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メシアの生涯(37)—マタイの召命—
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マタイの召命から、教訓を学びます。
「マタイの召命」
§047 マコ2:13~17、マタ9:9~13、ルカ5:27~32
1.はじめに
(1)2つの癒しの記事があった。
①レプラ患者の癒し(この癒しは、メシア的癒しである)
②中風の人の癒し(罪を赦す権威)
③この箇所から、メシア運動に対する審問の段階が始まる。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
マタイの召命とイエスを歓迎する食事会(§47)
マコ2:13~17、マタ9:9~13、ルカ5:27~32
(3)この箇所で、マタイが第7番目の弟子として召されている。
①ペテロとアンデレ(漁師)
②ヤコブとヨハネ(漁師)
③ピリポとナタナエル
④そして、マタイ(レビとも呼ばれていた)
*マタイ自身がメシア的奇跡となった。
*そこで、彼の友人たちがイエスに興味を示し始める。
2.アウトライン(マタ9:9~13)
(1)古いマタイ(9節)
(2)新しいマタイ(10節)
(3)立ちはだかる壁(11~13節)
3.メッセージのゴール
(1)イエスの招き
(2)招きへの応答
このメッセージは、マタイの召命から、教訓を学ぼうとするものである。
Ⅰ.古いマタイ(9節a)
「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧
になって、」
1.中風の人の癒しの出来事の、直後である。
(1)場所は、カペナウムである。
2.マタイという人が収税所にすわっていた。
(1)マタイは、いわゆる取税人であった。
①英語で「publican」という。ラテン語の「publicanus」からの借用語。
②本来の意味は、公の職務に就く者という意味である。
(2)同胞のユダヤ人たちから憎まれていた。
①現代の税務署職員とは異なる。
3.取税人の背景
(1)ユダヤ教の口伝律法では、取税人になることは禁じられていた。
①取税人の職は、入札で最高額を入れた者に与えられた。
②取税人の仕事は、ローマ帝国の代理人として、税や罰金を徴収すること。
③この仕事は、大きな利益をもたらすものであった。
*民衆から集めた額と、ローマに納める額との差額が、収入になった。
*ローマ帝国は、その習慣を認めていた。
(2)ユダヤ人たちが取税人を憎んだ理由
①取税人は、ユダヤ人たちを抑圧しているローマ帝国に加担していた。
②取税人は、同胞から金を盗むことによって豊かになっていた。
(3)ユダヤ教の指導者たちは、取税人との交わりを禁止した。
①例外は、取税人同志の交わり。
②罪人との交わり。罪人とは、遊女(娼婦)の婉曲語である。
(4)取税人には、2種類あった。
①所得税を徴収する取税人
②通行税を徴収する取税人
*後者の方が、評判が悪い。
*より多くのものをだまし取れるから。
*ラビたちは、一般的には正直であることを奨励した。
*しかし、取税人にだけは嘘を言ってもいいことになっていた。
*取税人は、盗人であるとされた。
(5)マタイは、通行税を徴収する取税人であった。
「収税所にすわっているマタイという人」
①彼は、最悪の取税人であった。
②ヘロデの領地の外に出て行く舟から徴税した。
③ダマスコからエジプトに向かう商人たちから徴税した。
*ヴィア・マリスは、キャラバン隊のルートになっていた。
④マタイは、富のために、名声も家族も祖国も捨てた人物である。
Ⅱ.新しいマタイ(9b~10節)
1.9節b
「『わたしについて来なさい』と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った」
(1)訳文の比較
「わたしについて来なさい」(新改訳)
「わたしに従いなさい」(新共同訳)
「わたしに従ってきなさい」(口語訳)
「我に從へ」(文語訳)
「来なさい。 わたしの弟子になりなさい」(リビングバイブル)
(2)マタイは、イエスの権威を認識した。
①突然起こったことではない。
②収税所は、情報の収集センターのようなものである。
③イエスの教え、奇跡、風貌に深い感銘を受けていた。
(3)これは、徹底的な従順である。
①ルカ5:28
「するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った」
②マタイの福音書には、「何もかも捨て」という言葉はない。
「自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分のくちびるででは
なく、よその人によって」(箴27:2)
2.10節
「イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエ
スやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた」
(1)それからしばらくして、マタイは自宅で「誕生会」を開いた。
①霊的新生を感謝する会である。
②古いマタイには考えられないような、気前のよいことが起こっている。
③彼自身が、メシア的奇跡になっている。
