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メシアの生涯(48)—12使徒の選抜‐マタイ、トマス-—
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マタイ、トマスの人生から教訓を学びます。
「12使徒の選抜‐マタイ、トマス-」
§053 マコ3:13~19、ルカ6:12~16
1.はじめに
(1)宣教の拡大のために、使徒たちを選抜し、彼らを各地に派遣する段階になった。
(2)12使徒のリストは、4ヶ所に出て来る。
①マコ3章、マタ10章、ルカ6章、使1章
②同名の者、別名を持つ者などがいて、非常に難解である。
③4人一組で考えれば、分かりやすい。
(3)A.T.ロバートソンの調和表
(§53)徹夜の祈りの後、イエスは12使徒を選ぶ。
マコ3:13~19、ルカ6:12~16
(4)これまでに6人取り上げた。
①ペテロ:キーマン
②アンデレ:紹介者
③ヤコブ:天国への一番槍
④ヨハネ:主が愛された弟子
⑤ピリポ:哲学者
⑥ナタナエル(バルトロマイ):イスラエルの型
(5)今回は、第2組の後半の2人を取り上げる。
⑦マタイと⑧トマス
<12使徒の歌(ルカ6:14~16)>
1. イエスの使徒たち12人、彼らは全員20代、
1組4人で活動し、御国の福音伝えます。
2. ペテロが最初の長(おさ)となり、弟アンデレそこに付き、
ヤコブとヨハネの兄弟も、 御国のために仕えます。
3.ピリポの組の者たちは、バルトロ、別名ナタナエル、
マタイ、もとは取税人、トマス、あだ名がデドモ(双子)です。
4. ヤコブの父はアルパヨで、シモンの前歴熱心党、
別名タダイのユダがいて、 裏切り者のユダ最後。
2.アウトライン
(1)マタイ
①概略の紹介
②召命を受けた場面
③食事会の場面
(2)トマス
①概略の紹介
②イエスとともに死のうとした場面
③イエスのことばを理解できないと言った場面
④イエスの復活を疑った場面
3.結論
(1)マタイの性格
(2)トマスの性格
このメッセージは、マタイとトマスの人生から教訓を学ぼうとするものである。
Ⅰ.マタイ
1.概略の紹介
(1)4つのリストの中で、位置が変わる。
①7番目か8番目
(2)マタイという名の意味は、「ヤハウェからの贈り物」である。
①アルパヨの子レビ(マコ2:14)とある。
②このアルパヨは、9番目に出て来るヤコブの父アルパヨとは別人である。
③当時は、2つの名前を持つ人がいた。
(3)今までに登場した使徒たちは、バプテスマのヨハネの弟子であった。
①マタイは、バプテスマのヨハネの弟子ではなかった。
(4)彼の職業は、取税人であった。
①カペナウムで関税(通行税)を徴収する取税人であった。
②ローマの官吏ではなく、国主ヘロデ・アンテパスに仕える取税人であった。
③税額を前納し、それ以降取り立てたものとの差額が、収入になった。
(5)彼は相当な教育を受けていたであろう。
①アラム語
②ギリシア語
2.召命を受けた場面
「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧
になって、『わたしについて来なさい』と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに
従った」 (マタ9:9)
(1)マタイは、イエスの権威を認識した。
①突然起こったことではない。
②収税所は、情報の収集センターのようなものである。
③さらに、イエスは取税人や罪人たちの間で評判がよかった。
(2)これは、徹底的な従順である。
①ルカ5:28
「するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った」
②マタイの福音書には、「何もかも捨て」という言葉はない。
③マタイにとっては、後戻りできない献身であった。
3.食事会の場面
「イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエ
スやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた」 (マタ9:10)
(1)それからしばらくして、マタイは自宅で宴会を開いた。
①霊的新生を感謝する会である。
②古いマタイには考えられないような、気前のよいことが起こっている。
(2)招かれた客
①イエスと使徒たち6人
②取税人や罪人(娼婦)が大ぜい
(3)「いっしょに食卓に着いていた」
①ユダヤ的視点では、食事をともにすることは、親密な交わりを意味する。
②マタイは取税人としての特権や富を捨てたが、イエスを友とするようになった。
(4)これ以降、マタイの記録は福音書には出てこない。
Ⅱ.トマス
1.概略の紹介
(1)彼もまた、バプテスマのヨハネの弟子ではない。
(2)トマスという名前の意味
①双子(彼には双子の兄弟がいたのであろう)
②ギリシア語でデドモという。
③恐らく、ギリシア人との付き合いではデドモと呼ばれていたのであろう。
2.イエスとともに死のうとした場面
「そこで、イエスはそのとき、はっきりと彼らに言われた。『ラザロは死んだのです。わ
たしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居
合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう』」。そこで、デド
モと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。「私たちも行って、主といっしょに死のう
