ルカの福音書(53)マルタとマリア10:38~42

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弟子としての生活の優先順位について学ぶ。

ルカの福音書 53回

マルタとマリア

ルカ10:38~42

1.はじめに

(1)文脈の確認

  ①イエスのガリラヤ地方での奉仕(ルカ4:14~9:50)

  ②ルカ9:51からエルサレムへの旅が始まった(ルカ9:51~19:27)。

    *ルカは、弟子たちに語られたイエスの教えに関心がある。

    *エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。

(2)直近の文脈

  ①派遣された70人が帰還した。

  ②イエスは、弟子としていかに生きるべきかを語った。

(3)ルカ10:25~11:13は、1つのブロックである(ルカだけの情報)。

  ①隣人との関係-良きサマリア人のたとえ(10:25~37)

  ②イエスとの関係-マルタとマリア(10:38~42)

  ③父なる神との関係-主の祈り(11:1~13)

(4)注目すべき点

  ①ルカは、ここでも、弟子となった婦人たちを取り上げている。

    *ルカ8:2~3

Luk 8:2 また、悪霊や病気を治してもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、

Luk 8:3 ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた。

  ②良きサマリア人のたとえは、隣人への愛(第2の命令)がテーマである。

  ③マルタとマリアの話は、神への愛(第1の命令)がテーマである。

2.アウトライン

(1)イエスを歓迎する家(38節)

(2)マリアの応対(39節)

(3)マルタの応対(40節)

(4)イエスの教え(41~42節)

3.結論 :イエスの弟子として学ぶべき霊的教訓

弟子としての生活の優先順位について学ぶ。

Ⅰ.イエスを歓迎する家(38節)

1.38節

Luk 10:38
さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。

(1)エルサレムへの旅というモチーフが続く。

  ①ルカは、旅の行程や地理的情報は重視していない。

  ②急にエルサレムに近づいているが、ルカの意図からすれば、問題ではない。

  ③これは、最後の過越の祭りの前の12月(ハヌカの祭り)のことだと思われる。

(2)「ある村」とは、ベタニアであるが、ルカはそれを省略している。

  ①ヨハ11:1

Joh 11:1 さて、ある人が病気にかかっていた。ベタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。

  ②ヨハネは、ラザロの名を挙げているが、ルカ(共観福音書)は省略している。

  ③両者の違いは何か。

    *ラザロの一家は、ユダヤ人からの攻撃に遭う可能性があった。

    *ルカはそれを恐れて、ベタニアの名もラザロの名も伏せたと考えられる。

    *ヨハネの福音書はエルサレム崩壊以降に書かれたので、なんの問題もない。

(3)ルカは、マルタをこの家の女主人として紹介している。

  ①マルタはアラム語の「マル」から派生している。女主人という意味である。

  ②彼女の歓迎ぶりは、サマリア人の否定的な態度と好対照を成している。

  ③ルカ9:53

Luk 9:53 しかし、イエスが御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリア人はイエスを受け入れなかった。

  ④マルタは責任感の強い女主人である。

  ⑤イエスの弟子として、最大限のもてなしをしようとした。

Ⅱ.マリアの応対(39節)

1.39節

Luk 10:39
彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。

(1)マルタにはマリアという妹がいた。

  ①マリアは、ミリアムである。

  ②彼女は、姉のマルタとは異なった対応をした。

(2)マリアは、伝統的な弟子の姿勢を取った。

  ①主の足もとに座って、そのことばに聞き入った。

  ②ラビの足もとに座るのは、弟子が学ぶときの姿勢である。

  ③使22:3

Act 22:3
「私は、キリキアのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。

    *「ガマリエルのもとで」は、「at the feet of Gamaliel」である。

  ④「主」ということばは、イエスの権威を表している。

  ⑤マリアは、弟子としてイエスの権威に服したのである。

Ⅲ.マルタの応対(40節)

1.40節a

Luk 10:40a
ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、

(1)マルタも、マリアと同じようにイエスの足もとに座りたかったはずである。

  ①しかし、女主人としての役割があったので、それができなかった。

  ②彼女は、心が落ち着かなかった。

    *心を乱した。

    *イエスに向けるべき関心が、あちこち揺れ動いた。

  ③マリアに対する妬みも生まれてきた。

2.40節b

Luk 10:40b

 みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」

(1)マルタは、文句を言うためにイエスのもとに来た。

  ①彼女は、イエスがマリアに忠告してくれることを願った。

  ②「座り込んでいないで、お姉さんの手伝いをしなさい」と言ってほしかった。

(2)「主よ」と言っているが、イエスを自分の計画どおりに動かそうとしている。

  ①彼女は、マリアがしているように、主イエスの計画に耳を傾けるべきであった。

Ⅳ.イエスの教え(41~42節)

1.41節

Luk 10:41
主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。

(1)イエスはマルタを否定したのではなく、思い煩いの解決策を与えようとした。

  ①「マルタ、マルタ」という呼びかけに、愛とあわれみが込められている。

  ②ルカ22:31

Luk 22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。

  ③使9:4

Act 9:4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」

(2)イエスは、問題の分析をした。

  ①いろいろな思い煩いとは、過剰な接待のことである。

  ②これはイエスが命じたことではなく、彼女自身が、自らに課したことである。

  ③もてなしは簡素にして、主イエスのことばに耳を傾けるほうがよほど良い。

      (ILL)将来の方法性について相談に乗ってくれたある牧師(食事もしないで)

2.42節

Luk 10:42

しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

(1)必要なことは一つだけです。

  ①必要なこととは、イエスのことばに耳を傾けることである。

  ②これは、主の権威を認めることであり、主に依存することでもある。

  ③イエスのことばを聞くとは、イエスの弟子になることである。

(2)マリアの選んだ一つのことは、マルタの選んだ多くのことよりもまさっている。

  ①マルタは、働きを少なくし、もっとイエスのことばを聞くべきであった。

  ②マリアが選んだのは弟子としての道であり、そこには祝福が伴っている。

  ③それが彼女から取り上げられることはない。

結論:イエスの弟子として学ぶべき霊的教訓

1.「わざによる救い」や「律法主義的生活」を求めるのは、危険なことである。

(1)良きサマリア人のたとえの直後に、このエピソードが置かれている。

(2)ルカは、行い以上にイエスのことばに耳を傾けることの重要性を説いた。

2.
静思の時を確保しないで、忙しく奉仕をすることは無意味なことである。

(1)神は、私たちが聞き従うことを望んでおられる。

(2)神のことばを聞かなければ、祝された奉仕はできない。

(3)弟子として、優先順位を確立する必要がある。

3.相手の必要を確認しないで、自分の判断で親切にしようとするのは愚かなことである。

(1)マルタは、食卓にごちそうを並べることが、親切だと思い込んでいた。

(2)イエスは、食事は簡単にして、自分のことばに耳を傾けてほしいと思われた。

(3)自分の奉仕が、神の御心に適っているかどうか、吟味しよう。

4.イエスのことばを聞いて理解する人は、時宜に適った奉仕をすることができる。

(1)ヨハ12:2~3

Joh 12:2

人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。

Joh 12:3

一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

(2)ヨハ12:7

Joh 12:7
イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。

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