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メシアの生涯(41)—麦の穂を摘んで食べる弟子たち—
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安息日の意味について考えます。
「麦の穂を摘んで食べる弟子たち」
§050 マコ2:23~28、マタ12:1~8、ルカ6:1~5
1.はじめに
(1)口伝律法の中の安息日に関する論争が続いている。
①イエス時代のユダヤ教では、安息日が最も重要な律法であった。
②ソフリム学派の教え
「神は、なぜイスラエルを創造したのか」
「それは、イスラエルに安息日を守らせるためである」
「すべてのユダヤ人が一回でも安息日を完全に守ったなら、メシアが来られる」
③38年間病気であった人の癒しをきっかけに、論争が始まった。
④§49~51まで、安息日論争が続く。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
弟子たちが麦の穂を摘んで食べたときに起こった、パリサイ人とのほうひとつの
論争(§50)
マコ2:23~28、マタ12:1~8、ルカ6:1~5
(3)マタイの記録法は、古代世界での「論争の手順」を記録している。
①取税人、文筆家としての才能を見ることができる。
2.アウトライン(マタ12:1~8)
(1)状況の要約(1~2節)
①弟子たちの行動
②パリサイ人たちの糾弾
(2)議論の手順(3~8節)
①例示
②類推
③対比
④引用
⑤すべてを統合する超法規
3.メッセージのゴール
(1)安息日についての誤解を解く。
(2)パリサイ人についての誤解を解く。
(3)安息日と私たち
このメッセージは、安息日の意味について考えようとするものである。
Ⅰ.状況の要約(1~2節)
1.弟子たちの行動(1節)
「そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を
摘んで食べ始めた」
(1)これは、春から夏にかけての時期であろう。
①ロバートソンは、エルサレムからガリラヤに帰る途中と見ている。
②大麦が先、小麦がその後に収穫期を迎える。大麦か小麦かは、判断し難い。
③この日は、安息日であった。
(2)「弟子たちはひもじくなった」
①彼らは、職を捨ててイエスに従った。
②イエス自身、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所も
ありません」(マタ8:20)と言われた。
③このひもじさ(空腹)は、この時だけではないだろう。
④イエスに従ったがゆえのひもじさである。
(3)「穂を摘んで食べ始めた」
①ルカ6:1
「ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたとき、弟子たちは麦の穂を摘ん
で、手でもみ出しては食べていた」
②イエスも同じようにしたのであろう。
(例話)ヨッシーさんとオレンジ畑に入った時のこと
③申23:24~25
「隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食
べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。隣人の麦畑の中に入ったとき、
あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない」
④弟子たちの行為自体は、律法違反ではない。
2.パリサイ人たちの糾弾(2節)
「すると、パリサイ人たちがそれを見つけて、イエスに言った。『ご覧なさい。あなたの
弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています』」
(1)律法学者たちは、安息日に行ってはならない主な労働39種類を列挙した。
①39種類の主な労働のそれぞれをさらに細分化した。
②その結果、1500種以上の労働が禁じられた。
③ミシュナの中の「シャバット7:2」にその規定がある。
(2)パリサイ人たちは、イエスの言動を見張っていた。
①学ぼうという態度ではなく、欠点を見つけようという態度である。
②信頼ではなく、反抗である。
(3)彼らは、4種類の律法違反を指摘した。これらは、主な労働に該当する。
①麦の穂を摘むことは、収穫に当たる。
②手でもみ出すことは、脱穀に当たる。
③息を吹きかけることは、もみ殻の選別に当たる。
④麦を食べることは、貯蔵に当たる。
(4)口伝律法には、安息日に草の上を歩いてはいけないという規定さえあった。
①目に見えない麦を、足で踏む可能性がある。これは収穫である。
②麦ともみ殻が分離する可能性がある。これは脱穀である。
③足が風を巻き上げ、もみ殻を飛ばす可能性がある。これはもみ殻の選別である。
④鳥が来て、その麦を食べる可能性がある。これは貯蔵である。
Ⅱ.議論の手順(3~8節)
1.例示(3~4節)
「しかし、イエスは言われた。『ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、ダ
ビデが何をしたか、読まなかったのですか。神の家に入って、祭司のほかは自分も供の者
たちも食べてはならない供えのパンを食べました』」
(1)供えのパン
①聖所の中に2列に置かれた12個のパンで、イスラエル12部族を象徴している。
