メシアの生涯(40)—ベテスダの池での癒し(2)—

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このメッセージでは...

イエスの業と主張について考えます。

「ベテスダの池での癒し(2)」

§049 ヨハ5:19~47

1.はじめに

  (1)難解な箇所であり、困難を覚える。

  (2)口伝律法の中の安息日に関する論争が始まる。

      ①38年間病気であった人の癒しをきっかけに、論争が始まる。

②§49~51まで、安息日論争が続く。

(3)A.T.ロバートソンの調和表

イエスは、安息日に病人を癒し、パリサイ人たちに対して自らの行動を弁護する。

(§49)(今回は、5:19~47を取り上げる)

2.論争のポイント

  (1)ヨハ5:18

  「このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが

安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼ん

でおられたからである」(ヨハ5:18)

①イエスは、自分が神であると主張した。

②パリサイ人たちは、これは冒涜罪に当たると判断した。

  ③それに対して、イエスは反論した。

(2)判断の難しさについて

  ①商品広告

  ②裁判(鳥取不審死裁判。2名を殺した罪で死刑。状況証拠しかない)

  ③総選挙

  ④きょうは、裁判員になったつもりで、聞いて欲しい。

3.アウトライン(ヨハ5:19~47)

  (1)イエスと父は一体(19~29節)

    ①行動において

    ②愛において

    ③権威において

  (2)4つの証拠(30~47節)

    ①バプテスマのヨハネ

    ②奇跡

    ③父

    ④聖書

4.メッセージのゴール

(1)イエスを誰だと言うか。

(2)イエスを信じる者の幸いとは何か。

このメッセージは、イエスの業と主張について考えようとするものである。

Ⅰ.イエスと父は一体である(19~29節)

  1.行動において

  「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う

以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様

に行うのです」 (19節)

    (1)一般的な親子関係において、これが言える。

    (例話)中村勘三郎と2人の息子(勘九郎、七之助)

    (2)ここでの「子」とは、絶対的な意味での「子」である。

      ①英語では、「The Son」である。

      ②定冠詞があり、Sが大文字である。

    (3)「子」には、自己判断による行動はない。

      ①父がしておられるように、子もする。

      ②38年間病気だった人の癒しは、父の御心であった。

  2.愛において

  「それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。ま

た、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむた

めです」 (20節)

  (1)父と子の愛の関係

    ①完全な愛の形がある。

    ②愛の関係に基づいて、父は子に自分の思いと行動を子に示す。

  (2)愛という動詞

    ①ヨハ3:35では、アガパオウが使われている。

    「父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった」

    ②ヨハ5:20では、フィレオウが使われている。

    ③ヨハネは、父と子の愛の関係を描写するために、両方の動詞を使っている。

  (3)「さらに大きなわざ」

     ①肉体の癒し以上のもの

    ②魂の癒し

  3.権威において

  「父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいの

ちを与えます。また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました」

(21~22節)

  (1)死、いのち、裁きなどは、神の主権に属する事項である。

    ①ユダヤ人の日々の祈りの中に、「死者を甦らせる神」という言葉がある。

  (2)イエスは、父の代理人(シャリアㇵ)として行動している。

    ①ユダヤ教は、法的意味での代理人という概念を受け入れていた。

    ②父の代理人であるがゆえに、父と同じ権威を持って行動する。

    ③三位一体の教理では、イエスは父と同じ神性を持つ。

    ④しかし、イエスは父とは異なった位格(person)を有し、父に従順である。

  (3)永遠のいのちは終末的概念であるが、すでに実現した概念でもある。

    ①イエスを信じる者は、すでに永遠のいのちを得ている。

  (4)裁きもまた、終末的概念である。

  「また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。このこ

とに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ま

す。善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさ

ばきを受けるのです」 (27~29節)

  ①「人の子」とは、ダニ7:13~14に登場するメシアの呼称である。

    ②「人の子」は、メシア王国を統治するようになる(裁きも含まれる)。

    ③すべての人に復活の時が来る(ダニ12:1~2)。

    ④この箇所は、業による救いを教えているのではない。

      *ヨハネの福音書の教えは、新生による救いである。

      *新生した人は、善行という実を結ぶようになる。

    ⑤この箇所は、2種類の復活について教えている。

    ⑥聖書の他の箇所の教えを参考に、復活についてまとめてみる。

*信者の復活は、2段階で実現する。

  ・携挙

・地上再臨

*不信者の復活は、千年王国の終わりに起こる(黙20:11~15)。

Ⅱ.4つの証拠(30~47節)

