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メシアの生涯(96)—麓にて—
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麓での問題に対処する方法について学ぶ。
「麓にて」
§087 マコ9:14~29、マタ17:14~20、ルカ9:37~43
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ペテロの信仰告白
②イエスによる十字架と復活の預言
③イエスの変貌
④山頂から下る途中で、終末論の教えがあった。
⑤麓の現実に直面する。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「弟子たちが癒せなかった悪霊につかれた少年」(§87)
マコ9:14~29、マタ17:14~20、ルカ9:37~43
(3)山頂と麓の対比
①理想と現実のギャップ
②将来と現在のギャップ
2.アウトライン
(1)現実の問題
(2)父親との対話
(3)悪霊の追い出し
(4)弟子たちの質問
3.結論:
(1)父親の信仰
(2)死んだようになった子ども
(3)弟子たちの無力
麓での問題に対処する方法について学ぶ。
Ⅰ.現実の問題
1.14~16節
「さて、彼らが、弟子たちのところに帰って来て、見ると、その回りに大ぜいの人の群れ
がおり、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。そしてすぐ、群衆はみな、イ
エスを見ると驚き、走り寄って来て、あいさつをした。イエスは彼らに、『あなたがたは
弟子たちと何を議論しているのですか』と聞かれた」
(1)麓には9人の弟子たちが残されていた。
①イエスがいない間、彼らはイエスの代理人(使徒)として奉仕をする。
②ところが、彼らは具体的問題に対処できないで、大騒ぎになっていた。
③律法学者たちが、弟子たちと論じ合っていた。
*論争のテーマは書かれていない。
④野次馬が取り巻いていた。
(2)イエスが麓に立たれた。
①群衆は、イエスを見るなりすぐに走り寄って来た。
*律法学者よりも、イエスをひいきしていた。
②群衆が驚いた理由
*イエスの顔に輝きが残されていたからか。
*予期せぬ出現、タイムリーな出現だったからか。
(3)イエスは、群衆に質問された。
①私の弟子たちと、何を議論しているのか。
Ⅱ.父親との対話
1.17~18節
「すると群衆のひとりが、イエスに答えて言った。『先生。口をきけなくする霊につかれ
た私の息子を、先生のところに連れて来ました。その霊が息子にとりつくと、所かまわず
彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせます。そ
れでお弟子たちに、霊を追い出すよう願ったのですが、できませんでした』」
(1)回答は、群衆のひとりから返ってきた。
①彼には、口をきけなくする霊につかれた息子がいた。
②その息子をイエスのもとに連れて来た。
③霊は、息子を非常に苦しめていた。
*この状態は、メシア的奇跡のひとつである。
④弟子たちに助けを求めたが、弟子たちにはそれができなかった。
*イエスの弟子という名に傷が付く状態である。
*その結果、律法学者による追及が始まった。
2.19節
「イエスは答えて言われた。『ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにい
なければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないので
しょう。その子をわたしのところに連れて来なさい』」
(1)イエスの嘆き
①群衆と弟子たちに向けられたもの
②特に、弟子たちの霊的鈍感さを嘆かれた。
(2)訳語の比較
「ああ、不信仰な世だ」(新改訳)
「なんと信仰のない時代なのか」(新共同訳)
「ああ、なんという不信仰な時代であろう」(口語訳)
*「不信仰な世代」という意味
*不信仰こそが、霊的失敗の原因である。
(3)「その子をわたしのところに連れて来なさい」
①この時点で、イエスは群衆からは離れている。
②イエスは、弟子たちの失敗を修復しようとしている。
3.20~22節
「そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。その子がイエスを見ると、霊は
すぐに彼をひきつけさせたので、彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回った。イ
エスはその子の父親に尋ねられた。『この子がこんなになってから、どのくらいになりま
すか。』父親は言った。『幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中
や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、
お助けください』」
(1)その子の状態
①イエスを見ると、中にいる霊が激しく暴れた。
*悪霊は、自分の終わりの時が近いことを認識した。
*てんかんのようであるが、これは病気ではない。
②その状態は、幼い時から続いている。
③この霊は、この子を滅ぼそうとしている。
*悪霊の目的は、私たちを滅ぼすことにある。
(2)父の嘆き
「ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください」
①弟子たちの無力を目撃したので、イエスに対する信仰がなくなっている。
②半分は疑い、半分は絶望している。
3.23~24節
「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなこと
でもできるのです。』するとすぐに、その子の父は叫んで言った。『信じます。不信仰な私
をお助けください』」
(1)イエスは、その父親の不信仰を指摘された。
「できるものなら、と言うのか」
①イエスにそのような力があるかどうかは、問題ではない。
②父親に信仰があるかどうかが問題である。
③イエスは、できる限り個人的状況の中で癒しを行おうとしている。
④受け手に信仰があることが、条件である。
(2)イエスは、信仰の力を指摘された。
「信じる者には、どんなことでもできるのです」
