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コリント人への手紙第一(11)教会内の無秩序―性的汚れ―6:12~20
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性的汚れに対する対処法について学ぶ。
コリント人への手紙第一 11回
教会内の無秩序
―性的汚れ―
6 :12~20
はじめに
1.文脈の確認
(1)イントロダクション(1:1~9)
(2)教会内の分裂(1:10~4:21)
(3)教会内の無秩序(5~6)
①近親相姦の罪(5:1~13)
②信者同士の裁判(6;1~11)
③性的汚れ(6:12~20)
2.注目すべき点
(1)ギリシア人は、肉体を軽視した。
①魂は肉体という墓に閉じ込められている。
(2)コリントの信者の中には、遊女と交わる者たちがいた。
①食欲は容認されるのに、なぜ別の肉体的欲求である性欲は否定されるのか。
②信者の魂は、より高い位置に引き上げられた。
③それゆえ、肉体において行ったことが魂に影響を与えることはない。
④これは、キリスト者の自由の濫用である。
(3)パウロは、聖書的な肉体の理解について教える。
3.アウトライン(性的汚れ)
(1)誤った前提の論破(12~14節)
(2)遊女との交わりに対する反論(15~17節)
(3)遊女との交わりが罪である理由(18~20節)
4.結論
(1)教会内の無秩序
(2)3つの問題
性的汚れに対する対処法について学ぶ。
Ⅰ.誤った前提の論破(12~14節)
1.12節
1Co 6:12
「すべてのことが私には許されている」と言いますが、すべてが益になるわけではありません。「すべてのことが私には許されている」と言いますが、私はどんなことにも支配されはしません。
(1)パウロは、対話形式でコリントの信者たちの誤解を糾弾する。
①彼らは、旧約聖書の律法から解放されたという自由を誤解していた。
②特に、性的関係において、自由の誤解があった。
③対話形式は、ギリシア人に馴染み深い方法である。
④これ以降、この手紙では対話形式が多用される。
(2)パウロは、「キリスト者の自由」を主張した使徒である。
①ガラテヤ書のテーマは、「キリスト者の自由」である。
②パウロの教えは、放縦な生活を許すものとしてよく誤解された。
③今も、恵みを強調すると、同様の批判を受けることがある。
④「一度救われると、救いを失うことはない」という教えは、批判の対象となる。
(3) 「すべてのことが私には許されている」
①これは真理であり、コリントの信者たちのスローガンである。
②パウロは、そのスローガンに補足説明を付け加える。
(4)2つの補足説明
① 「すべてが益になるわけではありません」
*信者は、他者の益になるかどうかで行動を判断する。
② 「私はどんなことにも支配されはしません」
*信者は、主に対する忠誠を第一とする。
2.13~14節
1Co 6:13
「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにある」と言いますが、神は、そのどちらも滅ぼされます。からだは淫らな行いのためではなく、主のためにあり、主はからだのためにおられるのです。
1Co 6:14
神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちも、よみがえらせてくださいます。
(1) 「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにある」
①これも真理であり、コリントの信者たちのスローガンである。
②食物と消化器官の関係は、自然界に存在する「適合」という原理である。
③彼らは、からだと性的行為の関係も「適合」という原理であると主張する。
(2)そのスローガンに補足説明が付加される。
①神は、食物も腹も滅ぼされる。つまり、永遠の価値はないということである。
②しかし、主が贖われたからだには、永遠の価値がある。
③ 「からだは淫らな行いのためではなく、主のためにあり、主はからだのため
におられるのです」
*からだと淫らな行いは、適合していない。
*からだに適合しているのは、主の栄光である。
(3) 「神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちも、よみがえらせ
てくださいます」
①神は、主イエスをよみがえらせた。
②その御力によって、信者もよみがえらせてくださる。
*携挙のときには、生きたまま栄化される者もいる。
③つまり、神はからだについて永遠の計画を持っておられるということである。
(4)以上の神学的理解をもって、パウロは遊女との交わりがなぜ罪なのかを論じる。
①コリントの信者たちは、遊女との交わりの本質を理解していない。
②彼らは、信者の回心の本質を理解していない。
Ⅱ.遊女との交わりに対する反論(15~17節)
1.15節
1Co 6:15
あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだはキリストのからだの一部なのです。それなのに、キリストのからだの一部を取って、遊女のからだの一部とするのですか。そんなことがあってはなりません。
(1)信者のからだは、キリストのからだの一部である。
①キリストのからだとは教会である。
(2)遊女と交わることは、重大な罪である。
①信者と遊女の交わりは、キリストのからだの一部を取って、遊女のからだの一
部とすることである。
②つまり、キリストのからだと遊女のからだをつなげることである。
③そんなことがあってはならない。
2.16節
1Co 6:16
それとも、あなたがたは知らないのですか。遊女と交わる者は、彼女と一つのからだになります。「ふたりは一体となる」と言われているからです。
(1)性欲を満たすことと、食欲を満たすことは、次元が違う。
①遊女と交わる者は、その行為の間だけ一つのからだになるわけではない。
②その交わりには、永続性がある。
(2)創2:24
Gen 2:24
それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。
①男女は、性的交わりによって、一体となる。
②肉体の一体化だけでなく、霊的一体化が含まれている。
3.17節
1Co 6:17 しかし、主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。
(1)キリストを信じた人は、霊的にキリストと一つになる。
①信者とキリストを切り離すことができない。
②信者が遊女と交わることは、キリストを遊女につなげることである。
Ⅲ.遊女との交わりが罪である理由(18~20節)
1.18節
1Co 6:18
淫らな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、淫らなことを行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
(1)不道徳な状況が襲ってきたなら、すぐに逃げる(避ける)ことである。
①創39:12
Gen 39:12 彼女はヨセフの上着をつかんで、「一緒に寝ましょう」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、彼女から逃れて外へ出た。
(例話)ビリー・グラハムの証し
(2)淫行の罪は特殊な罪である。
①これは、自分のからだに対して犯す罪である。
②淫行の結果は、からだに残る(病気も含めて)。
③淫行は、キリストのからだを汚す罪である。
2.19~20節
1Co 6:19
あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。
1Co 6:20
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。
(1)教会は、聖霊の宮である(3:16)。
①ここでは、信者個人が聖霊の宮だと言われている。
②ロマ8:9
Rom 8:9
しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。
(2)信者のからだは、もはや彼ら自身のものではない。
①信者は、代価を払って買い取られた。
②信者には、代価を払って買い取ってくださった方への責務がある。
③自分のからだをもって神の栄光を現すことが、信者の責務である。
結論
1.教会内の無秩序
(1)原因は、懲戒が実行されていないことにあった。
(2)解決法は、分派の問題(1:10~4:21)の場合と同じである。
①パウロは、読者をキリストの十字架に連れ戻す。
(3)1:23~25
1Co 1:23
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、
1Co 1:24
ユダヤ人であってもギリシア人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。
1Co 1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
(4)6:20
1Co 6:20
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。
2.3つの問題
(1)近親相姦の罪(5:1~13)
①思い上がりの罪
②肉的信仰から出た罪
③パン種をただちに取り除く。
(2)信者同士の裁判(6;1~11)
①罪を軽く見る傾向
②「正しくない者」は神の国を相続できない(神の国に入ることができない)。
③放縦な生活を続ける者は、本当に救われているかどうか吟味すべきである。
(3)性的汚れ(6:12~20)
①遊女との交わりは、キリストのからだの一部を取って、遊女のからだの一部
とすることである。
②キリストのからだと遊女のからだをつなげるようなことがあってはならない。
③信者は、代価を払って買い取られた。
④信者には、神の栄光を現す責務がある。
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