②神とイスラエルの民の交わりを象徴している。
③安息日ごとに、新しいパンと交換した。
④レビ24:9
「これはアロンとその子らのものとなり、彼らはこれを聖なる所で食べる。これ
は最も聖なるものであり、【主】への火によるささげ物のうちから、彼の受け取る
永遠の分け前である」
*古いパンは、祭司たちが食べた。
*これは「聖別されたパン」と呼ばれた。
(2)ダビデはこのパンを食べた(1サム21:1~6)。
①ノブの祭司アヒメレクのもとには、「聖別されたパン」しかなかった。
②彼は、ダビデとその従者たちに、祭司しか食べてはならないパンを与えた。
(3)ダビデとイエスの対比
①ともに、拒否された状態にあった。
②ともに、従者を連れていた。
③ともに、ひもじかった。
④ダビデと従者たちは、いのちを維持するために、「聖別されたパン」を食べた。
⑤ダビデの時代には口伝律法はなかったという言い訳は成り立たない。
⑥パリサイ人の教えでは、モーセは口伝律法も神から受けたことになっていた。
⑦イエスは、ダビデ以上のお方、「ダビデの子」である。
(4)いのちの維持は、律法の規定に優先する。
2.類推(5節)
「また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、
律法で読んだことはないのですか」
(1)祭司たちは、安息日には普段以上に忙しく働く。
①民28:9~10。安息日ごとの捧げ物がある。
②しかし、それは律法違反にはならない。
(2)安息日の規定は、宮の中で働く人には適用されなかった。
①すべての規定には、例外がある。
3.対比(6節)
「あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです」
(1)これは、ユダヤ的「小から大」への議論である。
①小とは、宮である。
②大とは、宮よりも大きな者、つまり、イエスである。
③パリサイ人は、「宮よりも大きな者」と自称するイエスに仰天したことだろう。
(2)小のために安息日でも働くとしたら、大は安息日には縛られていない。
4.引用(7節)
「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知
っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう」
(1)ホセ6:6からの引用
①憐みを示すことは、いかなる場合でも、善である。
(2)マコ2:27
「また言われた。『安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために
造られたのではありません』」
①安息日は、イスラエルのために作られたのであって、その逆ではない。
②安息日に許される労働もある。
③食べること、癒すことなどは、許される労働である。
5.すべてを統合する超法規(8節)
「人の子は安息日の主です」
(1)口伝律法が禁じる労働であっても、「人の子」(メシア)には適用されない。
(2)神の啓示を超えて律法を作ることは、誰にも許されていない。
結論:
1.安息日についての誤解を解く。
(1)イエスは、安息日の意味を説明し、それを完成するために来られた。
(2)安息日は、よいものである。
(3)律法は、よいものである。
(4)悪いのは、律法の誤った適用であり、口伝律法である。
2.パリサイ人についての誤解を解く。
(1)彼らには、敬虔な生き方を求める熱心さがあった。
(2)安息日を喜ぶユダヤ人たちは、彼らも含めて多数いた。
(3)パリサイ人とは無関係だと思った瞬間、この箇所は私たちへの適用を失う。
(4)私の中に、また、教会の中にあるパリサイ主義とは何かを考える必要がある。
*見かけをよくするために、ある種の行動を規制することが律法主義である。
(例話)聖地旅行から帰った日に、空港のそばで教会を捜す婦人
(例話)マクドナルドのお店でケチャップが切れた話
3.安息日と私たち
(1)安息日を楽しむ。
①今の時代は、土曜日でなくてもよい。
(2)安息日は、善を行う日である。
(3)クリスチャンにとっては、毎日が安息日である。
(4)私たちはやがて、永遠の安息日に入るようになる。
「それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐え
ながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。このことは、あな
たがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、
あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。つまり、あなたがた
を苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私
たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなの
です。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れる
ときに起こります」(2テサ1:4~7)
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