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メシアの生涯(43)—ガリラヤ湖畔での群衆の癒し—
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人生における逆転の発想について考えます。
「ガリラヤ湖畔での群衆の癒し」
§052 マコ3:7~12、マタ12:15~21
1.はじめに
(1)安息日論争の結果、パリサイ人たちはイエスに対して殺意を抱くようになった。
①さて、メシアであり王であるイエスは、どう応答するか。
②弟子たちは、攻撃的なメシア像を持っていた。
③群衆は、ローマの圧政からイスラエルを解放してくれるメシアを期待していた。
(2)イエスは、予想外の行動に出る。
①人の道と神の道とは、遠く離れている。
②このことを知れば、今日の箇所の意味が理解できる。
(3)常識を疑うこと、逆転の発想
①世界観を決するような重要なテーマで、科学的に証明されているものはない。
②神の存在を証明できないが、神が存在しないことも証明できない。
③宇宙の始まり、進化論と創造論など。
(例話)創造論にとまどう生物学の教授
(4)A.T.ロバートソンの調和表
(§52)ガリラヤ湖畔での群衆の癒し
マコ3:7~12、マタ12:15~21
2.アウトライン
(1)群衆を癒すイエス
(2)汚れた霊を黙らせるイエス
(3)メシア預言を成就するイエス
3.メッセージのゴール:逆転の発想
(1)理性中心から超理性へ
(2)広い道から狭い道へ
(3)成功哲学から奉仕哲学へ
このメッセージは、人生における逆転の発想について考えようとするものである。
Ⅰ.群衆を癒すイエス(マコ3:7~10)
1.7節a
「それから、イエスは弟子たちとともに湖のほうに退かれた」
(1)イエスは、ガリラヤ湖畔に退かれた。
①イエスは、パリサイ人たちの殺意を知っておられた。
②まだ十字架の時は来ていない。
③教えるという奉仕が残っている。
④見通しの良い湖畔は、安全である。
(2)イエスは、たびたび敵を避けて退いておられる。
①祈りのために
②休息のために
③弟子たちと時を過ごすために
④多くの場合、群衆がその後を追った。
2.7節b~8節
「すると、ガリラヤから出て来た大ぜいの人々がついて行った。また、ユダヤから、エル
サレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々
が、イエスの行っておられることを聞いて、みもとにやって来た」
(1)広い範囲の場所から、群衆が集まって来た。
①ガリラヤは地元である。
②ユダヤ、エルサレムは南である。
③イドマヤは、死海の南東で、かつてエドムと言われた地である。
*ヘロデの出身地。聖書ではここにしか出てこない言葉である。
*当時は、イスラエルの領域の一部となっていた。
*そこからは、異邦人も来たであろう。
④ヨルダンの川向うは、東の地である。
*当時は、ペレアと呼ばれた。
*また、デカポリスも含まれる。
*基本的には、異邦人の地である。
⑤ツロとシドンは、北の地である。
*現在のレバノンに当たる。
*ここもまた、異邦人の地である。
(2)動機は、イエスが奇跡を行っているという噂を聞いたから。
①伝統的に、しるしを行う預言者は、多くの人を集めた。
*エルサレムの城壁を崩すと預言した預言者がいたが、失敗した。
*ヨルダン川の水を分けると預言した預言者もいたが、やはり失敗した。
②エリヤとエリシャ以来、イエスのような預言者は出なかった。
3.9~10節
「イエスは、大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう、ご自分のために小舟を用意して
おくように弟子たちに言いつけられた。それは、多くの人をいやされたので、病気に悩む
人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押しかけて来たからである」
(1)病気に悩む人たちはみな、イエスに触ろうとして押しかけて来た。
①彼らは、痛みの中を、長距離移動してきた人々である。
②仕事を休んで来た人も多かったであろう。
(例話)ガリラヤボートの発掘現場に野次馬が群がった。
(2)イエスは、危険な状態になった。
①敵対的な群衆ではないが、熱心さの余り、イエスに迫ってくる。
②人々は、イエスに触れば癒されると考えた。
③イエスにとっては、ストレスの多い場面である。
(3)そこでイエスは、小舟を用意するように弟子たちに命じた。
①岸辺に小舟を用意し、イエスの移動に合わせて移動させる。
②目撃者情報の生々しさが感じられる。
*マルコはペテロから聞いたと思われる。
(4)イエスは、彼らをみな癒された(マタ12:15)。
Ⅱ.汚れた霊を黙らせるイエス(マコ3:11~12)
1.11節
「また、汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、『あなたこそ神の子です』
と叫ぶのであった」
(1)群衆の中に、悪霊につかれた人たちがいた。
①ひれ伏しているのは人間であるが、そうさせているのは悪霊である。
(2)悪霊たちは、「あなたこそ神の子です」と叫んだ。
①カペナウムの会堂でも同じことが起こっていた。
②彼らは、イエスが「神の子」であることを知っていた。
*イエスの神性を認めていた。
③彼らは、叫び続けた。
2.12節
「イエスは、ご自身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた」
(1)イエスは、悪霊の証言を認めないし、必要ともしない。
①本来、彼らは嘘つきである。
