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ルカの福音書(67)神の国への入国13:22~30
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神の国に入国するための条件について学ぶ。
ルカの福音書 67回
神の国への入国
13:22~30
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②ルカ13:18から、中心テーマが「神の国」に変わった。
③神の国とは、メシア的王国(千年王国)のことである。
(2)ルカ13:18~14:35の内容
①神の国のたとえ話(13:18~21)
②神の国への入国(13:22~30)
③神の国の延期(13:31~35)
④食卓での諸々の教え(14:1~24)
⑤弟子の代価(14:25~35)
(3)注目すべき点
①5つのポイントは、すべて神の国に関連した教えである。
②しるしを目撃した群衆は、神の国がすぐに到来することを期待した。
③しかし、指導者たちがメシアを拒否したので、神の国は延期された。
④イエスは、メシア拒否と再臨の間の期間に起こることについて話された。
2.アウトライン
(1)ある人の質問(22~23節a)
(2)狭い門(23b~24節)
(3)家の主人(25~27節)
(4)教えの適用(28~30節)
3.結論
(1)2つの門
(2)緊急性の認識
神の国に入国するための条件について学ぶ。
Ⅰ.ある人の質問(22~23節a)
1.22節
Luk 13:22
イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。
(1)エルサレムに向けたイエスの旅が続いている。
①地理的情報は、話題が次に移ったことを示している。
*使徒の働きでは、この手法が多用されている。
②地理的情報は、旅のゴールがエルサレムであることを思い出させている。
*イエスは十字架に向かって進んでいる。
*しかしイエスは、時間を取って弟子訓練を行っておられる。
(2)「狭い門」や「家の主人」の教えは、他の福音書にも出てくる。
①ルカは、それらの話を異なった文脈で紹介している。
②これは、イエスが同じ話を何度もされたことを示している。
③イエスの奉仕は、基本的には巡回伝道であった。
2.23節a
Luk 13:23a
すると、ある人が言った。「主よ、救われる人は少ないのですか。」
(1)これは、直前に出てきた神の国に関する教えを受けた質問である。
①「からし種のたとえ」と「パン種のたとえ」は、期待外れの内容であった。
②そこで、「救われる人は少ないのですか」という質問になった。
③ユダヤ人にとっては、「救われる」とは神の国(メシア的王国)に入ること。
(2)質問者が誰かは分からない。
①弟子の1人か、群衆の1人か。
②質問者が誰かよりも、質問内容のほうが重要である。
③イエスは、いつものように、質問を好機と捉えて、重要な真理を教える。
Ⅱ.狭い門(23b~24節)
1.23b~24節
Luk 13:23b
イエスは人々に言われた。
Luk 13:24
「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。
(1)「救われる人は少ないのですか」という質問は、興味本位の質問である。
①イエスは、その質問に直接的には答えなかった。
②自分の救いと無関係な質問をする人は多いが、救いとは無関係である。
③イエスは、どうすれば神の国に入ることができるかを教えた。
(2)狭い門とは、イエスの教えのことである。
①これは、評判の良くない道である。
②これは、入ることの決断が難しい門である。
(3)広い門とは、霊的指導者たちの教えのことである。
①これは、広く受け入れられている道である。
②これは、入ることの決断が容易な門である。
(4)「狭い門から入るように努めなさい」
①イエスの教えは、にわかに信じられなくても、信じるべきである。
②イエスの教えは、迫害に遭う可能性があっても、信じるべきである。
③自力救済を教えているのではない。
④「イエスの主権に従うこと」(ロードシップ論)を教えているのでもない。
⑤救いの条件は、信仰だけである。
(5)多くの人が、狭い門ではない門から入ろうとしていた。
①しかし彼らは、神の国に入ることができない。
②このことを説明するために、「家の主人」の話が語られる。
Ⅲ.家の主人(25~27節)
1.25節
Luk 13:25
家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってから、あなたがたが外に立って戸をたたき始め、『ご主人様、開けてください』と言っても、主人は、『おまえたちがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。
(1)ここでは、神の国が宴会にたとえられている。
①宴会が始まった。つまり、神の国が始まった。
②主人は、戸を閉めた。つまり、神の国に入る可能性が閉ざされた。
*主人は、主イエス自身である(マタ7:22~23)。
