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ルカの福音書(76)弟子道に関する逆転の発想(1)17:1~10
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弟子道に関する逆転の発想(1)について学ぶ。
ルカの福音書 76回
弟子道に関する逆転の発想(1)
17:1~10
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ16章のテーマは、弟子の責務であった。
*特に、富の使用に関する教えが語られた。
*パリサイ人たちは、多くのユダヤ人たちを信仰から遠ざけていた。
③ルカ17章は、弟子たちも同胞につまずきを与えることがあるという警告。
*私たちには、弟子道に関する逆転の発想が必要である。
(2)ルカ17:1~19の内容
①つまずきを与えることは、深刻な罪(1~2節)。
②罪を犯した者を赦すことは、弟子の責務(3~4節)。
③信仰は量ではなく、質が問題(5~6節)。
④責務を果たすのは、当然のこと(7~10節)。
⑤感謝を忘れてはならない(11~19節)。
2.アウトライン
(1)つまずきを与えることは、深刻な罪(1~2節)。
(2)罪を犯した者を赦すことは、弟子の責務(3~4節)。
(3)信仰は量ではなく、質が問題(5~6節)。
(4)責務を果たすのは、当然のこと(7~10節)。
3.結論:逆転の発想
弟子道に関する逆転の発想(1)について学ぶ。
Ⅰ.つまずきを与えることは、深刻な罪(1~2節)。
1.1節
Luk 17:1
イエスは弟子たちに言われた。「つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。
(1)イエスの弟子たちであっても、完ぺきではなかった。
①罪が支配する世にあっては、つまずきをなくすのは不可能なことである。
(2)「つまずき」は、ギリシア語で「skandalon」である。
①元の意味は、獲物を捕獲する「罠」に仕込んだ餌の付いた木片である。
②餌に食いつくと、「罠」が閉まり、獲物が捕獲される。
③このことばは、罠にかかった獲物の行動も指す。
(3)ここでは、このことばが比ゆ的に用いられている。
①他の人たちに罪を犯させること。
②他の人たちを、イエスから遠ざけること(信仰から遠ざけること)。
③弟子であっても、弱さのゆえに、つまずきをもたらすことがある。
④だからと言って、責任がなくなるわけではない。
2.2節
Luk 17:2
その者にとっては、これらの小さい者たちの一人をつまずかせるより、ひき臼を首に結び付けられて、海に投げ込まれるほうがましです。
(1)パリサイ人たちは、つまずきを与えていた。
①律法主義というつまずき
②拝金主義というつまずき
(2)イエスの弟子たちも、つまずきを与える可能性がある。
①イエスの弟子たちは、つまずきの原因となってはならない。
②「小さい者たちの一人」とは、第一義的には、霊的幼子たちであろう。
③彼らは、まだ信仰が成長していないので、悪影響を受けやすいのである。
(3)逆転の発想①
①つまずきを与えることは、深刻な罪である。
②処罰に関して厳しいことばが使われている。
(ILL)カペナウムの遺跡に置かれている石臼
③この罪は、道徳的な罪や、聖書の単純な意味を変更するような教えである。
Ⅱ.罪を犯した者を赦すことは、弟子の責務(3~4節)。
1.3節
Luk 17:3
あなたがたは、自分自身に気をつけなさい。/兄弟が罪を犯したなら、戒めなさい。そして悔い改めるなら、赦しなさい。
(1)イエスの弟子は、つまずいてはならない。
①兄弟の罪に対しては、2段階の対処法を実行する。
*罪を犯している人を戒める。
*悔い改めれば、赦す。
2.4節
Luk 17:4
一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。」
(1)逆転の発想②
①あなたに対して罪を犯した者が、「悔い改めます」と言うなら、赦してやる。
②7度の赦しは、完全な赦しを意味する。
③つまり、心に怒りや憎しみの感情を抱かないということである。
Ⅲ.信仰は量ではなく、質が問題(5~6節)。
1.5節
Luk 17:5
使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」
(1)無限に赦すことは、極めて難しいことである。
①信仰がなければ、その命令を実行することができない。
②それで弟子たちは、「私たちの信仰を増し加えててください」と願ったのである。
2.6節
Luk 17:6
すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。
(1)逆転の発想③
①イエスは、信仰は量ではなく、質が問題であると教えた。
②どれほどの信仰があるかではなく、誰を信じているかが問題である。
③質的に正しい信仰は、「からし種ほどの信仰」である。
④真の信仰には、深く根を張る桑の木をも動かすほどの力がある。
*桑の木とは、いちじく桑の木である。
*この木は、地中に根を広げる。
⑤ここでは、桑の木は私たちの内にあるプライド、自我を象徴している。
⑥赦しの心がないのは、プライドや自我の問題である。
⑦それを抜き取る力は、信仰から来る。
⑧私たちが信じたお方は、主のしもべであり、謙遜と愛と赦しに生きた方である。
Ⅳ.責務を果たすのは、当然のこと(7~10節)。
1.7~8節
Luk 17:7
あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰って来たら、『さあ、こちらに来て、食事をしなさい』と言うでしょうか。
Luk 17:8
むしろ、『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。
(1)忠実なしもべのたとえ話
①小規模な家なので、しもべは複数の役割を果たしていた。
②主人は、野らから帰って来たしもべ(自由意志の奴隷)を食卓に招かない。
③主人としもべがともに食卓に横たわることはない。
④むしろ、しもべに食事の用意をさせる(少数の奴隷しかいない家)。
⑤主人の食事が終わってから、しもべは食事をする。
2.9~10節
Luk 17:9
しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。
Luk 17:10
同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」
(1)訳文の比較
「私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです」(新改訳2017)
「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」(新共同訳)
「わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」(口語訳)
(2)逆転の発想④
①主人は奴隷に感謝を表さない。
②イエスの弟子は、「なすべきことをしただけです」と思うべきである。
③奉仕をしたから、神に対して貸しを作ったように思うのは間違っている。
(3)たとえ話の教訓
①信仰は、奉仕を通して成長する。
②奉仕→信仰が育つ→より大きな奉仕ができる→より信仰が育つ
結論:逆転の発想
1.信仰が幼い者につまずきを与えることは、深刻な罪である。
(1)処罰に関して厳しいことばが使われている。
(2)この罪は、道徳的な罪や、聖書の単純な意味を変更するような教えである。
2.あなたに対して罪を犯した者が、「悔い改めます」と言うなら、赦してやる。
(1)7度の赦しは、完全な赦しを意味する。
(2)つまり、心に怒りや憎しみの感情を抱かないということである。
(3)この赦しは、イエスを見上げることによって可能となる。
3.イエスは、信仰は量ではなく、質が問題であると教えた。
(1)どれほどの信仰があるかではなく、誰を信じているかが問題である。
(2)質的に正しい信仰は、「からし種ほどの信仰」である。
(3)真の信仰には、深く根を張る桑の木をも動かすほどの力がある。
(4)桑の木は、私たちの内にあるプライドや自我を象徴している。
(5)私たちが信じたお方は、主のしもべであり、謙遜と愛と赦しに生きた方である。
4.主人は奴隷に感謝を表さない。
(1)イエスの弟子は、「なすべきことをしただけです」と思うべきである。
(2)忠実な弟子には報賞が与えられるが、それは、ここでの教えと矛盾したものではない。
(3)2コリ5:9~10
2Co 5:9
そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。
2Co 5:10
私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。
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