ではないか」 (ヨハ11:14~16)
(1)ラザロは死んだ。
①イエスがその場に居合わせなかったのは、よいことであった。
②ラザロを生き返らせることで、人々の信仰をかき立てることができるから。
(2)しかし、イエスがユダヤ地方に行くのは、危険なことであった。
①指導者たちが、イエスの命を狙っている。
②もしイエスが逮捕され、殺されたなら、弟子たちも同じ目に会うだろう。
(3)トマスは、他の弟子たちを鼓舞してこう言った。
「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」
①彼には、イエスに対する熱烈な愛と献身の思いがある。
②しかし、これは信仰の言葉ではない。
③これは、絶望の言葉である。
④情熱が、ペテロとは正反対の方向に向かう。
(例話)盤面を見ているだけで、負けたと思った棋士
(4)トマスにはその意識がなったが、ここにはアイロニー(皮肉)がある。
①彼は、イエスの贖罪の死の意味を理解していなかった。
・イエスは、ラザロの命と引き換えに、自分の命を犠牲にしようとしていた。
②後に、ほとんどの弟子たちが、殉教の死を遂げるようになる。
3.イエスのことばを理解できないと言った場面
「『わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのも
とに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道は
あなたがたも知っています』。 トマスはイエスに言った。『主よ。どこへいらっしゃるの
か、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう』。イエスは
彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでな
ければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」 (ヨハ14:3~6)
(1)弟子は、ラビの教えが分からない場合は、質問をした。
①ここでは、12使徒全員が不思議に感じている。
②トマスが、群れを代弁して質問している。
(2)イエスの素晴らしい回答が与えられた。
①イエスはこれまでにも、弟子たちに救いの道を教えて来られた。
②再度、確認される。
・救いの道はひとつだけである。
・イエスだけが救いの道である。
・イエスは、道、真理、いのち、そのものである。
4.イエスの復活を疑った場面
「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らとい
っしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に『私たちは主を見た』と言った。し
かし、トマスは彼らに『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、ま
た私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません』と言った。八日後に、
弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イ
エスが来て、彼らの中に立って『平安があなたがたにあるように』と言われた。それから
トマスに言われた。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、
わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい』。ト
マスは答えてイエスに言った。『私の主。私の神』。イエスは彼に言われた。『あなたはわ
たしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです』」 (ヨハ20:24~29)
(1)トマスがなぜ他の使徒たちといっしょにいなかったのかは、分からない。
(2)トマスの疑い
①他の使徒たちが何かを見たことは否定していない。
②彼は、イエスが復活の体を持たれたことを信じなかった。
③それを信じるためには、触って確かめてみる必要がある。
(3)イエスは、その言葉を聞いておられた。
①8日目に、復活のイエスが現れた。
②トマスは、「私の主。私の神」と叫んだ。
・これは、トマスの信仰告白である。
結論:
1.マタイは、「神からの贈り物」である。
(1)彼は、人々の富を奪うために、自分の才能を用いていた。
(2)しかし、その才能は「神からの贈り物」であることに気づいた。
(3)そして、彼自身が、他の人に対して「神からの贈り物」となった。
(4)福音書にはわずかしか登場しないが、イエスの行いと教えを観察していた。
(5)そして、マタイの福音書を後世に遺した。
2.トマスは、「懐疑論者」である。
(1)情熱家である。
(2)しかし、うつ的気質の人であり、ものごとを否定的に見る人である。
(3)その彼の人格もまた、完成へと導かれた。
(4)ヨハネの福音書の2つの流れ
①不信仰の拡大→最後は、イエスを十字架に付ける。
②弟子たちの信仰の成長→トマスの信仰告白がクライマックスになっている。
(5)トマスが疑った結果、私たちが信じることができるようになった。
①復活を信じるかどうかは、弟子たちを信頼するかどうかにかかっている。
(6)彼は、ガリラヤ湖畔で復活のイエスに出会った中のひとりである(ヨハ21章)。
(7)彼は、聖霊降臨を待つ信者の群れの中にいる(使1:13)。
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