②彼らは知っているだけで、イエスに従おうとはしていない。
③彼らの叫びは、イエスの奉仕の邪魔になる。
(2)イエスは、癒された人たちにも、黙っているように命じた(マタ12:16)。
①民衆のメシア像と、イエスが成就しようとしていることとは異なる。
(3)父なる神の計画に従って、正しいメシア像を示すことが、イエスの使命である。
Ⅲ.メシア預言を成就するイエス(マタ12:17~21)
1.17節
「これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった」
(1)マタイは、ここでのイエスの行動は、メシア預言の成就であると言う。
①マタイの福音書の読者は、ユダヤ人である。
②引用は、イザ42:1~4である。
③イザ42の一部を引用するだけで、ユダヤ人たちには文脈が分かった。
2.18~21節
「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたし
は彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。争うこともなく、叫ぶことも
せず、大路でその声を聞く者もない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を
消すこともない、公義を勝利に導くまでは。異邦人は彼の名に望みをかける」
(1)イエスが湖畔に退いたのは、イザヤ書が預言するメシア像に合致する。
①「争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない」(19節)
②イエスは、宣伝や大イベントを必要としないメシアである。
(2)イエスは、イザヤ書が預言する憐み深いメシアである。
①「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を
勝利に導くまでは」 (20節a)
②「葦」は、弱いもの、揺れやすいもの、不安定なものの象徴である。
*「いたんだ葦」は、霊肉ともに傷ついている者のこと。
*イエスは、戦士としての王のように、その者たちを滅ぼすことはない。
③「燈心」は、油がなくなるとくすぶり始め、やがて消える。
*「くすぶる燈心」は、命が消えかけている者たちのこと。
*イエスは、戦士としての王のように、その者たちを滅ぼすことはない。
(3)イエスは、異邦人をも救うお方である。
①「彼は異邦人に公義を宣べる」(18節b)
*「公義」(新共同訳では「正義」)とは、真理の全貌、福音の全貌のこと。
②「異邦人は彼の名に望みをかける」(21節)
*異邦人の救いは、イザヤ書にすでに預言されている。
③各地から異邦人が来ていることは、この預言の成就である。
結論:メッセージのゴール:逆転の発想
1.理性中心から超理性へ
(1)マタ12:18
「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わ
たしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる」
①ここには、三位一体の神の顕現がある。
②イエスがヨルダン川で洗礼を受けた時と、同じである。
(2)三位一体の神概念
①理性では把握できない。
②しかし、非理性的ではなく、超理性的である。
③三位一体は、救いの教理と深く関係している。
(3)父なる神が救いの計画を立てた。
①子なる神をしもべとして選び、派遣した。
②聖霊なる神を、しもべの上に置いた。
(4)子なる神は、従順に父の計画を実行した。
①争うことも、叫ぶことのないのは、父に計画通りに進んでいる証拠である。
②御子は、憐み深い王としての道を歩む。
(5)聖霊なる神は、御子を励まし、御子に力を与える。
①御子が人となられたのは、謙遜の極みである。
②人としての御子は、聖霊の助けを必要とされた。
③御子を見た者は、父を見たのである。
2.広い道から狭い道へ
(1)一つの門が閉ざされても、別の門が開く。
①イエスは、パリサイ人たちからは拒否された。
②しかし、イエスを慕って来る人たちの数は絶えなかった。
(2)イエスは、すべての人に受け入れられる道ではなく、狭い道を選ばれた。
①私たちも、人気者になる道ではなく、狭い道を歩む者になるべきである。
②自らのブランドイメージは、この世との差別化によって確立する。
3.成功哲学から奉仕哲学へ
(1)ユダヤ人たちが期待したメシア像は、ローマに対して勝利する王である。
①弟子たちも、同じ期待を抱いた。
(2)イエスは確かに王として来られたが、戦いに勝利する王のイメージではない。
①イエスがどういう王として来られたかを理解する必要がある。
②イエスは、「主のしもべ」である。
③神のタイムテーブルに従って働きを進めるメシアである。
④心優しい支配者である。
⑤異邦人にも、救いをもたらすメシアである。
(例話)大阪市立桜ノ宮高校で、男子バスケ部主将の2年生男子が自殺
(2)マタ11:28~30
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしが
あなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなた
がたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安ら
ぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」
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