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メシアの生涯(26)—バプテスマのヨハネの最後の証言—
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クリスチャンに与えられている特権について学びます。
「バプテスマのヨハネの最後の証言」 ヨハ3:22~4:4
1.はじめに
(1)エルサレムにおいて
①過越の祭りで、宮清めを行った。メシア性の宣言。
②エルサレムに滞在中に、しるしを行った。メシア性の証明。
③多くの人が、イエスを信じた。
④しかし、イエスは彼らを信用しなかった。
⑤ニコデモは、例外であった。
(2)きょうの箇所は、それ以降の出来事である。
①イエスとバプテスマのヨハネの働きが、一時期、並行して進む。
②バプテスマのヨハネは、捕えられる。
③イエスは、ガリラヤに帰還する。
(3)A.T.ロバートソンの調和表
イエスとバプテスマのヨハネの並行した奉仕(§33)
イエスがユダヤを去る理由(§34)
2.アウトライン
(1)バプテスマのヨハネの最後の証言(3:22~30)
(2)福音記者ヨハネの解説(3:31~36)
(3)ユダヤからガリラヤへの移動(4:1~4)
3.メッセージのゴール
(1)私たちに与えられている任務
(2)ユダヤ式結婚のたとえの意味
このメッセージは、クリスチャンに与えられている特権について学ぼうとするものである。
Ⅰ.バプテスマのヨハネの最後の証言(3:22~30)
1.22節
「その後、イエスは弟子たちと、ユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプ
テスマを授けておられた」
(1)イエスはエルサレムを離れた。
①エルサレムもまた、ユダヤの地にある。
②ここでの「ユダヤの地」とは、ユダヤ地方の田舎、荒野であろう。
(2)イエスはそこで、バプテスマのヨハネと同じような働きを展開した。
①バプテスマを授けていたのは、イエスではなく、弟子たちであった。
②この行為は、バプテスマのヨハネのメッセージを保証するものとなった。
2.23~24節
「一方ヨハネもサリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が多かった
からである。人々は次々にやって来て、バプテスマを受けていた。──ヨハネは、まだ投
獄されていなかったからである──」
(1)ヨハネの活動の場
①「サリムに近いアイノン」がどこか、明確ではない。
②ガリラヤ湖と死海の間のどこかである。
③恐らく、シェケムの東5キロメートルの辺りであろう。
④「そこには水が多かったからである」
*乾季になると、ヨルダン川の水は南に行くほど少なくなった。
*それでヨハネは、北に移動して、そこで活動した。
*ユダヤ的文脈では、浸礼が重要であることが分かる。
(2)「人々は次々にやって来て、バプテスマを受けていた」
①短期間ではあるが、イエスとヨハネの働きがオーバーラップした。
②ユダヤからサマリヤにかけて、大いに賑わった。
*ともに弟子たちがいた。
*ともに群衆が取り囲んだ。
*ともに洗礼を授けた(イエスの場合は、弟子たちが)
*ともに、悔い改めと、神の国の到来を説いた。
(3)「──ヨハネは、まだ投獄されていなかったからである──」
①ヨハネの投獄と斬首は、イエスの公生涯の転機となった。
②ヨハネは、共観福音書の情報を前提に書いている。
*マタ14:1~12、マコ6:14~29
3.25節
「それで、ヨハネの弟子たちが、あるユダヤ人ときよめについて論議した」(新改訳)
「ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった」
(新共同訳)
(1)論争の当事者
①ヨハネから洗礼を受け、ヨハネに付き従っている者たち
②ひとりのユダヤ人
(2)論争の内容は、「清めのこと」である。
①具体的な内容は、分からない。
②エッセネ派の洗礼があった。
③パリサイ派の清めがあった(手足の清めから、器の清めまで)。
④この上、なぜヨハネの洗礼が必要か。
⑤もし必要だというなら、イエスの洗礼の方が、より価値があるのではないか。
4.26節
「彼らはヨハネのところに来て言った。『先生。見てください。ヨルダンの向こう岸であ
なたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方が、バプテスマを授けておられます。
そして、みなあの方のほうへ行きます』」(新改訳)
「彼らはヨハネのもとに来て言った。『ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にい
た人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行って
います』」(新共同訳)
(1)弟子たちは、ヨハネのために、嫉妬を感じた。
①イエスという名を意図的に避けている。
②ヨハネがイエスを認定したことを、柔らかく責めている。
③あの人の方が、人気が出ている。
④「みな」というのは、誇張法である。
⑤新共同訳では、「人」と「方」という言葉が使い分けられている。
(例話)カルビン主義とアルメニウス主義の論争
5.27~28節
「ヨハネは答えて言った。『人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはで
きません。あなたがたこそ、「私はキリストではなく、その前に遣わされた者である」と
私が言ったことの証人です』」
(1)ヨハネは、弟子たちが忘れてしまった真理を思い出させている。
①その人の奉仕の範囲は、神が決めておられる。
②ヨハネの奉仕は、メシアの先駆者としてのそれである。
*弟子たちは、その証しを何度も聞いていた。
6.29節
「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、
花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです」
(1)ユダヤ的たとえが語られる。
①自分は、花婿の友人である。
②花婿が主役であり、自分は脇役である。
③花婿の喜びは、私の喜びである。
7.30節
「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」
(1)すべては、神の計画通りに進んでいる。
①この言葉は、すべての奉仕者への教訓である。
②自分が衰えても、キリストの御名が称えられることを喜ぶ人は、義人である。
(例話)「近代海外宣教の父」ウィリアム・ケアリ(1761-1834)
