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ルカの福音書(75)金持ちとラザロの物語16:14~31
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金持ちとラザロの物語について学ぶ。
ルカの福音書 75回
金持ちとラザロの物語
16:14~31
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ15章のテーマは、「罪人に対する神の愛」である。
*神は罪人を招いておられる。
③ルカ16章のテーマは、弟子の責務である。
*特に、富の使用に関する教えが語られる。
(2)ルカ16:1~31の内容
①不正な管理人のたとえ話(1~8節)
②たとえ話の適用(9~13節)
③パリサイ人たちを叱責するイエス(14~18節)
④金持ちとラザロの物語(19~31節)
2.アウトライン
(1)パリサイ人たちを叱責するイエス(14~18節)
(2)金持ちとラザロの物語(19~31節)
3.結論:個人的終末論
(1)死ぬとどこへ行くか。
(2)魂の状態はどのようなものか。
(3)セカンドチャンスはあるか。
(4)死後に備える生き方とはどのようなものか。
金持ちとラザロの物語について学ぶ。
Ⅰ.パリサイ人たちを叱責するイエス(14~18節)
1.14~15節
Luk 16:14
金銭を好むパリサイ人たちは、これらすべてを聞いて、イエスをあざ笑っていた。
Luk 16:15
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。
(1)パリサイ人たちは、イエスをあざ笑っていた。
①彼らは、「不正な管理人のたとえ」の内容に同意しなかった。
②彼らは、2人の主人に仕えようとしていた。
③表面的には敬虔を装いながら、内面は貪欲であった。
(2)イエスは、彼らの考え方を叱責された。
①彼らは、神に愛されている者は金持ちになると教えていた。
②彼らの教えは、人間的なもので、神に憎まれるものである。
③金持ちであることは、その人が義人であるという証拠ではない。
④彼らは、地上の富で友人を作るのではなく、金銭を好んでいた。
⑤これは、偶像礼拝の罪である。
⑥彼らの将来を保証するのは、金銭ではなく、神である。
*金持ちとラザロの物語は、それを教えている。
2.16節
Luk 16:16
律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音が宣べ伝えられ、だれもが力ずくで、そこに入ろうとしています。
(1)「律法と預言者」とは、旧約聖書のことである。
①バプテスマのヨハネは、旧約時代における最後の預言者である。
②バプテスマのヨハネとイエスによって、神の国の福音が宣べ伝えられている。
③それは、旧約聖書が預言していたことである。
(2)「だれもが力ずくで、そこに入ろうとしています」
①民衆は、モーセの律法から逸脱したパリサイ派神学に束縛されていた。
②宗教的指導者たちは、民衆がイエスをメシアとして受け入れることを妨害した。
③民衆にとっては、神の国に入ることは、「戦い」であった。
3.17節
Luk 16:17
しかし、律法の一画が落ちるよりも、天地が滅びるほうが易しいのです。
(1)パリサイ人たちは、モーセの律法を骨抜きにしていた。
①彼らにとっては、口伝律法の方が重要であった。
②しかしイエスは、モーセの律法はことごとく成就すると宣言された。
4.18節
Luk 16:18
だれでも妻を離縁して別の女と結婚する者は、姦淫を犯すことになり、夫から離縁された女と結婚する者も、姦淫を犯すことになります。
(1)モーセの律法軽視の実例として、離婚に関する教えが取り上げられる。
①パリサイ人たちは、離縁と再婚を軽く考えていた。
②別の女性と結婚するために、大した理由もなく妻を離縁した。
③この方法なら、姦淫には当たらないと考えていた。
④これは、人間の目には正しく見えても、神の目には姦淫に当たる。
Ⅱ.金持ちとラザロの物語(19~31節)
1.19~21節
Luk 16:19
ある金持ちがいた。紫の衣や柔らかい亜麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
Luk 16:20
その金持ちの門前には、ラザロという、できものだらけの貧しい人が寝ていた。
Luk 16:21
彼は金持ちの食卓から落ちる物で、腹を満たしたいと思っていた。犬たちもやって来ては、彼のできものをなめていた。
(1)金持ちとラザロの対比
①金持ちと彼の兄弟たちは、パリサイ人を象徴している。
②ラザロは、死後のいのちを信じている信者を象徴している。
(2)金持ちは、いつも紫の布や細布を着ていた。
①紫の布は高価であった。細布は細い麻で織った下着である。
②彼は、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
③パリサイ人たちの教えでは、金持ちの彼は義人であるが、実態はそうではない。
④彼は、隣人愛に欠けている。これが、救われていない証拠である。
⑤彼は、金持ちだからではなく、信仰が欠如しているから救われていない。
(3)ラザロは実名で出ているので、これは「たとえ話」ではなく「実話」である。
①彼は、できものだらけの貧しい人で、金持ちの門前で寝ていた。
③彼は、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。
④犬もやって来ては、彼のできものをなめていた。
⑤パリサイ人たちの教えでは、ラザロは罪人であるが、実態はそうではない。
⑥彼は、貧しいからではなく、神を信頼していたから義人である。
2. 22~23節
