私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(40)—ベテスダの池での癒し(2)—
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イエスの業と主張について考えます。
「ベテスダの池での癒し(2)」
§049 ヨハ5:19~47
1.はじめに
(1)難解な箇所であり、困難を覚える。
(2)口伝律法の中の安息日に関する論争が始まる。
①38年間病気であった人の癒しをきっかけに、論争が始まる。
②§49~51まで、安息日論争が続く。
(3)A.T.ロバートソンの調和表
イエスは、安息日に病人を癒し、パリサイ人たちに対して自らの行動を弁護する。
(§49)(今回は、5:19~47を取り上げる)
2.論争のポイント
(1)ヨハ5:18
「このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが
安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼ん
でおられたからである」(ヨハ5:18)
①イエスは、自分が神であると主張した。
②パリサイ人たちは、これは冒涜罪に当たると判断した。
③それに対して、イエスは反論した。
(2)判断の難しさについて
①商品広告
②裁判(鳥取不審死裁判。2名を殺した罪で死刑。状況証拠しかない)
③総選挙
④きょうは、裁判員になったつもりで、聞いて欲しい。
3.アウトライン(ヨハ5:19~47)
(1)イエスと父は一体(19~29節)
①行動において
②愛において
③権威において
(2)4つの証拠(30~47節)
①バプテスマのヨハネ
②奇跡
③父
④聖書
4.メッセージのゴール
(1)イエスを誰だと言うか。
(2)イエスを信じる者の幸いとは何か。
このメッセージは、イエスの業と主張について考えようとするものである。
Ⅰ.イエスと父は一体である(19~29節)
1.行動において
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う
以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様
に行うのです」 (19節)
(1)一般的な親子関係において、これが言える。
(例話)中村勘三郎と2人の息子(勘九郎、七之助)
(2)ここでの「子」とは、絶対的な意味での「子」である。
①英語では、「The Son」である。
②定冠詞があり、Sが大文字である。
(3)「子」には、自己判断による行動はない。
①父がしておられるように、子もする。
②38年間病気だった人の癒しは、父の御心であった。
2.愛において
「それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。ま
た、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむた
めです」 (20節)
(1)父と子の愛の関係
①完全な愛の形がある。
②愛の関係に基づいて、父は子に自分の思いと行動を子に示す。
(2)愛という動詞
①ヨハ3:35では、アガパオウが使われている。
「父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった」
②ヨハ5:20では、フィレオウが使われている。
③ヨハネは、父と子の愛の関係を描写するために、両方の動詞を使っている。
(3)「さらに大きなわざ」
①肉体の癒し以上のもの
②魂の癒し
3.権威において
「父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいの
ちを与えます。また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました」
(21~22節)
(1)死、いのち、裁きなどは、神の主権に属する事項である。
①ユダヤ人の日々の祈りの中に、「死者を甦らせる神」という言葉がある。
(2)イエスは、父の代理人(シャリアㇵ)として行動している。
①ユダヤ教は、法的意味での代理人という概念を受け入れていた。
②父の代理人であるがゆえに、父と同じ権威を持って行動する。
③三位一体の教理では、イエスは父と同じ神性を持つ。
④しかし、イエスは父とは異なった位格(person)を有し、父に従順である。
(3)永遠のいのちは終末的概念であるが、すでに実現した概念でもある。
①イエスを信じる者は、すでに永遠のいのちを得ている。
(4)裁きもまた、終末的概念である。
「また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。このこ
とに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ま
す。善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさ
ばきを受けるのです」 (27~29節)
①「人の子」とは、ダニ7:13~14に登場するメシアの呼称である。
②「人の子」は、メシア王国を統治するようになる(裁きも含まれる)。
③すべての人に復活の時が来る(ダニ12:1~2)。
④この箇所は、業による救いを教えているのではない。
*ヨハネの福音書の教えは、新生による救いである。
*新生した人は、善行という実を結ぶようになる。
⑤この箇所は、2種類の復活について教えている。
⑥聖書の他の箇所の教えを参考に、復活についてまとめてみる。
*信者の復活は、2段階で実現する。
・携挙
・地上再臨
*不信者の復活は、千年王国の終わりに起こる(黙20:11~15)。
Ⅱ.4つの証拠(30~47節)
はじめに
(1)イエスは、忠実な代理人として行動している(30節)
①モーセや旧約聖書の預言者たちは、神の代理人と見なされた。
②神の権威に支えられた奉仕である。
(2)31~32節
「もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの証言は真実ではありませ
ん。わたしについて証言する方がほかにあるのです。その方のわたしについて証言さ
れる証言が真実であることは、わたしが知っています」
①イエスは、旧約聖書の原則を紹介している。
*死刑に処する場合、2人、または3人の証言が必要(申17:6、19:15)。
②「証言する方がほかにある」とは、神を示す婉曲語である。
1.バプテスマのヨハネ(33~35節)
「あなたがたは、ヨハネのところに人をやりましたが、彼は真理について証言しました。
といっても、わたしは人の証言を受けるのではありません。わたしは、あなたがたが救わ
れるために、そのことを言うのです。彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしば
らくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです」
(1)ヨハネは真理について証言した。
①イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と呼んだ(1:29)。
②イエスは、人間の証言を必要としない。
③しかし、聞いている人たちが救われるために、ヨハネを証人に出している。
(2)「燃えて輝くともしび」
①手持ちの燭台、ランプ
②ヘロデ時代のランプは小型で、ろうそくの灯程度の光しか発しなかった。
③ヨハネがいかに偉大だったとは言え、その影響はわずかであった。
2.奇跡(36節)
「しかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしに成し遂
げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行っているわざそのものが、わ
たしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです」
(1)イエスが行った奇跡は、ヨハネの証言よりもすぐれた証言である。
①父の御心に沿った業である。
(2)「わざ」は複数形になっている。
①いくつもの奇跡があった。
②ベテスダの池での癒しは、そのひとつである。
③最初のメシア的奇跡は、ユダヤ人のツァラアト患者の癒しであった。
3.父(37~38節)
「また、わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。あなたがたは、
まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。また、そのみこ
とばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父が遣わした者をあなたがたが信じない
からです」
(1)イエスがヨルダン川から上がると、天から声がした。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタ3:17)
①イエスに必要なのは、天父の証言だけである。
②パリサイ人たちは、天父の声を聞いたこともなく、その姿を見たこともない。
(2)シナイ山の麓にいたイスラエルの民は、シャカイナグローリーに触れた。
①彼らは、仲介者モーセを通して、神のことばを受け入れた。
②しかし、それ以上の啓示(御子)が与えられたのに、イエスと同時代のユダヤ
人たちは、その方を信じない。
4.聖書(39~54節)
(1)39~40節
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。
その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いの
ちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません」
①聖書には「〇〇をせよ。そうすれば生きる」と教えている箇所がある。
*申30:6参照
②ラビたちは、「〇〇をせよ。そうすれば来たるべき世で生きる」と解釈した。
③「聖書の中に永遠のいのちがある」とは、そういう意味である。
④イエスは、その聖書が自分について証言しているという。
*旧約聖書は、メシア預言で満ちている。
⑤従って、イエスを拒否することは、聖書を拒否することである。
⑥彼らは、口伝律法という眼鏡を通してしかモーセの律法を解釈できなかった。
(2)41~44節
①父の代理人は、父の名によって来た。
②代理人を拒否することは、その人を遣わした方の権威を拒否することである。
③イエスを拒否することは、父を拒否することである。
(3)45~47節
①彼らはモーセ(五書)を信じると言うが、そのモーセが彼らを訴える。
②なぜなら、モーセはイエスについて証言したのだから。
③イエスを信じないということは、モーセを信じないということである。
結論
1.イエスを誰だと言うか。
(1)イエスは、自分が神であるという主張をしていない。
①これは、事実に反する。
(2)イエスは、自分が神であると主張した。
①イエスは、嘘つきであり、詐欺師である。
②イエスは、誇大妄想狂か、精神異常者である。
③イエスは、事実そのようなお方である。
2.イエスを信じる者の幸いとは何か。
(1)父と子は、愛において一体である。
①「キリストの内にある」とは、父と子の愛の交わりの中に置かれていること。
(2)ロマ8:38~39
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるもの
も、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私
たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」
①(例話)幼児期の父親との関係が問題という方への助言
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