私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(70)—種のたとえ、毒麦のたとえ—
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種のたとえと毒麦のたとえを理解し、適用するために学びます。
(チャート資料「神の国」を添付してあります)
「種のたとえ、毒麦のたとえ」
§064 マコ4:26~29、マタ13:24~30、マタ13:36~43
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ベルゼブル論争以降、イエスの奉仕の方法が変化した。
②イエスの教えは、たとえ話が中心となった。
③群衆から真理を隠すため。
④弟子たちに真理を教えるため。
(2)「奥義としての王国」に関する9つのたとえ話
①種蒔く人のたとえ(詳細な解説がある)
②種のたとえ
③毒麦のたとえ(詳細な解説がある)
④からし種のたとえ
⑤パン種のたとえ
⑥畑に隠された宝のたとえ
⑦高価な真珠のたとえ
⑧網のたとえ
⑨一家の主人のたとえ
(3)A.T.ロバートソンの調和表
「最初の主要なたとえ話群」(§64)
2.アウトライン
(1)種のたとえ(マコ4:26~29)
(2)毒麦のたとえ(マタ13:24~30)
(3)毒麦のたとえの解説(マタ13:36~43)
このメッセージは、種のたとえと毒麦のたとえを理解し、適用するためのものである。
Ⅰ.種のたとえ(マコ4:26~29)
はじめに(特徴)
(1)これは、マルコの福音書だけに出て来るたとえ話である。
(2)「奥義としての王国をあるものにたとえると、次のようになる」という意味。
(3)3つの段階が紹介されている。
①種を蒔く段階
②その種が成長する段階
③実を収穫する段階
(4)3つの段階すべてに「種を蒔く人」が登場している。
(5)第2の段階に強調点が置かれている。
1.種を蒔く段階(26節)
「また言われた。『神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、』」(26節)
(1)人が地に種を蒔く。
①「蒔かぬ種は生えぬ」(上方いろはかるた)
②「Pluck not where you never planted.(植えなかった場所で摘むな)」
(2)種とは、みことばのことである。
①種にはいのちが宿っている。
②奥義としての王国は、みことばの種を蒔く時代である。
(3)種を蒔く人
①誰であるかは明示されていない。
②種を蒔く人は、能動的である。
2.その種が成長する段階(27~28節)
「夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのように
してか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次
に穂の中に実が入ります」 (27~28節)
(1)種を蒔く人
①この段階にも登場するが、受動的である。
②種の成長に関しては、無知である。
(2)訳文の比較
「地は人手によらず実をならせるもので、」(新改訳)
「土はひとりでに実を結ばせるのであり、」(新共同訳)
「地はおのずから実を結ばせるもので、」(口語訳)
①ギリシア語で「オートマトス」である。
②土地の力ではなく、種のいのちを表現している。
③種は、誰が蒔いたかに関係なしに成長する。
(3)使12:10
「彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに
開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼
を離れた」
(4)テト3:5~7
「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖
霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この
聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくだ
さったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいの
ちの望みによって、相続人となるためです」
①神秘的な芽生えと成長は、聖霊による新生と成長を表している。
②成長もまた、聖霊の業である。
3.収穫の段階(29節)
「実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです」(29節)
(1)種を蒔く人は、収穫を目的にそうするのである。
①収穫の時とは、世の終わりの時である。
(2)イエスの終末理解
①ユダヤ人たちは、突然登場する神の国への期待感を持っていた。
②イエスは、種蒔きから始める方法を提唱された。
③個人的救いと成長は、みことばの種を蒔くところから始まる。
④地球的レベルでも、同じことが起こる。
⑤少数の弟子たちから始まり、最後は「収穫の時」に至る。
4.適用
(1)本物の種を蒔く。
「しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音
に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。私たち
が前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた
福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきで
す」(ガラ1:8~9)
(2)成長は神に委ねる。
