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メシアの生涯(81)—3度目のガリラヤ伝道(3)—
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12使徒の派遣について学ぶ
「3度目のガリラヤ伝道(3)」
§070 マタ10:34~11:1
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの公生涯は、弟子訓練の段階に入っている。
②3度目のガリラヤ伝道では、弟子たちを2人一組にして、派遣している。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「3度目のガリラヤ伝道」(§70)
マタ9:35~11:1
(3)この箇所を7分割して学ぶ。
①使徒たちを派遣する必要性(9:35~10:4)
②使徒たちへの具体的指示(10:5~15)
③迫害への警告(10:16~23)
④拒否への警告(10:24~33)
⑤拒否の結果(10:34~39)
⑥信じる者への報い(10:40~42)
⑦結語(11:1)
2.アウトライン
(5)拒否の結果(10:34~39)
①ユダヤ人の時代認識とイエスの時代認識
②家族の敵対関係
③十字架の道
(6)信じる者への報い(10:40~42)
①代理人のユダヤ的概念
②預言者のユダヤ的概念
③報酬のユダヤ的概念
(7)結語(11:1)
3.結論:
(1)イエスはなぜ、献身的な愛を要求することができたのか。
(2)預言者を受け入れるとは、今の私たちにとってどういう意味があるのか。
12使徒の派遣について学ぶ。
Ⅰ.拒否の結果(10:34~39)
1.ユダヤ人の時代認識とイエスの時代認識
(1)通常のユダヤ人たちの時代認識
①終わりの時代には患難がやって来る。
②その最後にメシアが登場し、イスラエルの民に勝利をもたらす。
③その後、平和な時代が訪れる(メシア的王国への期待)。
(2)イエスの時代認識
①ユダヤ人の指導者たちはイエスのメシア性を拒否した。
②それゆえ、メシアによる平和はまだ先のことになった。
③イエスの弟子たる者は、迫害や患難に備える必要がある。
④救いは恵みによるが、弟子としての歩みには犠牲が伴う。
2.家族の敵対関係(34~37節)
(1)34節
「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平
和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです」
①イエスは、地に平和をもたらすために来られた。
②エペ2:14~17
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこ
わし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規
定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身に
おいて新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者
を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十
字架によって葬り去られました。それからキリストは来られて、遠くにいたあな
たがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました」
③ヨハ3:17
「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が
救われるためである」
④もしユダヤ人たちがイエスを受け入れていたなら、平和が来ていた。
⑤しかし彼らはイエスを拒否したので、剣をもたらすような結果になった。
(2)35~36節
「なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせ
るために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります」
①ミカ7:6の引用である。
*ミカの時代の状況の描写である。
*彼は、救いをもたらす【主】への信頼を告白している。
②父が信者になると、息子が反対する。
③母が信者になると、娘が反対する。
④しゅうとめが信者になると、嫁が反対する。
⑤信者にとっては、家族が最も手ごわい敵となる。
(3)37節
「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、
わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません」
①弟子は、イエスを選ぶか、家族を選ぶかの二者択一を迫られる。
②弟子は、愛の優先順位をはっきりさせる必要がある。
3.十字架の道(38~39節)
(1)38節
「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではあり
ません」
①十字架刑は、公衆の面前で行われる「見せしめの刑」、「辱めの刑」である。
②罪人は、十字架の横木を負って町の真ん中を進んで行った。
③そのように、イエスの弟子は、イエスこそメシアであることを公の場で宣言す
る。いかなる辱めを受けても、それを行う。
(2)39節
「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを
失った者は、それを自分のものとします」
①ここでは、家族以上に大事にしている「自分のいのち」が問題とされる。
②それさえも、愛の優先順位からすると、一番ではない。
③この逆説的真理は、終末的真理である。
④と同時に、現在が適用可能な真理でもある。
Ⅱ.信じる者への報い(10:40~42)
1.代理人のユダヤ的概念(40節)
「 あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入
れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです」
(1)代理人は、遣わした主人の権威を帯びて派遣される。
①代理人を受け入れることは、主人を受け入れることである。
(2)父なる神→イエス→使徒たち
①使徒たちを受けいれることは、イエスを受け入れることである。
②イエスを受け入れることは、父なる神を受け入れることである。
③ゆえに、使徒たちを受け入れることは、父なる神を受け入れることである。
2.預言者のユダヤ的概念(41節)
「 預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。ま
た、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます」
(1)旧約聖書の3大職責
①王
②祭司
③預言者
(2)ユダヤ人たちは、預言者が受ける報いが一番大きいと考えていた。
①預言者は、王と祭司に向かって神のことばを教える。
(3)ここでは、弟子たちは「預言者」や「義人」と呼ばれている。
①預言者を受け入れる者は、預言者の受ける報いを受ける。
②義人を受け入れる者は、義人の受ける報いを受ける。
3.報酬のユダヤ的概念(42節)
「 わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるな
ら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありませ
ん」
(1)ユダヤ人たちは、今の世と次の世とを対比させる考え方をしていた。
①今の世で行う善行は、次の世での報いをもたらす。
②イエスのこのことばは、地上的な適用を持っている。
(2)「この小さい者たち」
①文脈では、イエスの弟子たちである。
②福音を宣べ伝える者たちである。
(3)「水一杯でも飲ませるなら」
①貧しい人たちは、それしかできない。
②しかし、これで十分であるし、これこそ必要不可欠なものである。
Ⅲ.結語(11:1)
「イエスはこのように十二弟子に注意を与え、それを終えられると、彼らの町々で教えた
り宣べ伝えたりするため、そこを立ち去られた」
(1)弟子たちはガリラヤ各地に派遣されたと考えるべきである。
①弟子たちは、イエスの権威を帯びて、出て行った。
②教え、癒し、福音を宣べ伝えた。
(2)イエス自身も、宣教に立たれた。
①「彼らの町々」とは、弟子たちの故郷であろう。
(3)この時から、信じるとは「個人の決断」、「個人の責任」となった。
結論:
1.イエスはなぜ、献身的な愛を要求することができたのか。
(1)ルカ14:26
「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、
更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」
①家族を憎むのは、律法違反である。
②ユダヤ文化では、家族の絆は非常に固い。
③「憎む」とは、愛の優先順位を強調するための言葉である。
④イエスへの愛を第一にすることである。
⑤事実、家族の懇願を振り切ってイエスに献身する者は、家族を憎んでいるかの
ように見える。
(2)申6:4~5
「 聞きなさい。イスラエル。【主】は私たちの神。【主】はただひとりである。心を
尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい」
①イエスは、弟子たちにこのことを要求されたのである。
②この要求は、イエスの神性宣言である。
2.預言者を受け入れるとは、今の私たちにとってどういう意味があるのか。
(1)マタ10:41
「預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。ま
た、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます」
①弟子たちを受け入れた者は、イエスがメシアであることを信じた者である。
②弟子たちは、お礼返しの心配をする必要はない。
③イエス自身が彼らに報酬を与えてくださる。
(例話)献金を呼びかけることへの躊躇
(2)伝道者の心構え
①自分は神のことばを正しく伝えているだろうかと、自問自答する。
②それができたなら、支援を受けることに抵抗感を覚える必要はない。
③なぜなら、神がその人に報酬を与えてくださるから。
(3)支援者の心構え
①その人が神のことばを語っているかどうかを、吟味する。
②もし語っているなら、その人の働きを妨害するのは、神に敵対する行為である。
③そのような人を支援するなら、その人が受ける報いが、自分にも与えられる。
④「水一杯でも」大いに有効である。
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