   はじめに

    (1)イエスは、忠実な代理人として行動している(30節)

      ①モーセや旧約聖書の預言者たちは、神の代理人と見なされた。

      ②神の権威に支えられた奉仕である。

    (2)31~32節

    「もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの証言は真実ではありませ

ん。わたしについて証言する方がほかにあるのです。その方のわたしについて証言さ

れる証言が真実であることは、わたしが知っています」

   ①イエスは、旧約聖書の原則を紹介している。

    *死刑に処する場合、2人、または3人の証言が必要(申17:6、19:15)。

  ②「証言する方がほかにある」とは、神を示す婉曲語である。

  1.バプテスマのヨハネ(33~35節)

  「あなたがたは、ヨハネのところに人をやりましたが、彼は真理について証言しました。

といっても、わたしは人の証言を受けるのではありません。わたしは、あなたがたが救わ

れるために、そのことを言うのです。彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしば

らくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです」

   (1)ヨハネは真理について証言した。

①イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と呼んだ(1:29)。

②イエスは、人間の証言を必要としない。

③しかし、聞いている人たちが救われるために、ヨハネを証人に出している。

  (2)「燃えて輝くともしび」

    ①手持ちの燭台、ランプ

②ヘロデ時代のランプは小型で、ろうそくの灯程度の光しか発しなかった。

③ヨハネがいかに偉大だったとは言え、その影響はわずかであった。

  2.奇跡(36節)

  「しかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしに成し遂

げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行っているわざそのものが、わ

たしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです」

    (1)イエスが行った奇跡は、ヨハネの証言よりもすぐれた証言である。

      ①父の御心に沿った業である。

    (2)「わざ」は複数形になっている。

      ①いくつもの奇跡があった。

      ②ベテスダの池での癒しは、そのひとつである。

      ③最初のメシア的奇跡は、ユダヤ人のツァラアト患者の癒しであった。

  3.父(37~38節)

  「また、わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。あなたがたは、

まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。また、そのみこ

とばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父が遣わした者をあなたがたが信じない

からです」

   (1)イエスがヨルダン川から上がると、天から声がした。

  「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタ3:17)

    ①イエスに必要なのは、天父の証言だけである。

    ②パリサイ人たちは、天父の声を聞いたこともなく、その姿を見たこともない。

  (2)シナイ山の麓にいたイスラエルの民は、シャカイナグローリーに触れた。

    ①彼らは、仲介者モーセを通して、神のことばを受け入れた。

    ②しかし、それ以上の啓示(御子)が与えられたのに、イエスと同時代のユダヤ

人たちは、その方を信じない。

  4.聖書(39~54節)

    (1)39~40節

    「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。

その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いの

ちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません」

  ①聖書には「〇〇をせよ。そうすれば生きる」と教えている箇所がある。

*申30:6参照

  ②ラビたちは、「〇〇をせよ。そうすれば来たるべき世で生きる」と解釈した。

  ③「聖書の中に永遠のいのちがある」とは、そういう意味である。

  ④イエスは、その聖書が自分について証言しているという。

    *旧約聖書は、メシア預言で満ちている。

  ⑤従って、イエスを拒否することは、聖書を拒否することである。

  ⑥彼らは、口伝律法という眼鏡を通してしかモーセの律法を解釈できなかった。

    (2)41~44節

      ①父の代理人は、父の名によって来た。

      ②代理人を拒否することは、その人を遣わした方の権威を拒否することである。

      ③イエスを拒否することは、父を拒否することである。

    (3)45~47節

      ①彼らはモーセ(五書)を信じると言うが、そのモーセが彼らを訴える。

      ②なぜなら、モーセはイエスについて証言したのだから。

      ③イエスを信じないということは、モーセを信じないということである。

結論

  1.イエスを誰だと言うか。

    (1)イエスは、自分が神であるという主張をしていない。

      ①これは、事実に反する。

    (2)イエスは、自分が神であると主張した。

      ①イエスは、嘘つきであり、詐欺師である。

      ②イエスは、誇大妄想狂か、精神異常者である。

      ③イエスは、事実そのようなお方である。

  2.イエスを信じる者の幸いとは何か。

    (1)父と子は、愛において一体である。

      ①「キリストの内にある」とは、父と子の愛の交わりの中に置かれていること。

    (2)ロマ8:38~39

    「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるもの

も、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私

たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」

  ①(例話)幼児期の父親との関係が問題という方への助言

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