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ルカの福音書(34)バプテスマのヨハネの疑問7:18~35
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イエスとは誰かを確認する。
ルカの福音書 34回
バプテスマのヨハネの疑問
ルカ7:18~35
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、カペナウム周辺の町や村で、奇跡を行われた。
*百人隊長のしもべが癒された。
*やもめの一人息子が生き返った。
②当然、イエスとは誰かという疑問が湧いてくる。
*預言者か、エリヤか、それ以外の預言者のひとりか。
*モーセのような預言者か(申18:18)、メシアか。
*インマヌエルと呼ばれるお方か(イザ7:14)。
(2)バプテスマのヨハネも戸惑った。
①イエスは、メシア預言を成就しておられた。
*義を宣べ伝え、病人を癒し、悪霊を追い出し、死者を甦らせた。
②しかし、成就していないメシア預言もあった。
*囚人の解放(ヨハネはその1人であった)
*イスラエルの敵の裁き
*ダビデ王国の回復
(3)ルカは、イエスは誰かという論争について詳細に書いた。
*並行箇所は、マタ11:2~19。
①イエスを信じる者は、同じような論争に巻き込まれる。
②この箇所は、読者を励ますために書いたものである。
*特に、宗教的指導者たちへの叱責が中心テーマである。
2.アウトライン
(2)ヨハネに関するイエスの証言(24~28節)
(3)不信仰な世代に対するイエスの叱責(29~35節)
3.結論:3つの教訓
(1)バプテスマのヨハネ
(2)イエス
(3)宗教的指導者たち
イエスとは誰かを確認する。
Ⅰ.ヨハネの疑問に対するイエスの回答(18~23節)
1.18~19節
Luk 7:18
さて、ヨハネの弟子たちは、これらのことをすべてヨハネに報告した。すると、ヨハネは弟子たちの中から二人の者を呼んで、
Luk 7:19
こう言づけて、主のもとに送り出した。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」
(1)「これらのこと」
①ヨハネの弟子たちは、イエスの活動全体をヨハネに報告した。
②百人隊長のしもべの癒し、ナインの一人息子の蘇生などが含まれる。
(2)当時、ヨハネの確信は揺らいでいた。
①イザ61:1
Isa 61:1
【神】である主の霊がわたしの上にある。/貧しい人に良い知らせを伝えるため、/心の傷ついた者を癒やすため、/【主】はわたしに油を注ぎ、/わたしを遣わされた。/捕らわれ人には解放を、/囚人には釈放を告げ、
②囚人である自分は、まだ解放されていない。
*当時彼は、ヘロデ大王が建設したマカイロスの砦に幽閉されていた。
*死海の北端から約15キロ東側に入った所にある。
*イエスの時代のペレヤの南端に位置する。
③そこでヨハネは、2人の弟子をイエスのもとに派遣した。
④イエスは、メシアなのか、メシアの先駆者であるエリヤなのか。
2.20節
Luk 7:20
その人たちはみもとに来て言った。「私たちはバプテスマのヨハネから遣わされて、ここに参りました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか』と、ヨハネが申しております。」
(1)ヨハネの質問の内容が、くり返されている。
①何が問題になっているかが強調されている。
②イエスの正体について、ヨハネは戸惑っていた。
3.21~23節
Luk 7:21
ちょうどそのころ、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩む多くの人たちを癒やし、また目の見えない多くの人たちを見えるようにしておられた。
Luk 7:22
イエスは彼らにこう答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
Luk 7:23
だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
(1)イエスは、いくつかのメシア預言の成就(奇跡)に言及された。
①ツァラアト患者の清めに関しては、イザヤ書の預言にはない。
②恐らくイエスは、エリシャの奉仕を成就したという点に言及されたのであろう。
*列王記第二5章 アラムの将軍ナアマンの癒し
(2)裁きの奉仕に関する言及はない。
①それは再臨のメシアの奉仕に含まれるものである。
(3)「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです」
①イエスが行ったしるしを見て、イエスをメシアと信じる者は幸いである。
②ヨハネは、それとは異なった理解を持ったために、イエスにつまずいた。
③つまずきは、信仰とは正反対の心の状態である。
Ⅱ.ヨハネに関するイエスの証言(24~28節)
1.24~26節
Luk 7:24
ヨハネの使いが帰ってから、イエスはヨハネについて群衆に話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
Luk 7:25
では、何を見に行ったのですか。柔らかな衣をまとった人ですか。ご覧なさい。きらびやかな服を着て、ぜいたくに暮らしている人たちなら宮殿にいます。
Luk 7:26
では、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そのとおり。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者をです。
(1)イエスに質問したことで、ヨハネを疑う人が出る可能性がある。
①そこでイエスは、その誤解を解くために、ヨハネを高く評価する。
(2)ヨハネの描写
①風に揺れる葦ではない。
②宮殿で地上の王に仕えているのではなく、天の王に仕えている。
③服を見れば、預言者であることが分かる。
④預言者以上の者である。
2.27~28節
Luk 7:27
この人こそ、/『見よ、わたしはわたしの使いを/あなたの前に遣わす。/彼は、あなたの前にあなたの道を備える』/と書かれているその人です。
