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ルカの福音書(58)パリサイ人たちの敵意11:37~54
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イエスに対する敵意について学ぶ。
ルカの福音書 58回
パリサイ人たちの敵意
ルカ11:37~54
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカ9:51からエルサレムへの旅が始まった(ルカ9:51~19:27)。
②ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
(2)直近の文脈
①派遣された70人が帰還した。
②イエスは、弟子としていかに生きるべきかを語った。
③今後の展開
*イエスとイエスのメッセージに対する拒否がクライマックスを迎える。
*拒否という現実の中で、弟子としていかに生きるべきかが教えられる。
(3)ルカ11:14~54の内容
①ベルゼブル論争(14~26節)
②神のことばを守ることの重要性(27~28節)
③ヨナのしるし(29~32節)
④光に応答することの重要性(33~36節)
⑤パリサイ人たちの敵意(37~54節)
(4)注目すべき点
①イエスに対する敵対は、群衆からパリサイ人に移行する。
②イエスの教えも、警告から糾弾に移行する。
③ルカが記しているのは、マタ23:1~36とは異なった出来事であろう。
④ルカの福音書では、これはイエスがパリサイ人に語った最後の教えである。
⑤霊的リーダーの責任は大きい。
2.アウトライン
(1)きよめに関するイエスの教え(37~41節)
(2)パリサイ人に向けられた3つのわざわい(42~44節)
(3)律法の専門家に向けられた3つのわざわい(45~52節)
(4)イエスに対する敵意(53~54節)
3.結論 :イエスがパリサイ人や律法学者を叱責された理由
イエスに対する敵意について学ぶ。
Ⅰ.きよめに関するイエスの教え(37~41節)
1.37~38節
Luk 11:37
イエスが話し終えられると、一人のパリサイ人が、自分の家で食事をしていただきたい、とお願いした。そこでイエスは家に入って、食卓に着かれた。
Luk 11:38
そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て驚いた。
(1)一人のパリサイ人がイエスを食事に招いた。
①パリサイ派はイエスに敵対していたが、その中には例外もあった。
②食卓は、ラビが参列者に律法について教える機会でもあった。
(2)イエスは、主人役であるパリサイ人を驚かせた。
①食事の前に、きよめの洗い(儀式的洗い)を実行しなかった。
②モーセの律法は、食前のきよめの洗いを命じていない。
③しかし、食前のきよめの洗いは、パリサイ派の伝統の一部になっていた。
④パリサイ人は、きよめの洗いを汚れの予防策と考えていた。
2.39~40節
Luk 11:39
すると、主は彼に言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や皿の外側はきよめるが、その内側は強欲と邪悪で満ちています。
Luk 11:40
愚かな者たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。
(1)イエスは、律法の命令を越えてきよめを行うことについては、非難しなかった。
①イエスは、この機会を捉えて、儀式的きよめが内包している矛盾を指摘された。
②イエスは、パリサイ人の教えが偽善的であることを指摘された。
③結果的に、パリサイ人を怒らせることになる。
④イエスは、真理のために戦うことを躊躇しなかった。
(2)パリサイ人は、細かいことにこだわりながら、大きなことは無視していた。
①食器の外側をきよめても、御心を行ったことにはならない。
②外側のきよめよりも重要なことは、内側のきよめである。
③神は、外側も内側も造られた。
(ILL)汚いことばは、歯磨きではなく、内面のきよめによって癒される。
(ILL)フルクテンバウム師は食前の祈りをしない。
3.41節
Luk 11:41
とにかく、内にあるものを施しに用いなさい。そうすれば、見よ、あなたがたにとって、すべてがきよいものとなります。
(1)自分が大事にしているものを貧しい人たちに施すべきである。
①施しによって心が清くなるわけではない。
②施しは、その人の心が清くなっていることの証拠となる。
Ⅱ.パリサイ人に向けられた3つのわざわい(42~44節)
1.42節
Luk 11:42
だが、わざわいだ、パリサイ人。おまえたちはミント、うん香、あらゆる野菜の十分の一を納めているが、正義と神への愛をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。
(1)第1のわざわい:大事なことをおろそかにするという問題
①パリサイ人たちは、家庭菜園の収穫にまでこだわっていた。
*イエスは、ミントとうん香を例に挙げている。
②そのくせ、正義も神への愛もおろそかにしていた。
*十分の一もおろそかにしてはならないが、正義や神への愛のほうが重要。
2.43節
Luk 11:43
わざわいだ、パリサイ人。おまえたちは会堂の上席や、広場であいさつされることが好きだ。
(1)第2のわざわい:虚栄心という問題
①会堂の上席を好んだ。
*当時は、指導者たちが会堂で前の席に座った。
②広場であいさつされることを好んだ。
*公の場で、虚栄心が満たされた。
3.44節
Luk 11:44
わざわいだ。おまえたちは人目につかない墓のようで、人々は、その上を歩いても気がつかない。」
(1)第3のわざわい:汚れを拡散しているという問題
①人目につかない墓は、汚れを拡散する。
*墓を白く塗るのは、それに触って汚れを受けないためである。
②それと同じように、パリサイ人の教えを受ける人は汚れる。
*人々は、パリサイ人たちの教えが汚れていることを知らない。
