Q318 「裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」とは、どういう意味ですか。

  • 2022.09.20
  • スピーカー 中川健一
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318 「裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」とは、どういう意味ですか。

Q:創世記2章25節にこうあります。「そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」。この意味が分かりません。教えてください。

A:はじめに

この質問に関して、いつものように3つ申し上げます。

1番目に、「裸」ということばが積極的な意味で使われているのは、ここだけです。

(1)これは、アダムとエバが堕落する前の状況です。

(2)彼らは、神の前で、またお互いの前で、裸でした。

(3)恥の感情がないのは、彼らが「無垢の状態」にあったからです。

(4)彼らは、何も隠す必要がなく、お互いの関係に平安を覚えていました。

2番目に、堕落以降、「裸」ということばは否定的な意味で使われるようになります。

(1)「裸」は、恥と罪責の象徴です。

(2)「裸」は、辱め、貧しさ、誕生時の状態などの象徴です。

(3)堕落以降、人は自分を直視できなくなりました。

3
番目に、アダムとエバは、恥と罪責を隠すために、衣服を作りました。

(1)彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、腰の覆いを作りました。

(2)創造以降初めて、恥の感覚を持ったからです。

(3)これは、「業による救い」の初めての例です。

(4)神は、彼らのために皮の衣を作って、彼らに着せられました。

(5)皮の衣は、血の犠牲によって作られたものです。

(6)皮の衣は、キリストの血の犠牲によって作られる義の衣を象徴しています。

参考になる聖句

「神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた」(創3:21)

「裸」は、恥と罪責の象徴です。

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