Luk 7:28
わたしはあなたがたに言います。女から生まれた者の中で、ヨハネよりも偉大な者はだれもいません。しかし、神の国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。
(1)イエスはヨハネのことを、「メシアの先駆者」と断言した。
①マラ3:1の引用
Mal 3:1
「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。/彼は、わたしの前に道を備える。/あなたがたが尋ね求めている主が、/突然、その神殿に来る。/あなたがたが望んでいる契約の使者が、/見よ、彼が来る。/──万軍の【主】は言われる。」
②イエスは、「あなたがたが尋ね求めている主」である。
③イエスの神性が確認されている。
(2)ヨハネは、旧約聖書の聖徒の中では最も偉大である。
①しかし、神の国の中で一番小さい者でさえ、彼より偉大である。
②神の国=神の国のプログラム。マタ16章の教会。
③教会時代の聖徒たちは、ヨハネよりも偉大である。
④キリストの内にあるので、偉大である。
Ⅲ.不信仰な世代に対するイエスの叱責(29~35節)
1.29~30節
Luk 7:29
ヨハネの教えを聞いた民はみな、取税人たちでさえ彼からバプテスマを受けて、神が正しいことを認めました。
Luk 7:30
ところが、パリサイ人たちや律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けず、自分たちに対する神のみこころを拒みました。
(1)ヨハネの評価に関して、イスラエルの中には分裂があった。
①29と30節は、マタイの福音書の並行箇所には出てこない。
②ルカは、31~35節のイエスのことばの背景を提供している。
(2)イエスは、一般民衆をほめた。
①取税人でさえ、ヨハネの教えを信じて、バプテスマを受けた。
②彼らは、神の方法が正しいことを認めた。
③つまり、自分の考えをヨハネに押しつけなかったということである。
(3)イエスは、霊的指導者たちを叱責した。
①パリサイ人たちや律法学者たちは、ヨハネからバプテスマを受けなかった。
②つまり、神が用意された救いの道を拒否したということである。
2.31~32節
Luk 7:31
それでは、この時代の人々を何にたとえたらよいでしょうか。彼らは何に似ているでしょうか。
Luk 7:32
広場に座り、互いに呼びかけながら、こう言っている子どもたちに似ています。/『笛を吹いてあげたのに、/君たちは踊らなかった。/弔いの歌を歌ってあげたのに、/泣かなかった。』
(1)この時代の人々とは、第2グループの不信仰な人たちである。
①過去にも、不信仰な世代は存在していた。
②申32:20、詩78:8、エレ2:31
Deu 32:20
主は言われた。/「わたしの顔を彼らから隠し、/彼らの終わりがどうなるかを見よう。/彼らは、ねじれた世代、/真実のない子らであるから。
Psa 78:8 先祖たちのように/強情で逆らう世代/心定まらない世代/霊が神に忠実でない世代とならないために。
Jer 2:31
あなたがた、この時代の人々よ。【主】のことばに心せよ。/わたしはイスラエルにとって荒野であったのか。/あるいは暗黒の地であったのか。/なぜわたしの民は、/「私たちは、さまよい歩きます。/もうあなたのところには行きません」/と言うのか。
(2)不信仰な人たちは、気ままな子どもたちのようである。
①気ままな子どもたちは、自分の思いどおりに他の子どもたちを動かそうとする。
②彼らは、笛を吹いたり、弔いの歌を歌ったりする。
③しかし、他の子どもたちは、それに従わない。
④そこで、気ままな子どもたちは、文句を言う。
3.33~35節
Luk 7:33
バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは『あれは悪霊につかれている』と言い、
Luk 7:34
人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。
Luk 7:35
しかし、知恵が正しいことは、すべての知恵の子らが証明します。」
(1)彼らは、バプテスマのヨハネを批判した。
①ヨハネは、禁欲生活をし過ぎである。
②ヨハネは、いなごと野蜜を食べた。パンも食べず、ぶどう酒も飲まなかった。
③つまり、ヨハネは、宗教的指導者たちの期待通りには動かなかったのである。
④そこで彼らは、ヨハネは悪霊につかれていると言った。
(2)彼らは、全く別の理由で、イエスを批判した。
①イエスは、放縦に走っている。
②イエスは、取税人や罪人とともに、飲み食いした。
③つまり、イエスは、彼らの期待通りには動かなかったのである。
④そこで彼らは、イエスは罪人の仲間だと言った。
(3)イエスは、ご自分のことを「人の子」と呼ばれた。
①これは、メシアの称号である(ダニ7:13~14)。
②これは、イエスの神性を示すタイトルである。
③神であるイエスを拒否することは、重大な罪である。
(4)「知恵が正しい」とは、イエスとヨハネのことである。
①イエスとヨハネは、神の御心に従ったという意味で、「知恵の子ら」である。
②イエスとヨハネは、「知恵の子ら」として行動している。
③イエスとヨハネを信じた者たちもまた、「知恵の子ら」である。
④彼らは、新しい生き方を通して、イエスとヨハネが義であることを証明する。
結論:3つの教訓
1.バプテスマのヨハネ
(1)彼は、悔い改めの重要性を教えた。
(2)禁欲的なライフスタイルは、悔い改めの表現である。
(3)救いに至る最初のステップは、自らの罪を認めることである。
2.イエス
(1)イエスの自由なライフスタイルは、救われた者の喜びの表現である。
(2)イエスを信じた者は、イエスとともに食事の席に着くことになる。
3.宗教的指導者たち
(1)彼らは、ヨハネとイエスを、自分たちの思いどおりに動かそうとした。
(2)自分の現状を直視できない者は、福音の使者の内に常に欠点を見いだす。
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