メシアの生涯(54)—メシアの義の6つの例—

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このメッセージは、メシアの義の6つの例を学ぼうとするものである。

「メシアの義の6つの例」

§054 マタ5:21~48

1.はじめに

    (1)山上の垂訓の構成

        *ATロバートソンは、8つに区分している。

      ①八福の教え(5:3~12)

      ②メシアの義とパリサイ人の義(5:13~20)

      ③メシアの義の6つの例(5:21~48)

      ④義の実行の3つの例(6:1~18)

      ⑤神への献身(6:19~34)

      ⑥他者を裁くこと(7:1~6)

      ⑦祈りと黄金律(7:7~12)

      ⑧たとえ話による結論(7:13~8:1)

    (2)きょうは、③メシアの義の6つの例を取り上げる。

  2.アウトライン

    (1)殺人(21~26節)

    (2)姦淫(27~30節)

    (3)離婚(31~32節)

    (4)誓い(33~37節)

    (5)復讐(38~42節)

    (6)敵への愛(43~48節)

  3.結論:現代的適用

このメッセージは、メシアの義の6つの例を学ぼうとするものである。

Ⅰ.殺人(21~26節)

   1.繰り返されるフレーズ

    (1)「昔の人々に、〇〇と言われたのを、あなたがたは聞いています」

      ①これは、パリサイ人の口伝律法のことである。

      ②口伝律法(ミシュナ)は、紀元220年頃までは文書化されていなかった。

      ③イエスが聖書に言及する時は、「〇〇と書かれている」と言う。

    (例話)ユダヤ人は、誤って書かれた文字でも、そのままにしておく。

    (2)「しかし、わたしはあなたがたに言います」

      ①これは、メシアによる律法解釈である。

      ②メシアが、モーセの律法の意図を解き明かすのである。

    (3)以上のフレーズが、6回出て来る。

      ①イエスは、口伝律法を否定し、モーセの律法の正しい解釈を示した。

  2.21~22節

  「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』

と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。

兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向か

って『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言う

ような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます」

    (1)殺人は、モーセの律法が与えられる前から禁じられていた。

    「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りにな

ったから」 (創9:6)

(2)殺人禁止令は、モーセの律法にも登場する。

  ①出20:13と申5:17

(3)パリサイ人たちはこの規定を知っていた。

①殺人を犯してはならない。

②人を殺した者は、さばきを受ける。

③しかし彼らは、これを肉体的な死に限定していた。

    (4)イエスは、外面に出た殺人という行為の原因まで問題にする。

      ①心に「殺人という卵」を産むと、それが孵化して「殺人鳥」が飛ぶ。

    (5)怒りが不義である3つの例

      ①兄弟に向かって腹を立てる。

        *理由なくして怒ること

        *正当な怒り:神の栄誉が傷つけられたとき、他の人が傷つけられたとき

        *復讐心から来る怒りは、正当な怒りではない。

        *ほとんどの人が、自分の怒りには正当な理由があると考えるものである。

        *そういう人は、法廷に訴えられる。

      ②兄弟を侮辱する。

        *「能なし」「ばか者」「愚か者」

        *アラム語で「ラカ」

        *「頭が空っぽ」「価値がない」という意味である。

        *最初のものよりも、悪質である。

        *そういう人は、サンヘドリンに訴えられる。

      ③兄弟をののしる。

        *「ばか者」「愚か者」「ばか者」

        *ギリシア語で「モロス」

        *道徳的に破たんした者、生きるに値しない者

        *現代風に言うと「死ね」であろう。英語では、「God damn you!」である。

        *そういう言葉を使う人は、罪人であり、ゲヘナに投げ込まれる。

        *ゲヘナは、ヒンノムの谷(Gehinnom)から出た言葉。「火の池」と同義語。

    (6)以上の教えによれば、自分は殺人とは無関係だと主張できる人はいない。

  3.23~24節

  「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていること

をそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、

まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい」

   (1)不当な怒りやその他の理由で、兄弟の気分を害した場合

    ①その人の供え物は、神に喜ばれない。

    ②すぐに和解のための行動を起こすべきである。

4.25~26節

「あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさ

い。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し

て、あなたはついに牢に入れられることになります。まことに、あなたに告げます。あな

たは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません」

  (1)イエスは戒めているのは、自分の非を認めない態度、裁判好きの態度である。

    ①自分の非を認めない人は、裁判の結果投獄され、財産をも失う。

Ⅱ.姦淫(27~30節)

   1.27~28節

  「『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたし

はあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を

犯したのです」

   (1)モーセの律法は、姦淫を禁止した。

    ①出20:14、申5:18

  (2)パリサイ人の教えとイエスの教えの対比

①パリサイ人は、実際の行為を問題にした。

    ②イエスは、内面の清さも問題にした。

  (3)罪は、心の中から始まり、それを育てるなら、行為につながる。

  (例話)きせる乗車:どの段階で罪を犯したと言えるか。

2.29~30節

「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。か

らだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、

右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っ

ても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです」

   (1)字義通りの解釈と、文字通り解釈の違い

    ①字義通りとは、著者の意図通りに解釈すること。

    ②文字通りとは、字面通りに受け取ること。

  (2)ここの意味は、誇張法であろう。

    ①実際に目をえぐり出したとしても、その人は依然として心に罪を抱くであろう。

    ②実際に右の手を失っても、左の手で罪を犯すであろう。

    ③イエスの意図は、罪の要素を完全に取り去りなさいということ。

    ④これは、新生のみによって可能となる。

Ⅲ.離婚(31~32節)

    (1)現在、最も論争のあるテーマである。

    (2)先に行ってから、取り上げる。

Ⅳ.誓い(33~37節)

