私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ルカの福音書(47)弟子たちのプライド9:46~50
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弟子たちが抱えていた問題について学ぶ。
ルカの福音書 47回
弟子たちのプライド
ルカ9:46~50
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスのガリラヤ地方での奉仕(ルカ4:14~9:50)
②ルカ9:1~50は、そのクライマックスである。
③エルサレムへの旅(ルカ9:51~19:10)へのブリッジである。
④ルカ9:1~50の中心テーマは、弟子訓練である。
*教会時代への準備が始まる。
(2)ルカ9:1~50の内容
①12人の派遣(1~6節)
②挿入句的エピソード(ヘロデの心理状態)(7~9節)
③12人の帰還(10~17節)
④ペテロの信仰告白(18~27節)
⑤イエスの変貌(28~36節)
⑥悪霊につかれた少年の癒し(37~43節a)
⑦受難の予告(43b~45節)
*群衆は驚嘆したが、最終的には、彼らはイエスを拒否する。
*それがイエスの十字架の死につながる。
*弟子たちにはそれが理解できなかった。
⑧弟子たちのプライド(46~48節)
⑨弟子たちの不寛容(49~50節)
2.アウトライン
(1)弟子たちのプライド(46~48節)
(2)弟子たちの不寛容(49~50節)
3.結論
(1)イエスの謙遜と弟子たちのプライド
(2)他の弟子たちに対する態度
弟子たちが抱えていた問題について学ぶ。
Ⅰ.弟子たちのプライド(46~48節)
1.46節
Luk 9:46
さて、弟子たちの間で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。
(1)イエスは、受難のしもべとしての役割について弟子たちに教えた。
①彼らには、その意味が理解できなかった。
②もし理解できていれば、弟子にとってそれが何を意味するか分かったはず。
(2)彼らは、「だれが一番偉いか」という議論を始めた。
①彼らは、イエスが地上の王国の王であると考えていた。
②そこで、神の国での序列が気になった。
③弟子たちの間で、誰が最高位に着くかを議論した。
*イエスの変貌を目撃したのは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブの3人である。
(3)主イエスのしもべが最も陥りやすい罪は、自らの栄誉を求めることである。
①弟子たちは、霊的に未成熟な状態にあった。
②神の国における偉大さとは何か、全く理解できていなかった。
③自分の栄光を求めて聖書を読んでも、神の御心は見えてこない。
2.47~48節
Luk 9:47
しかし、イエスは彼らの心にある考えを知り、一人の子どもの手を取って、自分のそばに立たせ、
Luk 9:48
彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。」
(1)イエスは、子どもを用いて霊的教訓をたびたび語られた。
①マタ10:42の例
Mat 10:42
まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」
*「この小さい者たち」とは、苦難に遭うイエスの弟子たちである。
*イエスの弟子たちに対する愛の行為は、必ず神から報いを受ける。
②ルカ9:47~48では、子どもを用いて弟子たちへの教訓が語られる。
*「一人の子ども」とは、悪霊から解放された子どもの可能性がある。
*マコ9:36
Mar 9:36 それから、イエスは一人の子どもの手を取って、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱いて彼らに言われた。
*イエスは、その子どもの手を取り、腕に抱かれた。
(2)マタ18:4の教え
Mat 18:4 ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。
①イエスの弟子は、子どもような謙遜さを身に付けるべきである。
②ルカは、この部分は省いている。
(3)ルカが記した霊的教訓
①イエスの弟子は、取るに足りないような者のために奉仕をすべきである。
②取るに足りない者の代表が、子どもである。
③ユダヤやギリシア・ローマ社会では、子どもは最も軽視された存在であった。
④子どもの世話をするのは、その家の婦人か、しもべの一人であった。
⑤子どもを、イエスの名のゆえに受け入れる人は、イエスを受け入れる人である。
*受け入れるとは、敬意を表すること(リスペクトすること)である。
*客として迎え入れることである。
*通常は、社会的地位が同格の者か、上位の者を客として招く。
*イエスは、社会的階層のピラミッドを逆転された。
*お返しができない人に奉仕をすることが、偉大さの指標である。
⑥子どもを受け入れる人は、イエスを受け入れる人である。
⑦イエスを受け入れる人は、イエスを遣わした父なる神を受け入れる人である。
⑧一番小さい者が、一番偉い。
(4)イエスの教えの結論
①自分のために地位を求めるよりも、地位のない人たちに仕えるべきである。
②貧しい人に仕える者は、イエスと父なる神に仕えているのである。
③そういう人こそ、神の国で偉大な者とされる。
Ⅱ.弟子たちの不寛容(49~50節)
1.49節
Luk 9:49
さて、ヨハネが言った。「先生。あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。その人が私たちについて来なかったからです。」
(1)ヨハネの問題は、妬みと不寛容である。
①イエスの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようした。
②理由は、「その人が私たちについて来なかったからです」。
③弟子たちは、悪霊につかれた子どもを癒すことができなかった。
④悪霊を追い出している人を見て、妬みの感情を持った。
⑤この問題は、教理の正統性に関するものではない。
⑥仲間意識、縄張り意識が、ここでの問題である。
(2)12弟子は、イエスの他の弟子たちに対抗心を抱いた。
①この人は、イエスの弟子集団の一番外側にいた人であろう。
②12弟子は、彼を排除したいと思った。
③しかしイエスは、彼を弟子集団の中に含めたいと思った。
④12弟子は、既得権益を守るために境界線を引いた。
2.50節
Luk 9:50
しかし、イエスは彼に言われた。「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」
(1)イエスは、格言的な教えを口にされた。
①マタ12:30は、これとは逆の真理を教えていた。
Mat 12:30 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしとともに集めない者は散らしているのです。
②ルカ9:50は、反対しない人は味方であることを教えている。
結論
1.イエスの謙遜と弟子たちのプライド
(1)イエスは、父なる神に従順に歩むという意志を表明された。
①十字架への道は、イエスの謙遜な姿勢を示している。
②イエスは、死に至るまで忠実に父なる神に従われた。
(2)弟子たちは、神の国での地位を求めた。
①弟子たちは、自分を大いなる者にしようとした。
②これは、すべての信者が体験する誘惑である。
(3)ピリ2:6~9
Php 2:6
キリストは、神の御姿であられるのに、/神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
Php 2:7
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、/人間と同じようになられました。/人としての姿をもって現れ、
Php 2:8
自らを低くして、死にまで、/それも十字架の死にまで従われました。
Php 2:9
それゆえ神は、この方を高く上げて、/すべての名にまさる名を与えられました。
2.他の弟子たちに対する態度
(1)自分たちと交流のない他の信者を排除してはならない。
①彼らもまた、信仰によって救われた神の家族である。
②他の信者が祝福を受けていても、それを妬んではならない。
③その人とともに喜ぶべきである。
(2)仲間内で、一番になることを競い合ってはならない。
①神の国での価値観は、この世の価値観とは異なる。
(3)霊的成長とは何か。
①自分は無力であることを悟り、神にのみ信頼する。
②自分よりも他の人のほうが偉いと認める。
③自分たちこそ一番だと言い始めるのは、堕落が始まっている証拠である。
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