私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(3)「カナの婚礼」-最初のしるし―ヨハ2:1~12
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カナの婚礼について学ぶ。
ヨハネの福音書(3)
「カナの婚礼」-最初のしるし―
ヨハ2:1~12
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
*カナの婚礼(2:1~11)
*カペナウム滞在(2:12)
2.アウトライン
(1)カナの婚礼(1~11節)
(2)カペナウム滞在(12節)
3.結論
(1)「時」ということばの重要性
(2)古いものから新しいもの
カナの婚礼について学ぶ。
Ⅰ.カナの婚礼(1~11節)
1.1節
Joh 2:1
それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。
(1)「それから三日目に」
①ナタナエルがイエスに出会ってから3日目である。
②「その翌日」が3度出てきた(1:29、35、43)。
③計算すると、バプテスマのヨハネの証言から7日目である。
④ヨハネが日数にこだわっている理由は、何か。
*宇宙は7日間で創造された(創1章)。
*公生涯の最初の7日間で、イエスが創造主であることが示された。
⑤カナの婚礼での奇跡によって、イエスの神性が証明された。
⑥イエスは、ナタナエルへの約束(1:51)を速やかに成就された。
*「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あな
たがたは見ることになります」
(2)婚礼の場所は、ガリラヤのカナである。
①現在、ナザレとカペナウムの間にクファル・カナというアラブ人の村がある。
②聖書時代のカナは、現在のカナよりも北にあったと思われる。
(3)そこにイエスの母がいた。
①ヨハネは、マリアという名を記さずに、「イエスの母」としている。
②彼女は、単なる客ではなく、婚礼を開催する側の人間になっている。
③恐らく、新郎新婦との親戚関係か、友人関係のゆえであろう。
④花婿が花嫁を迎えに行き、自分の家に連れて来る。
⑤それから、婚礼が始まる。通常1週間続いたが、それ以上の場合もあった。
⑥小さな村では、村を挙げての祝いごとになる。
2.2節
Joh 2:2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。
(1)この時点では、イエスの弟子は5人である。
①12人が揃う前の出来事である。
(2)イエスと弟子たちがなぜ招かれたのか。
①イエスは、マリアの息子だから招かれた。
②弟子たちは、ラビとタルミディム(弟子)の関係のゆえに、招かれた。
③ナタナエルはカナ出身である(21:2)。
④イエスの一行は、ナタナエルとの関係のゆえに招かれた可能性もある。
(3)イエスは、普通のユダヤ人男性として、この社会的行事に参加している。
①バプテスマのヨハネは、荒野で暮らしたが、イエスはそうではなかった。
②喜びや悲しみを共有することと、霊性とは無関係である。
3.3節
Joh 2:3
ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
(1)「ぶどう酒がなくなると」
①準備していた量のぶどう酒では、不足する場合がある。
②その場合、花婿とその父は、大いに面目を失う。悪評は生涯続く。
③招待客は、贈り物を持って来ている。
*花婿には、十分な食事を提供する法的義務がある。
④途中で食事やぶどう酒がなくなった場合、訴訟沙汰になることもあった。
*その場合、招待客の贈り物の半分を弁済することになる。
(2)母がイエスに深刻な状況を知らせた。
①夫が死んで以降は、息子に相談するのが習慣になっていたのであろう。
②イエスはまだ一度も、奇跡を行っていない。
③マリアは、イエスが奇跡を行うことを期待したわけではないだろう。
4.4節
Joh 2:4
すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」
(1)「女の方」
①「婦人よ」(新共同訳、口語訳)
②ギリシア語で「グネイ」(グナイという呼びかけ)。
③決して見下した言い方ではない。
④ヨハ19:26
Joh 19:26 イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。
(2)「あなたはわたしと何の関係がありますか」
①ヘブル的には、この表現には2つの使用法がある。
*叱責する場合
*優しく拒否する場合(ラビが弟子に迎えることを断る場合)
②イエスは母に、公生涯が始まったことを教えようとしている。
*マリアは、家庭内におけるルール(親子関係)を持ち出している。
*イエスは、公生涯に入っている。
*イエスの関心事は、肉の母への忠誠ではなく、父なる神への忠誠である。
(3)「わたしの時はまだ来ていません」
①「わたしの時」とは、十字架と復活の時である。
②イエスは、2つのことを告げている。
*自分が行動を起こす時は、まだ来ていない。
*自分は、父なる神の時と方法で奉仕をする。
5.5節
Joh 2:5
母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
(1)母の従順
①母は、イエスのことばをすべて理解したわけではない。
②しかし、イエスに従おうという姿勢を示した。
③母は、手伝いの人(ディアコノス)に指示を出した。
④「あの方が言われることは、何でもしてください」
*母は、イエスの力とあわれみに信頼を置いた。
(2)私たちへの教訓
①母としてイエスに近づいたが、たしなめられた。
②信じる者としてイエスに委ねると、願いは聞かれた。
(3)この時点で、母の役割は終わった。
①イエスは、父なる神の御心に従って公生涯を歩み始める。