臨終の床で、「ウィリアム・ケアリについてではなく、『ウィリアム・ケアリの救い主』
について語ってくれ」と言った。
Ⅱ.福音記者ヨハネの解説(3:31~36)
1.バプテスマのヨハネの言葉でなく、福音記者ヨハネの言葉である。
(1)キリスト論が展開されている。
①十字架と復活後の視点である。
(2)これまでの記事を基に、まとめの解説をしたものである。
①ニコデモとの対話
②バプテスマのヨハネの弟子たちの苦言
2.31~33節
「上から来る方は、すべてのものの上におられ、地から出る者は地に属し、地のことばを
話す。天から来る方は、すべてのものの上におられる。この方は見たこと、また聞いたこ
とをあかしされるが、だれもそのあかしを受け入れない。そのあかしを受け入れた者は、
神は真実であるということに確認の印を押したのである」
(1)「上から来る方」と「地から出る者」の比較
①メシアは、天において見たこと、聞いたことを証しする。
②人間は、地に属し、地上のことしか理解できない。
(2)2種類の人間
①メシアのことばを信じない人
*「だれも」とあるのは、誇張法である。
②メシアのことばを信じる人
*「神は真実であるということに確認の印を押した」
(3)1ヨハ5:10
「神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない
者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないから
です」
3.34節
「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるから
である」
(1)イエスは神から遣わされた方である。
①ヨハネの福音書では、これが39回も出て来る。
(2)イエスは神のことばを話される。
①神が、聖霊を無限に与えられるからである。
(例話)説教者のために、この聖句を用いて祈ることの誤り。
4.35~36節
「父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。御子を信じる者は永遠の
いのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上
にとどまる」
(1)父と子は、愛と信頼の関係で結ばれている。
①父と子はひとつである。
②万物は、父から御子の手に渡されている。
(2)御子に対する態度は、そのまま父に対する態度となる。
①御子を信じる者は、永遠のいのちを持つ。
②御子を信じない者は、神の怒りの中にある。
*神の怒りとは、罪や不義に対する怒りである。
Ⅲ.ユダヤからガリラヤへの移動(4:1~4)
1.1~4節
「イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人
の耳に入った。それを主が知られたとき、 ──イエスご自身はバプテスマを授けておら
れたのではなく、弟子たちであったが──主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった」
(1)パリサイ人との対決の時は、まだ来ていない。
①十字架の時は、3年後のことである。
(2)サマリアを通るのは、地理的要請ではない。
①それは、霊的要請のゆえである。
②イエスは、父の計画通りに行動しておられる。
2.ルカ3:19~20
「さて国主ヘロデは、その兄弟の妻ヘロデヤのことについて、また、自分の行った悪事の
すべてを、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事にもう一つこ
の悪事を加えた」
(1)ヘロデ大王の息子のヘロデ・アンテパス
①兄弟ピリポの妻ヘロデヤと結婚した。
②それを責めたヨハネは、逮捕され、投獄された。
3.マタ4:12
「ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた」
(1)これもまた、イエスの時を考慮した結果である。
結論:
1.私たちに与えられている任務
(1)ヨハ3:27
「ヨハネは答えて言った。『人は、天から与えられるのでなければ、何も受けること
はできません』」
(2)ヨハ3:34
「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられる
からである」
(3)イエスの奉仕は無限であるが、私たちの奉仕には、限界がある。
①イエスに御霊が無限に与えられているのは、イザ11:1~2の成就である。
②私たち人間は、神の許しの範囲内でしか、活動することができない。
③旧約時代の預言者たちは、その時だけ、聖霊の影響を受けた。
③新約時代の信者には、それぞれに、異なった賜物が与えられている。
*1コリ12:7~11参照
(4)このことは、私たちに安心を与えてくれる。
①競争ではなく、補完こそが、信者同志の聖書的関係である。
2.ユダヤ式結婚のたとえの意味
(1)花婿は、メシアである。
(2)バプテスマのヨハネは、自分を花婿の友人だと言った。
①花婿は、1名か2名の友人を任命する。
②友人の役割は、花婿と花嫁を結びつけることである。
③宴会の準備をする。
④初夜においては、部屋の外か天幕の外に立ち、花婿の声を待つ(29節)。
「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声
が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている」 (新共同訳)
*花婿から、結婚が完成したとの声がかかる。
*時には、血のついた白い布が友人に渡されることもある。
*友人は、その知らせを宴会場に持って生き、宴会がさらに盛り上がる。
⑤彼は、新約時代の教会の一員ではない。彼は、旧約時代に属している。
⑥教会は、使2章で誕生した。
(3)花嫁は、教会である。
①2コリ11:2
②エペ5:32
③黙19:6~8
「また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを
聞いた。『ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその
用意ができたのだから。花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許され
た。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである』」
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