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ルカの福音書(35)罪深い女による油注ぎ7:36~50
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イエスは、罪を赦す神であることを確認する。
ルカの福音書 35回
罪深い女による油注ぎ
ルカ7:36~50
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、数々の恵みの業を行われた。
②イスラエルの中に、イエスとは誰かという論争が続いた。
③バプテスマのヨハネも、同じ疑問を抱いた。
*イエスは彼に、自分はメシアだと回答された。
*そして、バプテスマのヨハネを高く評価された。
*しかし、彼よりも教会時代の信者の方が偉大だと言われた。
④この箇所では、シモンというパリサイ人がイエスを吟味しようとした。
(2)イエスは3度パリサイ人から食事に招かれている(すべてルカだけの記録)。
①7:36~50、11:37~54、14:1~24
②かなり長い場面になっている。
③なんらかの論争が起きている。
④3度のくり返しは、これが公生涯の特徴であることを示している。
(3)この物語は、ルカ7:35が正しいことの証明となっている。
Luk 7:35 しかし、知恵が正しいことは、すべての知恵の子らが証明します。」
①知恵(バプテスマのヨハネ、イエス)は正しい。
②知恵を信じた者たちは、知恵の子らである。
③知恵の子らの行いは、知恵が正しいことを証明している。
④イエスを信じた罪の女の行いが、イエスの教えの正しさを証明している。
⑤さらに、イエスは誰かというモチーフがここでも流れている。
2.アウトライン
(2)罪の女の登場(37~39節)
(3)ラビの講話(40~47節)
(4)講話の結論(48~50節)
3.結論:5つの教訓
イエスは、罪を赦す神であることを確認する。
Ⅰ.舞台設定(36節)
1.36節
Luk 7:36
さて、あるパリサイ人が一緒に食事をしたいとイエスを招いたので、イエスはそのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
(1)宴会は、宗教的、道徳的講話を聞く場となっていた。
①ラビを招いてこのような宴会を開くことは、高潔なことだと考えられていた。
②これは、巡回ラビに敬意を表するための宴会である。
③一般の人たちにも扉が開かれており、傍聴が許された。
④貧しい人たちは、宴会の残り物を食べることができた。
⑤イエスは、パリサイ人の招きをすべて断ったわけはない。
(2)主人は、パリサイ人のシモンである。
①彼は、イエスに敬意を示すためではなく、別の目的のために宴会を開いた。
②彼の動機は、隠されていた。
*イエスをもてなすわけではないが、敵対するわけでもない。
*彼は、イエスがメシアであるかどうかを疑っている段階にいた。
Ⅱ.罪の女の登場(37~39節)
1.37~38節
Luk 7:37
すると見よ。その町に一人の罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏の壺を持って来た。
Luk 7:38
そしてうしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った。
(1)「罪深い女」(罪の女)とは、娼婦の婉曲語である。
①当時は、異邦人の娼婦もたくさんいたが、彼女はユダヤ人である。
②彼女は、ベタニヤのマリアでもマグダラのマリアでもない。
③彼女がこのような場にいるのは、異常なことである。
④通常は、戸口に召使が立っていて、入室を制限していた。
⑤宗教的な家では、誰でも中に入って話を聞けるように、扉を開いていた。
⑥傍聴者は食卓から離れて立ち、黙ってラビと主人の対話に話に耳を傾けた。
(2)彼女の行動
①香油の入った石膏の壺を持って来た。
*石膏(アラバスター)は、香油を入れるのに最適な器とされていた。
②泣いていた。
③イエスのうしろで御足のそばに立った。
*左ひじをついて、横になって食事をしていたので、足は外側にあった。
④涙でイエスの足をぬらし
⑤髪の毛でぬぐい
*宗教的な婦人は、頭にかぶり物をしていた。
*公の場で髪の毛を見せることは、不道徳なことであった。
*トップレスで公の場に出るようなものである。
⑥その足に口づけして
*継続した動作(未完了形)
⑦香油を塗った。
*頭ではなく足に油を塗ったのは、彼女の謙遜の表れである。
*香油は、遊女が商売で使用する物で、パリサイ人には忌むべきものである。
2.39節
Luk 7:39
イエスを招いたパリサイ人はこれを見て、「この人がもし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」と心の中で思っていた。
(1)パリサイ人シモンは、心ひそかにイエスについての結論を出した。
①イエスは、預言者ではない。
②もし預言者であるなら、罪の女にさわらせることはないはずだ。
③罪人に触れると、汚れが移る。
Ⅲ.ラビの講話(40~47節)
1.40節
Luk 7:40
するとイエスは彼に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがあります」と言われた。シモンは、「先生、お話しください」と言った。
(1)家の主人、招かれた客、傍聴人がいる中で、いよいよラビの講話が始まる。
①講話は、たとえ話と質疑応答の形で、展開される。
②この講話で、イエスはシモンの心の中を見抜いていることを証明される。
(2)シモンは、「先生、お話しください」と言った。