(2)招かれた客
①主賓は、イエス。
②次席は、イエスの弟子たち6人。
③それ以外の招待客
*取税人
*罪人(娼婦)
④そして、その外側に群衆やパリサイ人たちがいた。
(3)「いっしょに食卓に着いていた」
①ギリシア語で、「スン-アナケイミ」である。
②肘をついて体を横たえるという意味。
(4)ユダヤ的視点では、食事をともにすることは、親密な交わりを意味する。
①黙3:20
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を
あけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたし
とともに食事をする」
(5)ここには、私たちへの教訓がある。
①外向き志向の集会、礼拝の重要性。
Ⅲ.立ちはだかる壁(11~13節)
1.11節
「すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたが
たの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか』」
(1)彼らは、審問の段階に入っているので、疑問をぶつける。
①直接イエスにではなく、弟子たちに言った。
(2)彼らの理解では、イエスは不法なことを行っている。
①裕福な者が、高名なラビを食事に招待することは、ほむべきことであった。
②しかし、マタイは取税人仲間と遊女しか招いていない。
③そのような場にイエスが同席していることは、理解できない。
④もしイエスがメシアであるなら、このような者たちと交わらないはずである。
(3)詩1:1
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に
着かなかった、その人」
2.12節
「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です』」
(1)取税人や遊女は、助けを必要としている人々である。
①彼らは、道徳的な意味で病人である。
②イエスは、彼らを癒す医者である。
(2)パリサイ人たちは、不遜にも、自分たちは霊的に健康であると考えていた。
①霊的癒しを必要としていない。
②従って、医者は必要ではない。
3.13節
「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学ん
で来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」
(1)イエスは、パリサイ人たちの霊的状態を非難された。
①彼らは、内面(あわれみ)よりも外面(いけにえのようなもの)にこだわった。
(2)「行って学んで来なさい」
①生徒を真理に導くための決まり文句(Go and learn.)
②「来て、見なさい」(Come and see)と同じ意味である。
(3)イエスが示したのは、ホセ6:6である。
「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知
ることを喜ぶ」
①いけにえの否定ではない。
②神は、いけにえ以上に、真実な信仰、誠実、あわれみを喜ばれる。
③律法を守っているとの自信を持った人たちへの、皮肉に満ちた命令である。
(4)「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」
①このことばは、マタイの人生に成就した。
②パリサイ人たちの問題点は、自分が義人だと思っていること。
③自分は罪人だという認識がなければ、イエスの招きの声を聴くことは難しい
④イエスが人々を2分するとは、このことである。
結論
1.イエスの招き
(1)権威ある招き
①マタイが従っていた権威とは:
*宗教的指導者たちの権威に従っていた時があった。
*しかし、今はローマ帝国の権威に従っている。
*彼は、富に仕えていた。
②マタイは、イエスの権威がいかなる地上の権威よりも上にあることを認めた。
*実存的なイエスとの出会い。
(例話)犬のしつけ
*犬が主導の散歩をよく見る。
・引っ張り癖、拾い食い、マーキング
*飼い主がリーダーになる必要がある。
・犬にとって最も幸せな状態である。
・リーダーウォークの重要性
(2)恵みに満ちた招き
①取税人が招かれることは、奇跡的なことである。
(3)愛に満ちた招き
①マタイは、神の愛の中に招かれたのである。
(例話)メッセージの「あいうえお」(32回目「悪霊に対する権威」)
2.招きへの応答
(1)信仰による決断
①収税所を去ると、2度との取税人には戻れない。
②収税所そのものは、依然として活動を継続する。
③犠牲を伴う決断であった。
(2)賜物を生かす人生
①彼の人生は、搾取から奉仕の人生に変えられた。
②取税人としての経験が生きたことであろう。
③しかし、彼は言葉数の多い人ではない。
*福音書の中で、彼がイエスに質問したという記録はない。
④その彼が、マタイの福音書を書き残した。
*これは、ユダヤ人に向けて書かれた福音書である。
⑤ここに、神の大いなる「どんでん返し」(アイロニー)がある。
⑥私たちも、神の「どんでん返し」になろうではないか。
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