③中に入れなかった者たちは、外に立って戸をたたき始めた。
*彼らは、イスラエルの民である。
④主人は、「おまえたちがどこの者か、私は知らない」と答えた。
*イエスは信仰のない者たちに対して、彼らを知らないと言われる。
2.26節
Luk 13:26
すると、あなたがたはこう言い始めるでしょう。『私たちは、あなたの面前で食べたり飲んだりいたしました。また、あなたは私たちの大通りでお教えくださいました。』
(1)彼らは、主人と親密な関係を持っていたことをアピールした。
①ともに食べたり飲んだりした。
②大通りで教えてもらった。
3.27節
Luk 13:27
しかし、主人はあなたがたに言います。『おまえたちがどこの者か、私は知らない。
不義を行う者たち、みな私から離れて行け。』
(1)主人は、これらのアピールを一蹴した。
①これらのことは、見せかけの関係である。
②口先だけの信仰では、救われない。
③聖書を知っているだけでは、救われない。
④イエスに関する知識があるだけでは、救われない。
(2)主人は、厳しいことばを発した。
①「おまえたちがどこの者か、私は知らない」
*イエスのことばを信じない者は、イエスに知られていない。
②「不義を行う者たち、みな私から離れて行け」
*信仰がないなら、その人は「不義を行う者」である。
*罪人は、イエスに近づくことができない。
Ⅳ.教えの適用(28~30節)
1.28節
Luk 13:28
あなたがたは、アブラハムやイサクやヤコブ、またすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分たちは外に放り出されているのを知って、そこで泣いて歯ぎしりするのです。
(1)神の国に入っている人たち
①族長たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)
②すべての預言者たち
③彼ら全員が、信仰によって神の国に入っている。
④旧約時代の聖徒たちは、復活のからだで神の国に入る。
(2)自分たちは外に放り出されているのを知って、イスラエルの民は、後悔する。
①泣いて歯ぎしりする。
②これは、地獄を描写することばである。
2.29節
Luk 13:29
人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。
(1)異邦人の救いが預言される。
①旧約聖書は、異邦人の救いを預言している。
②イザ25:6~7
Isa 25:6
万軍の【主】は、この山の上で万民のために、/脂の多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、/髄の多い脂身と/よくこされたぶどう酒の宴会を開かれる。
Isa 25:7 この山の上で、/万民の上をおおうベールを、/万国の上にかぶさる覆いを取り除き、
③「人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、」
*これは、異邦人のことである。
③「神の国で食卓に着きます」
*これは、メシア的王国の始まりに開かれる宴会のことである。
④異邦人の救いは、ルカにとっては重要なテーマである。
*使徒の働きの中心テーマは、異邦人世界への福音の広がりである。
3.30節
Luk 13:30
いいですか、後にいる者が先になり、先にいる者が後になるのです。」
(1)後にいる者とは、異邦人である。
①ユダヤ人たちは、自分たちは異邦人よりもすぐれていると思っていた。
②その異邦人が先になる。
(2)先にいる者とは、ユダヤ人である。
①そのユダヤ人が後になる。
結論
1.2つの門
(1)狭い門
①これは、イエスのことばを信じて神の国に入る門である。
②この門から入る人は、祝福を受ける。
③信仰のある異邦人たちが、神の国で食卓に着くようになる。
④異邦人たちは、アブラハム、イサク、ヤコブとともに食卓に着く。
(2)広い門
①自分たちはアブラハムの子孫であると考えるのは、広い門である。
②広い門から入る者は、神の国の祝福に与ることができない。
③彼らは、「泣いて歯ぎしりする」。
④これは、地獄で経験する永遠の刑罰である。
*「泣いて」は、悲しみを表現している。
*「歯ぎしり」は、怒りと憎しみを表現している。
⑤神の国にいる人たちを見て、外にいる人たちは、悲しみと怒りを経験する。
⑥私たちへの教訓
*死後に悔い改める可能性はない。
*地獄は実際に存在する。
2.緊急性の認識
(1)個人的終末論の視点から
①生きている限り、イエスを信じることは可能である。
②しかし、年を取れば取るほど、信じるのが難しくなる。
③また、先延ばしにすればするほど、信じるのが難しくなる。
④「今決心しなくてもよい」という考えは、危険である。
(2)聖書的終末論の視点から
①メシアの再臨と神の国の設立は、間近に迫っている。
②神の国が始まれば、未信者が心を変えて救われることは不可能になる。
③手遅れになる前に、イエスを信じる決心をする必要がある。
④神の国の扉は、永遠に開いているわけではない。
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