*パリサイ派の教えは、国全体を汚れたものとしていた。
Ⅲ.律法の専門家に向けられた3つのわざわい(45~52節)
1.45~46節
Luk 11:45
すると、律法の専門家の一人がイエスに言った。 「先生。そのようなことを言われるなら、私たちまで侮辱することになります。」
Luk 11:46
しかし、イエスは言われた。「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本触れようとはしない。
(1)律法の専門家とは、律法学者である。
①律法の専門家は、固有のグループを形成していた。
②律法の専門家の多くは、パリサイ派に属していた。
③律法の専門家とパリサイ人たちは、行動をともにすることが多かった。
(2)その場にいた律法の専門家の一人が、イエスに抗議した。
①「先生。そのようなことを言われるなら、私たちまで侮辱することになります」
②彼は、自分たちはパリサイ人ほど罪が重くないと主張した。
③イエスは、それを認めなかった。
(3)わざわい1:愛がないという問題
①律法の専門家たちは、律法の解釈に時間を費やした。
②パリサイ派は、その解釈の実行を推進する宗教団体である。
③律法の専門家たちは、厳密な律法解釈を通して民に重荷を負わせた。
④しかし、自分たちのためには「抜け道」を用意した。
⑤と同時に、自分たちは律法に従順であるかのように振る舞っていた。
⑥彼らには、民衆に対する愛がない。
⑦ミシュナ法は、律法に従うよりも、口伝律法に従うほうが重要だとした。
*律法は難解であるが、解釈された口伝律法は明快である。
*明快な口伝律法に違反することは、より重大な罪となる。
2.47~48節
Luk 11:47
わざわいだ。おまえたちは預言者たちの墓を建てているが、彼らを殺したのは、おまえたちの先祖だ。
Luk 11:48
こうして、おまえたちは先祖がしたことの証人となり、同意しているのだ。彼らが預言者たちを殺し、おまえたちが墓を建てているのだから。
(1)わざわい2:預言者たちを迫害するという問題
①古くなった預言者たちの墓を新しく建てるのは、決して悪いことではない。
②しかしイエスは、この行為の中に彼らの欺瞞を見る。
③彼らは、墓を建てることで先祖たちの罪に荷担している。
*先祖たちの罪の償いをしている。
④彼らは、死んだ預言者たちを敬うが、生きている預言者たちを迫害する。
*バプテスマのヨハネとイエスのことである。
3.49~51節
Luk 11:49
だから、神の知恵もこう言ったのだ。『わたしは預言者たちや使徒たちを彼らに遣わすが、彼らは、そのうちのある者たちを殺し、ある者たちを迫害する。
Luk 11:50
それは、世界の基が据えられたときから流されてきた、すべての預言者の血の責任を、この時代が問われるためである。
Luk 11:51
アベルの血から、祭壇と神の家の間で殺されたザカリヤの血に至るまで。』そうだ。わたしはおまえたちに言う。この時代はその責任を問われる。
(1)イエスは、神の知恵を引用する。
①神の知恵とは、旧約聖書のことばである。
②引用した内容は、特定の旧約聖書の箇所ではない。
③これは、預言者たちの運命に関する啓示を要約したものである。
(2)要約した内容
①民は、神が遣わした預言者たちや使いの者たちを迫害してきた。
②神は、すべての預言者の血の責任をこの時代に問う。
③なぜなら、この時代は神の御子を拒否したからである。
④神の怒りが、この時代の上に注がれる。
*紀元70年のエルサレム崩壊とユダヤ人の世界離散の悲劇
⑤この時代は、アベルの血からザカリヤの血に至るまでの責任を負う。
*アベルは、最初の殉教者(創4:8)
*ザカリヤは、旧約聖書で最後の殉教者(2歴24:21~22)
4.52節
Luk 11:52
わざわいだ、律法の専門家たち。おまえたちは知識の鍵を取り上げて、自分は入らず、入ろうとする人々を妨げたのだ。」
(1)わざわい3:知識の鍵を取り上げているという問題
①「知識の鍵」とは、神のことばであり、イエスのことばでもある。
②「the key of the knowledge」である。
③「the keys of the kingdom」(御国の鍵 マタ16:19)ではない。
④律法の専門家たちは、イエスの教えを拒否した。
⑤その結果、人々が霊的知識を得ることを妨げた。
(2)このわざわいが、6つのわざわいのクライマックスである。
①神のことばを伝える使命を与えられた者たちが、その使命を放棄したのである。
Ⅳ.イエスに対する敵意(53~54節)
1.53~54節
Luk 11:53
イエスがそこを出て行かれると、律法学者たち、パリサイ人たちはイエスに対して激しい敵意を抱き、多くのことについてしつこく質問攻めを始めた。
Luk 11:54
彼らは、イエスの口から出ることに、言いがかりをつけようと狙っていたのである。
(1)律法学者とパリサイ人のイエスに対する敵意は、激しく燃えた。
①彼らは、多くのことについてしつこく質問攻めを始めた。
②イエスの信頼性を貶めるための質問である。
③言いがかりをつけるための質問である。
(2)これは、ルカの福音書の中での「霊的指導者たちによるメシアの拒否」である。
①イスラエルが公にイエスがメシアであることを拒否したということである。
②マタイとマルコでは、それぞれ12章がそれに該当する。
③律法学者とパリサイ人の殺意は、激しさを増していく。
結論:イエスがパリサイ人や律法学者を叱責した理由
1.彼らは、外側をきよめたが、内側はそのままにしておいた。
2.彼らは、菜園の収穫の10分の1を献げたが、正義と神への愛はおろそかにした。
3.彼らは、称賛されたり注目を浴びたりすることを好んだ。
4.口伝律法という重荷を人々に負わせ、自分では手助けしなかった。
5.イエスが語る真理のことばを受け入れなかった。
6.人々がイエスのことばを受け入れるのを妨げた。
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