   1.33節

  「さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主

に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています」

     (1)モーセの律法は、【主】の御名によって誓うことを禁止している。

      ①レビ19:12、民30:2、申23:21

    (2)ユダヤ人たちは、巧妙な方法で、守らなくてもよい誓いの方法を作り出した。

      ①天をさして誓う。

②地をさして誓う。

③エルサレムをさして誓う。

④頭をさして誓う。

2.34~36節

「しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天を

さして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。地をさして誓ってもいけません。

そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の

都だからです。あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、

白くも黒くもできないからです」

   (1)イエスは、パリサイ人の誓いを偽善だと断罪された。

    ①通常の会話での誓いは、一切無用である。

  (2)神の御名の代替物は、すべて無効である。

      ①天をさして誓う。天は神の御座である。

②地をさして誓う。地は神の足台である。

③エルサレムをさして誓う。偉大な王の都である。

④頭をさして誓う。人間は神の創造物である。

3.37節

「だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。

それ以上のことは悪いことです」

    (1)必要以上に強い言葉を用いることは、心の邪悪さを示している。

      ①そのような人の心は、悪魔と罪の支配下にある。

Ⅴ.復讐(38~42節)

   1.38節

  「『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています」

     (1)モーセの律法には、罰則に関する規定がある。

      ①出21:24、レビ24:20、申19:21

      ②これは、罪を罰せよという命令であり、罰則の限界を定めたものでもある。

      ③また、処罰は政府の専権事項であり、個人が行うものではない。

    (2)この規定を、「lex talionis」という。

      ①「同害刑法」(報復法)という意味である。

  2.39~41節

  「しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの

右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする

者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに

二ミリオン行きなさい」

     (1)報復法は、被害者の権利は保護されている。

      ①しかし、義人はその権利を必ずしも主張しなくていい。

      ②義人は、謙遜で無私の心を持っている。

    (2)義人が権利を放棄する例

      ①右の頬を打たれた時、仕返しをしないで逆のことをする。

      ②下着を取られた時、代価を請求しないで逆のことをする。

      ③ローマの官憲が荷物を1マイル運べと命じたら、自発的に2マイル行く。

  3.42節

「求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい」

   (1)現代人には、非常に困難な教えである。

      ①天に宝を積むことをいつも考えている人には、可能である。

      ②求めている人は、本当の必要をかかえているということが前提になっている。

      ③真実は分からない。騙されたとしても、困っている人を拒否するよりはいい。

Ⅵ.敵への愛(43~48節)

  1.43節

  「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています」

     (1)モーセの律法は、隣人への愛を命じている。

      ①レビ19:18

      ②「自分の敵を憎め」という教えは、モーセの律法にはない。

      ③ただし、詩篇には神の義を求める祈りがある(詩139:21~22)。

    (2)パリサイ人の教えでは、隣人を愛することは、敵を憎むことと表裏一体となった。

  2.44~47節

  「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りな

さい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪

い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる

からです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。

取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつし

たからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするで

はありませんか」

   (1)イエスは、敵を愛し、彼らのために祈るように命じた。

    ①天の父が示しておられる愛を実践する。

  (2)自分の兄弟だけを愛しても、報酬を受けることはできない。

    ①未信者の取税人でも、同じことはしている。

    ②未信者の異邦人でも、同じことをしている。

    ③この両者は、パリサイ人たちが最も軽蔑した人たちである。

   3.48節

  「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」

     (1)文脈で理解する必要がある。

      ①罪が全くない状態を言っているのではない。

      ②上記6つの例についての成熟を言っている。

      ③つまり、信者の霊的成熟を問題にしているのである。

結論:

  1.殺人(21~26節)

    (1)罪人の裁きには、軽重がある。

      ①憎む→「ラカ」と言う→「モロス」と言う。

      ②法廷→サンヘドリン→ゲヘナ

    (2)1コリ11:27~30

    「したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、

主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を

吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲

み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。そのために、あな

たがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます」

  ①コリント教会における聖餐式の混乱

  ②原因は、分裂、分派。

  ③その状態のままで聖餐式を行っても、祝福はない。

  ④「自分を吟味する」とは、和解を促す言葉である。

  ⑤「みからだをわきまえないで」とは、主の死の意味を考えないでという意味。

  2.姦淫(27~30節)

    (1)2ペテ2:14

    「その目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、心の定まらない者た

ちを誘惑し、その心は欲に目がありません。彼らはのろいの子です」

  ①教会時代に登場する偽教師たちの描写

  ②外面は威厳に満ちていても、内面は汚れている。

(2)誘惑に会うことと、そこに留まることとは、別のことである。

  ①誰にでも誘惑は来る。

  ②その誘惑を心に留め、それを育てた時に、罪が入り込む。

(3)情欲を抱いた時、私たちの心は神から遠く離れている。

  3.離婚(31~32節)

  4.誓い(33~37節)

    (1)すべての場合に、誓いが禁止されているわけではない。

      ①法廷での誓い

      ②福音の真理の伝達

    (2)実例

      ①イエスの例(マタ26:63)

      ②パウロの例(2コリ1:23、ガラ1:20)

  5.復讐(38~42節)

    (1)ロマ12:17~21

    「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図

りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛す

る人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書い

てあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言

われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませ

なさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるので

す。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」

    (2)1ペテ2:22~23

    「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさば

かれる方にお任せになりました」

  6.敵への愛(43~48節)

    (1)ロマ12:14

    「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけま

せん」

(2)敵に対する愛は、感情的なものではなく、意志による決断である。

  まとめ

    (1)マタ5:20が中心聖句である。

    「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人

の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません」

      ①信仰による義

      ②聖霊の内住

      ③聖霊の導きに敏感になる。

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