6.6節
Joh 2:6
そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つ置いてあった。それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。
(1)「ユダヤ人のきよめのしきたり」
①これは、モーセの律法の要求ではなく、ユダヤ教の口伝律法の要求である。
②宗教熱心なユダヤ人たちは、きよめのために食前と食後に手を洗った。
(2)「石の水がめが六つ置いてあった」
①恐らく、家の外に置かれていたのであろう。
②婚礼の客のきよめのために、大量の水を必要とした。
*1メトレテスは、約40リットル。
*「二あるいは三メトレテス」は、80リットルから120リットル。
③石の水がめは永続的に使用できる。
*土器と違って、きよめることができる(レビ11:33)。
④この奇跡は、ユダヤ教の口伝律法が支配している状況下で行われた。
7.7~8節
Joh 2:7
イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
Joh 2:8
イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
(1)石の水がめの水を飲むのは、ユダヤ人にとっては、考えられないことである。
①しかし、母の指示を受けていた手伝いの者たちは、イエスに従った。
②「水がめを縁までいっぱいにした」
*ワインを追加したという疑惑をなくすため。
*全員が飲んでも不足しないように。
(2)水を汲んで、料理長のところに運んだのは、給仕の者たちであった。
①イエスは、石の水がめに触れてもいない。
②イエスが願ったなら、水は瞬時にぶどう酒になった。
③いかなる疑惑の余地もない。
(3)この奇跡は、「時間の奇跡」である。
①イエスは、時間を短縮して水からぶどう酒を作った。
②作られたばかりのぶどう酒には、年数の経過が刻み込まれていた。
③宇宙の創造の場合も、同じである。
*アダムとエバは、大人の年齢に創造された。
④この奇跡は、イエスが創造主であることの証明である。
8.9~10節
Joh 2:9
宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、
Joh 2:10
こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」
(1)宴会の世話役の驚き
①彼は、このぶどう酒は、花婿が用意したものだと思った。
②このぶどう酒は、イエスから花婿への贈り物である。
③人生の各場面にイエスを招く人は、幸いである。
(2)世話役は、花婿の人格をほめた。
①俗人のやり方とは、正反対である。
②奥ゆかしく、さりげない。
9.11節
Joh 2:11
イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
(1)「最初のしるし」
①「しるし」は、ギリシア語で「セイメイオン」である。
②イエスのメシア性を示す「しるし」である。
③公生涯の最初の7日間のクライマックスになる奇跡である。
(2)「ご自分の栄光を現された」
①この奇跡は、イエスの神性を啓示するものである。
(3)「それで、弟子たちはイエスを信じた」
①彼らが、イエスの死と復活まで理解したということではない。
②彼らの信仰は、漸進的啓示によって、試され、発展させられていく。
Ⅱ.カペナウム滞在(12節)
1.12節
Joh 2:12
その後イエスは、母と弟たち、そして弟子たちとともにカペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。
(1)これは、エルサレム訪問の物語に移行するためのつなぎの聖句である。
①イエスは、ガリラヤ湖畔の町カペナウムに下った。
*カペナウムがイエスの活動の本拠地になる予感がある。
②短期間の滞在であった。
*イエスは、家族と別れて本格的な活動を開始する。
結論
1.「時」ということばの重要性
(1)2章4節
Joh 2:4
すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」
(2)「時」とは、十字架と復活の時である。
①ヨハネの福音書での「時」は、父なる神の御心の時である。
②また、父の栄光と子の栄光が現れる時である。
(3)ギリシア語で「ホウラ」か「カイロス」である。
①「時はまだきていない」 5箇所
*ヨハ2:4、7:6、8、30、8:20
②「時がきた」 3箇所
*12:23、13:1、17:1
③ヨハ13:1
Joh 13:1
さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。
(4)母の要求と、イエスの行動原理の間に大きな隔たりがある。
①ヨハネの福音書の学びは、「わたしの時」に向かって前進する作業である。
2.古いものから新しいものへ
(1)古い水が、新しいぶどう酒に置き換わった。
①最初の奇跡には、象徴的意味がある。
②婚宴と新しいぶどう酒は、メシア的王国の象徴である。
③また、救いの喜びの象徴である。
(2)古い神殿が清められ、新しい神殿に置き換わった(宮きよめ)。
(3)古い誕生が、新しい誕生に置き換わった(ニコデモとの対話)。
(4)井戸の水が、生ける水に置き換わった(サマリアの女との対話)。
(5)古い礼拝が、新しい礼拝に置き換わった(同上)。
(6)2コリ5:17
2Co 5:17
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
①新生とは、新しいいのちの誕生である。
②聖化とは、そのいのちの成長である。
③栄化とは、そのいのちの完成である。
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