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メシアの生涯(64)—パリサイ人シモンと罪深い女—
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このメッセージは、聖書が教える救いについて学ぼうとするものである。
「パリサイ人シモンと罪深い女」
§059 ルカ7:36~50
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカ7:35の例証
「だが、知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します」
②この出来事を記録しているのは、ルカだけである。
③ルカは、女性の役割を重視して福音書を書いている。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
罪深い女によるイエスの油注ぎ(§59)
2.アウトライン
(1)舞台設定(36節)
(2)招かれざる客の登場(37~39節)
(3)ラビの講話(40~47節)
(4)講和の結論(48~50節)
3.結論:
(1)この女の名前について
(2)救いの構造について
(3)救いの確信について
このメッセージは、聖書が教える救いについて学ぼうとするものである。
Ⅰ.舞台設定(36節)
1.36節
「さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリ
サイ人の家に入って食卓に着かれた」
(1)この宴会の意味
①宴会は、宗教的、道徳的講話を聞く場となっていた。
②ラビを招いてこのような宴会を開くことは、高潔なことだと考えられていた。
③これは、他の町からやって来た巡回ラビに敬意を表するための宴会である。
④一般の人たちにも扉が開かれており、傍聴が許された。
⑤今私たちも、傍聴者の立場でラビの講和に耳を傾けようとしている。
(2)主人は、パリサイ人のシモンである。
①彼は、イエスに敬意を示すためではなく、別の目的のために宴会を開いた。
②彼の動機は、隠されていた。
*イエスがメシアであるかどうか、疑っている。
*イエスを試そうとしている。
Ⅱ.招かれざる客の登場(37~39節)
1.37~38節
「すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いてお
られることを知り、香油の入った石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろ
で御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油
を塗った」
(1)ひとりの罪深い女の登場
①「罪深い女」(罪の女)とは、娼婦の婉曲語である。
*当時は、異邦人の娼婦もたくさんいたが、彼女はユダヤ人である。
②彼女がこのような場にいるのは、異常なことである。
③通常は、戸口に召使が立っていて、入室を制限していた。
④宗教的なユダヤ人の場合は、貧しい人たちも中に入って話を聞けるように、扉
を開いていた。それで、彼女も中に入れたのであろう。
⑤傍聴者は食卓から離れて立ち、黙ってラビと主人の話に耳を傾ける。
(2)彼女の行動
①香油の入った石膏のつぼを持って来た。
*石膏とは、アラバスターのこと。
*エジプトのテーベ、シリアのダマスコ、イタリアなどで採れる。
*香油を入れるのに、最適な器とされていた。
②泣いていた。
*ギリシア語の「クライオウ(klaiou)」(声を上げて泣いている状態)
③イエスのうしろで御足のそばに立った。
*左ひじをついて、横になった姿勢で食事をしていたので、足は外にあった。
④涙で御足をぬらし
*ギリシア語の「ブレコウ」(雨で水に濡れる)
⑤髪の毛でぬぐい
*宗教的な婦人は、頭にかぶり物をしていた。
*公の場で髪の毛を見せることは、不道徳なことであった。
*彼女は、宗教的には主流から離れていた。
⑥御足に口づけして
*継続した動作(未完了形)
⑦香油を塗った。
*頭ではなく足に油を塗ったのは、彼女の謙遜の表れである。
*香油は、彼女が商売で使用する物で、パリサイ人には忌むべきものである。
2.39節
「イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、『この方がもし預言者なら、自分にさわっ
ている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだか
ら』と心ひそかに思っていた」
(1)パリサイ人シモンの落胆
①イエスは預言者ではない。
②なぜなら、自分にさわっている女が悪名高い女であることを知らないから。
③彼は、心ひそかにイエスについての結論を出した。
(2)次の講和で、イエスはシモンの心の中を見抜いていることを証明される。
Ⅲ.ラビの講話(40~47節)
1.40~42節
「するとイエスは、彼に向かって、『シモン。あなたに言いたいことがあります』と言わ
れた。シモンは、『先生。お話しください』と言った。『ある金貸しから、ふたりの者が金
を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。彼らは返す
ことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちら
がよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか』」
(1)家の主人、招かれた客、傍聴人がいる中で、いよいよラビの講話が始まる。
①講話は、たとえ話と質疑応答の形で、展開される。
(2)500デナリの借金を赦された人と、50デナリの借金を赦された人の対比
①借金は7年目に赦されるというのが律法の教えである。
②しかし、律法学者たちは「抜け道」を作っていた。
*投獄、奴隷、質物を取ることなど
③このたとえ話では、金貸しは恵みを与えた。