Luk 16:22
しばらくして、この貧しい人は死に、御使いたちによってアブラハムの懐に連れて行かれた。金持ちもまた、死んで葬られた。
Luk 16:23
金持ちが、よみで苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。
(1)ラザロは死んで、アブラハムの懐に連れて行かれた。
①死者の魂が行く場所は、「よみ」である。シオール/ハデスである。
②シオール/ハデスは、2つに分かれている。
*義人の行く所は、「アブラハムの懐」である。
*これは、パラダイスと同義である。
*罪人の行く所は、狭義の「シオール/ハデス」である。
③ラザロは、「アブラハムの懐」に連れて行かれた。
④パリサイ派の教えとは正反対のことが起こっている。
(2)金持ちも死んだ。
①彼の魂も「よみ」に行った。そこは、狭義の「シオール/ハデス」である。
②彼は、「よみ」で苦しんでいた。
③彼は、はるかかなたにアブラハムとラザロを見た。
④この状態は、パリサイ派の教えとは正反対である。
3. 24~26節
Luk 16:24
金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』
Luk 16:25
するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。
Luk 16:26
そればかりか、私たちとおまえたちの間には大きな淵がある。ここからおまえたちのところへ渡ろうとしても渡れず、そこから私たちのところへ越えて来ることもできない。』
(1)金持ちは、苦しみの中からアブラハムに向かって叫んだ。
①彼は、アブラハムの子孫である。
②パリサイ派の教えでは、アブラハムの子孫は自動的に神の国に入るはずである。
③彼は、ラザロをよこして、水一滴でも口に落としてほしいと願った。
(2)アブラハムは、大きな淵があるので、往来は不可能であると答える。
①シオール/ハデスでは、両方の場所から互いを見ることはできる。
②しかし、大きな淵があるので、場所を移動することはできない。
4.27~31節
Luk 16:27
金持ちは言った。『父よ。それではお願いですから、ラザロを私の家族に送ってください。
Luk 16:28
私には兄弟が五人いますが、彼らまでこんな苦しい場所に来ることがないように、彼らに警告してください。』
Luk 16:29
しかし、アブラハムは言った。『彼らにはモーセと預言者がいる。その言うことを聞くがよい。』
Luk 16:30
金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ。もし、死んだ者たちの中から、だれかが彼らのところに行けば、彼らは悔い改めるでしょう。』
Luk 16:31
アブラハムは彼に言った。『モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
(1)金持ちは、ラザロを父の家に送り、5人の兄弟たちに警告してほしいと願った。
①5人の兄弟たちが、自分と同じ苦しみに会わないように。
(2)アブラハムは、彼らには「モーセと預言者」があると答えた。
①旧約聖書のことである。
②つまり、神のことばである。
(3)金持ちは、復活したラザロが行けば、5人の兄弟たちは信じるはずだと言う。
(4)アブラハムは、人間の性質を考えると、そうはならないと答える。
①神のことばに耳を傾けないなら、どんな奇跡が起こっても信じるものではない。
②これは、イエスご自身の体験でもある。
③奇跡を見ても、人は神を信じるわけではない。
結論:個人的終末論
1.死ぬとどこへ行くのか。
(1)よみ(シオール/ハデス)に行く。
(2)アブラハムの懐(パラダイス)とハデス(苦しみの場所)に分かれている。
(3)キリストの昇天以降、パラダイスの部分は天に上げられた。
(4)新約の聖徒たちの魂は、天にあるパラダイスに行く。
(5)エペ4:8
Eph 4:8
そのため、こう言われています。/「彼はいと高き所に上ったとき、/捕虜を連れて行き、/人々に贈り物を与えられた。」
2.魂の状態はどのようなものか。
(1)ある人たちは、復活するまで魂は眠りの状態にあると主張する。
(2)1テサ4:13~14
1Th 4:13
眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。
1Th 4:14
イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。
①「眠った人たち」とは、肉体的死を表現する比ゆ的ことばである。
②この聖句を根拠に、魂の眠りを主張することはできない。
(3)金持ちには、意識があり、判断力がある。
(4)これは、クリスチャンにとっては大いなる希望である。
3.セカンドチャンスはあるか。
(1)パリサイ派の神学の問題点は、神のことばを離れて口伝律法を作ったこと。
(2)「金持ちとラザロの物語」の中で、聴衆が驚いた点は何か。
①貧乏人が、アブラハムのふところに行った。
②金持ちが、よみ(ハデス)に行った。
(3)セカンドチャンスを信じる人は、驚くことであろう。
(4)人は、自分に与えられている啓示の量に応じて裁かれる。
①自然界を通した啓示
②良心を通した啓示
③神のことば
(5)セカンドチャンス論は、問題を解決するよりも新たな問題を作り出す。
①伝道の意欲がなくなる。
②伝道しない方がよいという極論に至る可能性がある。
4.死後に備える生き方とはどのようなものか。
(1)イエス・キリストを救い主として信じる。
(2)地上の富を、神の国拡大のために用いる。
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