ルカの福音書(29)4つの祝福と4つの呪いルカ6:20~26

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弟子としての2つの道について学ぶ。

ルカの福音書 29回

4つの祝福と4つの呪い

ルカ6:20~26

1.はじめに

(1)文脈の確認

  ①イエスは、山に行き、神に祈りながら夜を明かされた(6:12)。

  ②朝になると弟子たちを呼び寄せ、その中から12人を選ばれた(6:13)。

  ③それから山を下り、平地に立たれた(6:17)。

  ④そこに大群衆が押し寄せてきたので、彼らに奉仕をされた(6:17)。

  ⑤弟子たちに向けて「平地での説教」を語られた(6:20)。

(2)山上の垂訓(マタ5~7章)との違い

  ①「山の上」と「平地」という違いがある。

  ②「平地での説教」には、4つの祝福と4つの呪いがある。

  ③「平地での説教」には、モーセの律法に関する教えはない。

  ④「山上の垂訓」と「平地での説教」の関係について、3つの見解がある。

    *同じ説教をマタイは詳細に(137節)、ルカは要約して(30節)記録した。

    *マタイの説教とルカの説教は、別のものである。

    *多数の説教があり、それをマタイとルカは、それぞれの視点で編集した。

2.アウトライン

(1)4つの祝福(20~23節)

(2)4つの呪い(24~26節)

3.結論:2つの道

(1)詩篇1篇

(2)私たちへの適用

弟子としての2つの道について学ぶ。

Ⅰ.4つの祝福(20~23節)

1.貧しい人たち(20節)

Luk 6:20

イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。

(1)この説教は、弟子たちに向けて語られたものである。

  ①群衆もそこにいて、同じ説教を聞いていた。

  ②未信者には配慮が必要である。

(ILL)「聖会で、きよめの恵みに与りました」という証し

  ③私は、未信者がいても、配慮した上で、大胆に語るべきだと思っている。

(2)ここでの貧しさは、物質的なものである。

  ①弟子たちは、イエスに従うためにこの世の富を捨てた。

  ②献身のために貧しくなった弟子たちは、神にのみ信頼するようになる。

(3)マタ5:3

Mat 5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

  ①これは、内面的な貧しさである。

  ②自分の義に信頼を置いていない人のことである。

  ③弟子たちの献身の根底には、心の貧しさがある。

(4)弟子として貧しくなった者には、神からの祝福が約束されている。

  ①メシア的王国での祝福が待っている。

  ②現世で裕福になるよりは、メシア的王国の祝福に与るほうが良い。

  ③弟子たちにとっては、メシア的王国の成就は、現実的なものであった。

2.飢えている人たち(21節a)

Luk 6:21a
今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。

(1)イエスの弟子たちは、時には飢えることもある。

  ①イエス時代だけでなく、今も同じことが言える。

(ILL)神学生時代、開拓伝道の時代

(2)マタ5:6

Mat 5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。

  ①ここでは、霊的な意味で、飢え渇きということばが使用されている。

  ②聖い生活への渇望、完全な基準に基づいて生きたいという願い

  ③マタイ5章の文脈では、モーセの律法が完全な基準である。

(3)飢えている弟子たちには、神からの祝福が約束されている。

  ①現世における守りがある。

  ②さらに、メシア的王国において、神の祝福が約束されている。

3.泣いている人たち(21節b)

Luk 6:21b
 今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。

(1)マタ5:4

Mat 5:4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。

(2)人生で味わうさまざまな悲しみではなく、罪に関する悲しみのことである。

  ①神に対して罪を告白する人

  ②その人は、信仰による義人である。

  ③伝道しても応答する人が少ないことも、悲しみの1つである。

(3)泣いている弟子たちには、神の祝福が約束されている。

  ①これも、最終的には、メシア的王国で成就する約束である。

  ②彼らは、笑うようになる。

4.迫害されている人たち(22~23節)

Luk 6:22

人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

Luk 6:23

その日には躍り上がって喜びなさい。見なさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。彼らの先祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。