④たとえ話のポイントは、どちらがより多くその金貸しを愛するかという質問。
2.43節
「シモンが、『よけいに赦してもらったほうだと思います』と答えると、イエスは、『あな
たの判断は当たっています』と言われた」
(1)シモンは、正しい判断をした。
①この判断によって、彼は自分自身を裁くことになる。
3.44~47節
「そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。『この女を見ましたか。わたしがこ
の家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの
足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。あなたは、口づけしてくれなかったが、この
女は、わたしが入って来たときから足に口づけしてやめませんでした。あなたは、わたし
の頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。だ
から、わたしは「この女の多くの罪は赦されている」と言います。それは彼女がよけい愛
したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません』」
(1)ここから、たとえ話の適用が始まる。
①イエスは、このたとえ話を罪の女とシモンに適用する。
(2)主人が客を歓迎するために行うことがいくつかあった。
①足を洗う(通常は、その家の僕がそれを行った)。
②男性同士は、頬に口づけをする。
③頭に油を塗る。
(3)しかし、シモンはそれをしなかった。
①イエスに対する疑いがあった。
②敬意を表しているかのように振る舞いながら、実はイエスを見下していた。
(4)罪の女は、そのすべてを行った。しかも、謙遜に行った。
①涙で足をぬらし、髪の毛でぬぐった。
②足に口づけしてやめなかった。
③足に香油を塗った。
④多く赦されたことへの感謝が、これらの行動につながった。
(5)シモンには、赦されたという思いがない。
①それどころか、赦される必要があるとも感じていない。
Ⅳ.講話の結論(48~50節)
1.48~49節
「そして女に、『あなたの罪は赦されています』と言われた。すると、いっしょに食卓に
いた人たちは、心の中でこう言い始めた。『罪を赦したりするこの人は、いったいだれだ
ろう』」
(1)ここでイエスは、公に彼女の罪の赦しを宣言された。
①これは、彼女が共同体の中で新しい人生を歩むために必要なものである。
②イエスは、メシア宣言はしていないが、メシアとして語っている。
(2)食卓にいた人たちは、驚いた。
①神だけが罪を赦す権威を持っておられる。
②神殿で、罪過のささげ物が捧げられた後、祭司は罪の赦しを宣言することがで
きた。
③イエスは、罪過のささげ物なしに、罪の赦しを宣言しておられる。
*十字架の死が罪過のささげ物となる。
④彼らは、イエスを信じるか、拒否するかの判断を迫られた。
2.50節
「しかし、イエスは女に言われた。『あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して
行きなさい』」
(1)イエスは、信仰による救いを保証された。
①彼女は、安心して帰ることができた。
(2)いかなる精神科医も、この治療はできない。
結論:
1.この女の名前について
(1)ベタニヤのマリアではない。
①ヨハ12:1~3で、マリアはイエスに油を注いでいる。
②この2つの油注ぎは、全く別の出来事である。
(2)マグダラのマリアではない。
①この罪の女をマグダラのマリアと見るのは、後代の伝承である。
②そこから、マグダラのマリアに関する様々な憶測が生まれてくる。
③ルカ8:1~3で、イエスに仕える女たちの中にマグダラのマリアが登場する。
*これは、マグダラのマリアの初登場である。
(3)この罪の女、マグダラのマリア、ベタニヤのマリアを同一視する人もいる。
①これは、中世に生まれた伝承である。
2.救いの構造について
(1)彼女は、多く愛したから多く赦されたのではない。
①業による救いではない。
(2)彼女は、多く赦されたから多く愛したのである。
①では、彼女はいつ多く赦されたのか。
②この場面に登場する前の彼女の情報が不足している。
③彼女がこれ以前に、イエスの話を聞いていたことは間違いない。
④その結果、彼女は罪の赦しを受け取っていたのである。
(3)救いの構造
①信仰により、恵みによる。
②この段階では、イエスをメシアとして信じる信仰が彼女を救った。
③イエスはまだ十字架についていないが、それを前提に彼女に赦しを宣言した。
3.救いの確信について
(1)ヤコ2:20~24
「ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認
められたではありませんか。あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに
働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、そして、『アブラハムは神を信じ、
その信仰が彼の義とみなされた』という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれ
たのです。人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではない
ことがわかるでしょう」
①ロマ書は、信仰とはなんであるかを教えている。
②ヤコブ書は、信仰とはなんでないかを教えている。
③その信仰が本物であれば、行動となって出て来る。
④アブラハムの場合が、そうであった。
(2)罪の女が示した感謝は、救われた結果である。
①彼女はイエスから、確証の言葉を受けた。
②信仰が行動に結びつく時、救いの確信が得られる。
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