①信仰は、神の力に制限を設けない。
②信仰は、結果を神に委ねる。
(3)父親はすぐに信仰を告白した。
「信じます。不信仰な私をお助けください」
①信じるためには、神の助けが必要である。
Ⅲ.悪霊の追い出し
1.25節
「イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。『口を
きけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二
度とこの子に入るな』」
(1)イエスは、群衆から離れたところにおられた。
①群衆が駆けつけてきた。
(2)悪霊の追い出し
①「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊」という呼びかけ。
②2つの命令
*「この子から出て行け」
*「二度とこの子に入るな」
2.26~27節
「するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。すると
その子が死人のようになったので、多くの人々は、『この子は死んでしまった』と言った。
しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった」
(1)悪霊が出て行くと、その子は死人のようになった。
①多くの人々は、そう考えた。
(2)しかしイエスは、その子を起こされた。
Ⅳ.弟子たちの質問
1.28節
「イエスが家に入られると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。『どうしてでしょう。私
たちには追い出せなかったのですが』」
(1)私的空間に入ると、弟子たちは個人的に質問をした。
①自分たちに悪霊の追い出しができなかった理由は、何か。
2.29節
「すると、イエスは言われた。『この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追
い出せるものではありません』」
(1)「この種のもの」とは、一般的な悪霊の追い出しのことであろう。
①祈りの欠如が問題である。
②つまり、父なる神への信頼が不足しているのである。
3.マタ17:19~20
「そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。『なぜ、私たちには悪霊を追
い出せなかったのですか。』イエスは言われた。『あなたがたの信仰が薄いからです。まこ
とに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、「ここか
らあそこに移れ」と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはあ
りません』」
(1)必要とされる信仰のサイズは、からし種のサイズでよい。
①それがあれば、イエスの代理人である弟子たちには、できたはずである。
②父なる神への祈りが必要である。
(2)「この山」
①山とは、王国を象徴する言葉である。
②ここでは、「この山」とはサタンの王国である。
結論:
1.父親の信仰告白
「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなこと
でもできるのです。』するとすぐに、その子の父は叫んで言った。『信じます。不信仰な私
をお助けください』」(マコ9:23~24)
(1)キリスト教信仰の本質が表現されている。
①信じようとする意欲がなければ、救われない。
②神の助けがなければ、信じることはできない。
③ペテロの信仰告白
「するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。
このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父で
す』」(マタ16:17)
④これは、クリスチャンが抱く、体験に基づく実感でもある。
(2)神の予定と人間の自由意志を調和させる方法である。
①両方とも受け入れる必要がある。
2.死んだようになった子ども
「するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。すると
その子が死人のようになったので、多くの人々は、『この子は死んでしまった』と言った。
しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった」(マコ9:
26~27)
(1)マコ5:39~42にあるヤイロの娘の癒しの箇所の言葉使いとよく似ている。
①ヤイロの娘は、死から命に移った。
②その子は、サタンの束縛から解放された。
③それは、いわば死から命に移る体験であった。
(2)死から命への移行を完成させるためには、メシアの死と復活が必要とされる。
①もはや逆戻りはない。
②死から命への移行が決定的となった。
3.弟子たちの無力
「イエスが家に入られると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。『どうしてでしょう。私
たちには追い出せなかったのですが。』すると、イエスは言われた。『この種のものは、祈
りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません』」(マコ9:28~29)
(1)自分に与えられた力を、固定的資質として理解していた。
「また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威を
お与えになった」(マコ6:7)
(2)過去の経験を頼りとしていた。
「こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、悪霊を多く追い出し、大ぜいの
病人に油を塗っていやした」(マコ6:12~13)
(3)祈りによって、父なる神に信頼することをしなかった。
(4)麓にある問題に取り組む力はどこから生まれて来るのか。
①山頂の祝福を思い出し、大いなる希望を抱く。
②固定化した信仰ではなく、「汝と我」という関係の中にある信仰を保持する。
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