①シモンは、イエスが自分の心の中を見抜いていることを知らない。
②彼は、丁寧に「先生」と言った。
③ルカでは「先生」とはラビのことである。ラビは、預言者以下の者。
2.41~42節
Luk 7:41
「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。
Luk 7:42
彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。」
(1)500デナリの借金を赦された人と、50デナリの借金を赦された人の対比
①1デナリは、労働者の1日分の賃金である。
②借金の額は、10対1である。
③金貸しは、2人に恵みを与えた。
④話のポイントは、どちらがより多くその金貸しを愛するかということである。
3.43節
Luk 7:43
シモンが「より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は正しい」と言われた。
(1)シモンは、用心深く回答した。
①「思います」は、用心深いことばである。
(2)イエスは、彼の判断をほめた。
①この判断によって、シモンは自分自身を裁くことになる。
4.44~47節
Luk 7:44
それから彼女の方を向き、シモンに言われた。「この人を見ましたか。わたしがあなたの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。
Luk 7:45
あなたは口づけしてくれなかったが、彼女は、わたしが入って来たときから、わたしの足に口づけしてやめませんでした。
Luk 7:46
あなたはわたしの頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、彼女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。
Luk 7:47
ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
(1)ここから、たとえ話の適用が始まる。
①イエスは、このたとえ話を罪の女とシモンに適用する。
(2)主人が客を歓迎するために行うことがいくつかあった。
①足を洗う(通常は、その家のしもべの仕事であった)。
②男性同士は、頬に口づけをする。
③頭に油を塗る。
④しかしシモンは、それをしなかった。
⑤敬意を表しているかのように振る舞いながら、実はイエスを見下していた。
(3)罪の女は、そのすべてを、しかも、謙遜に行った。
①涙で足をぬらし、髪の毛でぬぐった。
②足に口づけしてやめなかった。
③足に香油を塗った。
④多く赦されたことへの感謝を、これらの行動で表現した。
(4)シモンには、赦されたという思いがない。
①それどころか、赦される必要があるとも感じていない。
Ⅳ.講話の結論(48~50節)
1.48~49節
Luk 7:48
そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。
Luk 7:49
すると、ともに食卓に着いていた人たちは、自分たちの間で言い始めた。「罪を赦すことさえするこの人は、いったいだれなのか。」
(1)ここでイエスは、公に彼女の罪の赦しを確認された。
①「赦されています」は、完了形の動詞である。
*イエスを信じた時点で、彼女は赦された。
*そして今も、赦された状態が続いている。
*イエスは、彼女の罪が赦されていることを確認された。
②この宣言は、彼女が共同体の中で新しい人生を歩むために必要なものである。
③イエスは、メシア宣言はしていないが、メシアとして語っている。
(2)食卓に着いていた人たちは、驚いた。
①神だけが罪を赦す権威を持っておられる。
②祭司は、代償のささげ物が献げられた後、罪の赦しを宣言することができた。
③イエスは、代償のささげ物なしに、罪の赦しを宣言された。
*十字架の死が代償のささげ物となる。
④彼らは、イエスを信じるか、拒否するかの判断を迫られた。
2.50節
Luk 7:50
イエスは彼女に言われた。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
(1)イエスは、信仰による救いを保証された。
①彼女は、愛の行為によって救われたのではない。
②愛の行為は、イエスを信じた結果出てきたものである。
(2)「Go in peace.」(安心して行きなさい)
①彼女は、永遠の平安をいただいて帰ることができた。
②信仰による救いを得ていたからである。
結論:5つの教訓
1.救いは、恵みと信仰によってのみ与えられる。
(1)パリサイ人シモンには、罪の認識がなかった。
(2)それゆえ、信仰による救いを求める必要がなかった。
2.神は、返済不可能な罪の負債を赦してくださる。
(1)50デナリも500デナリも、大きな負債である。
(2)神は、どのような負債であっても赦してくださる。
3.神との平和は、罪の赦しによって可能となる。
(1)罪の女は、イエスを信じる信仰によって、すでに神との平和を持っていた。
(2)イエスは、その事実を再確認された。
4.神の赦しを理解すればするほど、神への感謝は深くなる。
(1)パリサイ人シモンと罪の女の差は、神の赦しを体験したかどうかの差である。
(2)神への感謝が薄れてきたときは、どれほどの罪を赦されたかを思い出せば良い。
5.謙遜な奉仕は、神の恵みに対する応答として生まれるものである。
(1)奉仕が人を救うのではない。
(2)救われたから、奉仕がしたくなるのである。




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