですか」
(1)それはキリストですか、という言葉が隠されている。
2.34節b
「死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座
に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」
(1)キリストが私たちを罪に定めるはずがない。
(2)キリスト・イエスの実態
①死んでくださった。
②よみがえられた。
③神の右の座(栄光の座)に着いている。
④私たちのために執りなしをしておられる。
*聖霊は私たちの心に中にあって、執りなしをしておられる。
*キリストは栄光の座で、執りなしをしておられる。
(3)これは、ロマ6~8章のまとめである。
結論(35~39節)
1.35~36節
「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害
ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたのために、私たちは一日
中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりで
す」
(1)苦難のリストその1
①「だれが」とあるが、必ずしも人ではない。
②「なにが」ではなく、「だれが」と言った理由
*擬人法(苦難は現実的なものである)
*苦難は「人格的存在」から発せられるものである。
(2)試練は神の民の普遍的な経験である。
①詩44:22の引用
(3)「患難」という言葉は、大患難時代を思わせる。
2.37節
「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中に
あっても、圧倒的な勝利者となるのです」
(1)苦難を免れるという約束ではない。
(2)約束の内容
①苦難の「中にあっても」
②「私たちを愛してくださった方によって」
③「圧倒的な勝利者」:この言葉が結論である。
3.38~39節
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、
後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主
キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」
(1)苦難のリストその2
①ひとつひとつの意味を探るよりも、パウロの精神を味わうことが大切。
(2)構造
①第1のペア:「死、いのち」 この世で味わうもの。
②第2のペア:「御使い、権威ある者」 霊界の存在。
③第3のペア:「今あるもの、後に来るもの」 時間的要因。
④単独の言葉:「力ある者」 天使や悪霊
⑤第4のペア:「高さ、深さ」 空間的要因。
⑥総まとめ:「そのほかのどんな被造物」 残りのものを拾い上げている。
(3)私たちを神の愛から引き離すものは、被造世界に存在しない。
メッセージの結論
1.1~8章のまとめ
(1)義認
(2)聖化
(3)栄化
2.9~11章の展望
(1)神の義がテーマである。
(2)イスラエルの救いはまだ成就していない。
(3)神の義は、イスラエルに関しては揺らいでいる。
(4)パウロは、神の義を弁護するために、イスラエルの救いに言及する。
①反ユダヤ的神学の巧妙さ
②ロマ9~11章を忠実に解説する人でも、無意識的に反ユダヤ的神学に立つこと
が多い。
3.12~16章の準備
(1)教理の後に、適用が来る。
(2)神の義の実践と、神の義の伝達である。
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