(1)イエスをメシアと信じたユダヤ人にとって、迫害は現実的なことであった。

  ①迫害される理由は、イエスに対する信仰である。

  ②「人の子」とは、イエスが「神であり人である」ことを示している。

  ③弟子とは、イエスが「神であり人である」ことを信じて従う人である。

(2)真の弟子は、常に神の基準によって生きる。

  ①たとえ迫害が来ても、生き方を曲げない。

    *ルカは、使徒の働きの中で、あらゆる種類の迫害を記録している。

  ②真の弟子は、天における報いを期待して生きる。

  ③真の弟子は、預言者たちも迫害に遭ったことを思い出す。

(3)2テモ3:12

2Ti 3:12 キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

  ①イエスもまた、迫害に遭われた。

  ②イエスの弟子たちも、同じ道を歩む。

Ⅱ.4つの呪い(24~26節)

1.富んでいる人たち(24節)

Luk 6:24
しかし、富んでいるあなたがたは哀れです。あなたがたは慰めをすでに受けているからです。

(1)貧しい者たちと富んでいる者たちの対比がある。

  ①「しかし」ということばは、強意の対比である。

  ②イエスは、単に裕福な人を批判しているわけではない。

  ③富を守るために、イエスの弟子としての献身を避ける人のことである。

(2)前者は、神が必要を満たしてくださると期待することができる。

  ①これは、終末的希望である。

  ②メシア的王国における祝福である。

(3)後者は、神の祝福を期待することができない。

  ①富んでいる者(価値観が倒錯している者)には、神の裁きが下る。

2.満腹している人たち(25節a)

Luk 6:25a
今満腹しているあなたがたは哀れです。あなたがたは飢えるようになるからです。

(1)飢えている人たちと満腹している人たちの対比がある。

  ①満腹すること自体は罪ではないが、そのために献身を避けるなら、問題である。

  ②一時的なもののために、永遠の祝福を捨てるのは愚かなことである。

3.笑っている人たち(25節b)

Luk 6:25b
 今笑っているあなたがたは哀れです。あなたがたは泣き悲しむようになるからです。

(1)泣いている人たちと笑っている人たちの対比がある。

  ①笑うこと自体は罪ではないが、そのために献身を避けるなら、問題である。

  ②一時的なもののために、永遠の祝福を捨てるのは愚かなことである。

  ③その人は、泣き悲しむようになる。

4.ほめられている人たち(26節)

Luk 6:26
人々がみな、あなたがたをほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの先祖たちも、偽預言者たちに同じことをしたのです。

(1)迫害されている人とほめられている人の対比がある。

  ①この世は、クリスチャンに対して敵対的である。

  ②この世の価値観と聖書の価値観は、対立する。

(2)もしこの世の人たちから「ほめられている」なら、自己吟味をすべきある。

  ①その人は、弟子としての献身ができていないはずである。

  ②かつては、偽預言者たちがこの世の称賛を受けていた。

  ③この世の称賛を受けている人たちは、偽預言者と同じである。

結論:2つの道

1.詩篇1篇

(1)祝された道(1~3節)

Psa 1:1
幸いなことよ/悪しき者のはかりごとに歩まず/罪人の道に立たず/嘲る者の座に着かない人。

Psa 1:2
【主】のおしえを喜びとし/昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。

Psa 1:3
その人は/流れのほとりに植えられた木。/時が来ると実を結び/その葉は枯れず/そのなすことはすべて栄える。

(2)呪われた道(4~6節)

Psa 1:4
悪しき者は そうではない。/まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ。

Psa 1:5
それゆえ 悪しき者はさばきに/罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。

Psa 1:6
まことに 正しい者の道は【主】が知っておられ/悪しき者の道は滅び去る。

2.私たちへの適用

(1)詩篇1篇は、私たちにどちらの道を歩むのかと問いかけてくる。

  ①詩篇1篇は、詩篇全体のメッセージのイントロダクションである。

  ②詩篇全体は、聖書のメッセージ全体の要約である。

(2)イエスは弟子たちに、どちらの道を選ぶのかと問いかけている。

  ①正しい決断をするための力は、神への絶対的信頼である。

  ②正しい決断をするための力は、終末論的な希望である。

  ③つまり、メシア的王国の希望である。

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