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、
たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神な
のです。植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自
分自身の報酬を受けるのです」(1コリ3:6~8)
(例話)ビリー・グラハムの伝道
Ⅱ.毒麦のたとえ(マタ13:24~30)
1.奥義としての王国の特徴
(1)ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
①その人は、収穫を期待している。
②ところが、敵が夜中にやって来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
*毒麦とは、ギリシア語で「ジザニア」。
*いね科のLolium temulentum。
*明治の初め日本にも入って来た。
*これ自体には毒はないが、麦に混入すると苦い味がする。
(2)麦と毒麦は、ともに成長の段階を通過している。
①麦と毒麦の見分けがつかない段階である。
②しもべたちは、自分たちで毒麦を抜き集めましょうかと提案する。
(3)主人の判断
「いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だか
ら、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈
る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の
倉に納めなさい、と言いましょう」 (29~30節)
①収穫の時期になると、区別は容易になる。
②毒麦が先に集められ、束にして焼かれる。
③毒麦がなくなった畑で、麦が収穫され、倉に納められる。
Ⅲ.毒麦のたとえの解説(マタ13:36~43)
1.イエスが象徴的言葉の意味を解き明かされる。
①弟子たちが質問をした。
②詳細な説明があるのは、「種蒔く人のたとえ」と「毒麦のたとえ」の2つである。
2.象徴的言葉
「良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、
毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世
の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。ですから、毒麦が集め
られて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります」 (37~40節)
(1)良い種を蒔く者は、メシアご自身である。
①メシアが地上からいなくなると、弟子たちがその働きを継続する。
②弟子たちがいなくなると、それ以降の信者たちがそれを行う。
(2)畑は、この世界のことである。
①世界宣教が預言されている。
(3)良い種とは新生体験をした信者たち、毒麦とは偽の信者たちである。
①ここで、象徴的意味が変化している。
②真の信者もそうでない者も、ともに育っていく。
③この真理は、旧約聖書には啓示されていない。
*旧約聖書が預言する神の国は、悪が存在しない信者だけの世界である。
*良い種と毒麦がともに育つのは、奥義としての王国の特徴である。
(4)毒麦を蒔いた敵とは、悪魔である。
①悪魔は、偽の福音の種を蒔く。
②悪魔は、偽の信者を育てる。
③これらの行為を、隠れて行う。
(5)収穫とは、この世の終わりのことである。
①御使いたちが毒麦を集め、それを火で焼く。
②これは、終末の裁きを指している。
③毒麦とは、罪人一般のことではない。
④信者のようであるが、信者ではない人のことである。
3.適用
「人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者た
ちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎ
しりするのです。そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。
耳のある者は聞きなさい」 (41~43節)
(1)奥義としての王国の理解を深めよう。
①ユダヤ人たちがメシアを拒否してから、メシアが再臨されるまでの間のこと。
②大雑把に言うと、メシアの初臨と再臨の間のこと。
③メシアは地上にいなくても、王国は続く。
④教会時代とほぼ同じ意味であるが、教会時代よりも少し長い。
⑤真の信者と偽の信者がともに存在する時代である。
⑥真の教会と偽の教会がともに存在する時代である。
⑦「教会なのにどうして〇〇なのですか」という問い
*奥義としての王国では、これが当然である。
*教会の中に偽者がいるのは、悲しいことである。
*しかし、信仰者を追い出すのは、もっと悲しいことである。
(2)終末論の理解を深めよう。
①「世の終わり」(40節)とは、奥義としての王国が終了する時である。
②ユダヤ人たちがイエスをメシアとして信じ、メシアが再臨される時である。
③それまでは、本物と偽物を区別するのが難しい時代である。
④この期間は、福音による普遍的勝利が実現しない時代である。
*無千年王国説は誤りである。
*キリストが地上で王として統治することはない。
⑤メシアの再臨の時、毒麦の人たちは裁きの時を迎える。
*「泣いて」とは、精神的な悲しみである。
*「歯ぎしりする」とは、肉体的な苦痛である。
⑥信仰による義人は、千年王国で太陽のように輝く。
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