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ルカの福音書(52)良きサマリア人のたとえ10:25~37
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隣人との関係について学ぶ。
ルカの福音書 52回
良きサマリア人のたとえ
ルカ10:25~37
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスのガリラヤ地方での奉仕(ルカ4:14~9:50)
②ルカ9:51からエルサレムへの旅が始まった(ルカ9:51~19:27)。
*ルカは、弟子たちに語られたイエスの教えに関心がある。
*エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
(2)直近の文脈
①2番目のミッションは、70人の派遣である(ルカだけの情報)。
②ルカの強調点は、70人の宣教活動そのものではなく、イエスの教えである。
③派遣された70人が帰還した。
④イエスは、弟子としての生活に関する教えを語る。
(3)ルカ10:25~11:13は1つのブロックである。
①ルカ独特の記録になっている。
②キーワードは「関係」である。
*隣人との関係-良きサマリア人のたとえ(10:25~37)
*イエスとの関係-マルタとマリア(10:38~42)
*父なる神との関係-主の祈り(11:1~13)
2.アウトライン
(1)律法の専門家とイエスの対話(25~29節)
(2)良きサマリア人のたとえ(30~37節)
3.結論
(1)行いのない信仰
(2)隣人愛の実践
(3)「良きサマリア人のたとえ」が持つエネルギー
隣人との関係について学ぶ。
Ⅰ.律法の専門家とイエスの対話(25~29節)
1.25節
Luk 10:25
さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
(1)ある律法の専門家が、イエスに質問した。
①彼は、律法学者である。
②動機は、イエスを試みることであった。可能なら罠にかけたいと思った。
③彼は、知識はあるが、傲慢で霊的真理が見えていない人である。
④この質問が、良きサマリア人のたとえが語られる機会となった。
(2)「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」
①彼は、イエスを教師、あるいは、ラビと見た。
②彼は、イエスを預言者以下、メシア以下の存在と見た。
③彼の質問は、当時のユダヤ教の考え方を反映したものである。
④「何をしたら」に強調点がある。
⑤「永遠のいのち」とは、メシア的王国への入国を含む霊的救いである。
⑥この質問の前提自体が間違っている。
*わざによる救いが想定されている。
2.26節
Luk 10:26
イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
(1)イエスは、権威があると両者が認めている律法に関心を向けさせた。
①律法とは、モーセの律法のことである。
②律法を知り、それを正しく解釈することは、律法学者の仕事である。
(2)この質問によって、イエスと律法学者の立場が逆転した。
①イエスが律法学者を試す立場に立った。
3.27~28節
Luk 10:27
すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
Luk 10:28
イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
(1)律法学者は、正しく答えた。
①申11:13
Deu 11:13
もしわたしが今日あなたがたに命じる命令、すなわち、あなたがたの神、【主】を愛し、心を尽くし、いのちを尽くして仕えよという命令に、あなたがたが確かに聞き従うなら、
②レビ19:18
Lev 19:18
あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは【主】である。
(2)イエスは、律法学者の答えが正しいことを認めた。
①その答えには、一つ問題があった。
*律法を完ぺきに守った人は一人もいないという問題である。
②イエスは「それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます」と付け加えた。
*これは、わざによる救いを教えたものではない。
*むしろ、わざによる救いが不可能であることを教えたものである。
*一点でも失敗すれば、律法全体に違反したことになる。
*また、継続して律法を守り続けることは不可能である。
4.29節
Luk 10:29
しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」
(1)律法学者が示すべき反応とは何か。
①自分の無力を認める。
②何をすべきかをイエスに尋ねる。
(2)しかし彼は、自分を正当化しようとして、律法の命令を狭めようとした。
①隣人とは、近くにいる人たちである。
②しかし彼は、隣人の範囲を限定しようとした。
③ユダヤ人たちは、隣人の定義を狭くしていた。
*隣人とは、同胞のユダヤ人や、同じ宗教共同体に属する者である。
*異邦人、特にサマリア人は排除される。
④隣人の聖書的定義を採用すれば、今日の人種問題はただちに解決される。
(3)イエスは、誤解を正すために、良きサマリア人のたとえを語られた。
①良きサマリア人のたとえは、隣人愛について教えている。
②次に続くマルタとマリアのエピソードは、神への愛を教えている。
Ⅱ.良きサマリア人のたとえ(30~37節)
1.30節
Luk 10:30
イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
(1)実話か創作した話かは、分らない。
①たとえ話は、実際に起こり得る内容を取り上げ、霊的教訓を教えるものである。
(2)「ある人」の人種は、ユダヤ人であることが想定されている。
①エルサレムからエリコまでは、30㎞弱の下り道である。
②その間、約1,000m下る。
③曲がりくねった道で、強盗たちが出没する危険地帯となっていた。
④当時は、着物は高価な品であったので、はぎ取られた。
⑤旅人は抵抗したと思われる。半殺しになったまま放置された。
2.31節
Luk 10:31
たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。
(1)そこに偶然、一人の祭司がやって来た。
①恐らくエリコの住民であろう。エリコは、祭司とレビ人の町と言われていた。
②彼は、エルサレムでの奉仕を終えたばかりである。
③彼は、瀕死の人を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
④ルカは、その理由を書いていない。
⑤いずれにしても、この祭司は、隣人愛の実践に失敗した。
3.32節
Luk 10:32
同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
(1)次に、レビ人が通りかかった。
①レビ人は、祭司を援助する役割を担っていた。
②彼も、祭司と同じように行動した。
③ルカは、その理由を書いていないが、想像はできる。
*強盗が近くにいるかもしれないという恐れ
*儀式的な汚れを受けるかもしれないという恐れ
*面倒なことに巻き込まれるかもしれないという恐れ
4.33~35節
Luk 10:33
ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。
Luk 10:34
そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。
Luk 10:35
次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
(1)サマリア人は、3人の中で最も援助の手を差し伸べる可能性が低い人である。
①にもかかわらず、彼は傷ついた旅人を助けた。
②「サマリア人」ということばが、文頭に置かれている。
③「選りに選ってサマリア人が」というニュアンスがある。
(2)「かわいそうに思った」
①あわれみの心が、人種的偏見に打ち勝った。
②サマリア人のあわれみの心が、祭司とレビ人の同胞愛の欠如と対比されている。
③医者ルカの記述
*オリーブ油は、痛みを和らげた。
*ぶどう酒は、傷口を消毒した。
*包帯をした。
(3)サマリア人は、愛を実行した。
①傷ついた旅人をロバに乗せて宿屋に連れて行った。
*ベタニヤとエリコの間に、2つの宿屋の遺跡がある。
②そこで一泊し、翌日、宿の主人にデナリ2枚を支払って、看護を依頼した。
③デナリ2枚は、たいそうな額である。
*当時は、一日の生活費は12分の1デナリとされていた。
④もっと費用がかかったら、その分も支払うことを約束した。
5.36節
Luk 10:36
この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
(1)これが、このたとえ話の適用である。
①イエスは、「では、私の隣人とはだれですか」という問いをさかさまにした。
②「誰が強盗に襲われた人の隣人になったか」と問われた。
③答えは単純明快である。
6.37節
Luk 10:37
彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」
(1)律法学者は、正しく回答した。
①しかし彼は、「サマリア人」ということばを口にすることを拒否した。
(2)イエスは、サマリア人のように行動しなさいと命じた。
①ことばで信仰を告白するだけでは不十分である。
②行動したときに、隣人愛を実践したことになる。
③この命令自体が、100%実行することは不可能である。
④この律法学者がどう応答したかは、書かれていない。
結論
1.行いのない信仰
(1)祭司
①人を助けるのが仕事である。
②日々聖書に親しみ、律法の要求を良く理解している。
③先ほどまで、礼拝と霊的体験の中心であるエルサレムにいた。
④彼の信仰は、行動につながらなかった。
(2)レビ人
①祭司を援助するのが仕事である。
②彼の信仰もまた、行動につながらなかった。
(3)ヤコ2:14
Jas 2:14
私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
2.隣人愛の実践
(1)イエスとサマリア人の対比は、鮮明である。
①しかし、これはこのたとえ話の中心ではない。
②イエスは、隣人愛とはどのようなものであるかを教えた。
(2)愛は感情ではなく、行動である。
①予定を変更する。
②お金を使う。
③評判を危険にさらす。
④これらのことを見知らぬ人のためにする(人間だという理由だけで)。
3
.「良きサマリア人のたとえ」が持つエネルギー
(1)良きサマリア人病院(Good Samaritan Hospital)
(2)サマリタンズ・パース
①1970年、アメリカでボブ・ピアスによって設立された緊急援助支援団体。
②1979年、フランクリン・グラハムが代表者に就任。
③日本では、東日本大震災直後から活動が始まった。
(3)「あわれみの心」
①人種の壁、階級間の争い、偏見などを乗り越える力である。
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