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メシアの生涯(25)—ニコデモとの対話—
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救いに至る信仰について学びます。
「ニコデモとの対話」 ヨハ2:23~3:21
1.はじめに
(1)イエスのメシア宣言
①エルサレムでの過越の祭り
②宮清めを行われた。
(2)きょうの箇所は、エルサレム滞在中の出来事
①ロングショット
②2ショット
③編集者のコメント
(3)A.T.ロバートソンの調和表
ニコデモとの対話(§32)
2.アウトライン
(1)人々の信仰(2:23~25)
(2)ニコデモの信仰(3:1~15)
(3)福音の要約(3:16~21)
3.メッセージのゴール
(1)救いに至る信仰
(2)ユダヤ人伝道のモデル
このメッセージは、救いに至る信仰について学ぼうとするものである。
Ⅰ.人々の信仰(2:23~25)
1.多くの人々が信じた。
「イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエス
の行われたしるしを見て、御名を信じた」 (23節)
(1)イエスはしるしを行った(複数)。
①ヨハネは、それがどのようなものであったか、記していない。
②恐らく、癒しであろう。
③宮清めの出来事はメシア宣言であり、しるしはメシア性の証明である。
(2)しるしについて
①しるしは、この箇所からマタ12章に至るまで、メシア性の証明として行われる。
②マタ12章のベルゼブル論争を境に、しるしの目的が変化する。
(3)多くの人々が、御名を信じた。
①「御名を信じた」とは、イエスを信じたということである。
②ただし、その信仰の内容が問題である。
③彼らは、「イエスの行われたしるしを見て」、信じたのである。
④イエスを癒し主として信じたが、罪からの救い主として信じたわけではない。
2.イエスは彼らを信じなかった(24~25節)
「しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべて
の人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っ
ておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである」
(1)イエスは、彼らの「信仰」を信じなかった。
①新共同訳「しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった」
②彼らの信仰は、しるしを見たために、一時的な興奮状態に陥った信仰である。
③この種の信仰は、救いに至る信仰ではない。
(2)イエスは、人の心の中を知っておられた。
①1サム16:7、使1:24~25
②イエスが信用した人はいるのか。
*ニコデモ(2:25と3:1のつながりは、明白である)
*サマリヤの女
Ⅱ.ニコデモの信仰(3:1~15)
1.ニコデモとの対話
(1)ヨハネは、7つの対話を記している。
①これが最初の対話である。
②テーマは、「新生」(新しい生まれ変わり)である。
(2)ニコデモは、紀元1世紀のユダヤ教徒の最高峰である。
①最高峰とメシアの対話は、かみ合わない。
②紀元1世紀のユダヤ教が、いかに神の規準から離れていたかが分かる。
③ユダヤ的視点で読まなければ、この対話の深い意味は分からない。
2.1~2節a
「さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人
が、夜、イエスのもとに来て言った」
(1)彼は、「パリサイ人」である。
①死者の復活を信じていた(サドカイ派とは異なる)。
②ユダヤ人として生まれた者は、すべて救われると信じていた。
③バプテスマのヨハネは、これを否定していた(マタ3:9)。
(2)彼は、「ユダヤ人の指導者」である。
①ラビであり、サンヘドリンの議員である。
②その彼が、イエスが神からの教師であることを認めた。
(3)彼は、「夜」イエスのもとに来た。
①ヨハネの福音書では、「夜」には深い意味がある(否定的な意味)。
②ニコデモは、人目を避けて来たのであろう。
3.2節b
「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が
ともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことがで
きません」
(1)ニコデモの挨拶
①イエスは、「ラビ(先生)」である。
②イエスは、「神のもとから来られた教師」である。
*原文では、この言葉に強調がある。
③「私たち」とは、イエスを受け入れる他の議員たちであろう。
*アリマタヤのヨセフ、ラビ・ガマリエルなど。
(2)ラビという呼びかけは、イエスに対して敬意を表したものである。
①ニコデモは、ラビ対ラビの対話を求めている。
4.3節
「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生
まれなければ、神の国を見ることはできません』」
(1)イエスの応答
①なぜ夜に来たのかという叱責はない。
②ニコデモのほめ言葉に応答することもない。
③ただちに、本論に入る。
(2)本論の内容
①「まことに、まことに」は、強調の言葉である。
②「新しく生まれなければ」は、新生の必要性を教える言葉である。
*ギリシア語の「アノウセン」である。
*「上から生まれなければ」とも訳せる。
*両方の意味を込めて、「上から、新しく生まれなければ」と理解すべき。
③「ボーン・アゲイン」
*1970年代に広まった用語である。
*本来は、ユダヤ的用語である。
*ニコデモの理解と、イエスの教えの間に隔たりがあることが問題である。
④「神の国を見ることはできません」
*ヨハネの福音書では、「神の国」という言葉は、2回しか出てこない。
*ヨハネの関心は、永遠の命にある。
*ここでの「神の国」とは、神の支配のことである。
*目に見えない神の国は、やがてメシア的王国として地上に実現する。
5.4節
「ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができる
のですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか』」
(1)ニコデモは、「新しく生まれる」という言葉を知っていた。
①「老年になっていて」が、キーワードである。
(2)パリサイ的ユダヤ教が教える6つの新生の方法
①異邦人がユダヤ教に改宗した時
②王になった時
③バール・ミツバ(13歳)を終えた時
④結婚した時(サンヘドリンの議員になる資格は、既婚者であること)
⑤30歳でラビになった時
⑥イェシヴァ(神学校)の校長になった時(通常は50歳)
*「イスラエルの教師」(10節)には定冠詞が付いている。
(3)上記①と②はニコデモに該当せず、③から⑥はすべて終わっている。
①「もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか」
②人生やり直しの可能性はあるか。
6.5~6節
「イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によ
って生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。
御霊によって生まれた者は霊です」
(1)「まことに、まことに」は、重要な教えであることを示している。
①アーメン、アーメン。
(2)「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません」
①パリサイ派神学の否定である。
②「水によって生まれる」とは、自然の誕生のこと。
③「霊によって生まれる」とは、聖霊による超自然的な誕生のこと。
(3)「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です」
①ラビ的教授法が、ここに見られる。自然と超自然の対比
7.7~8節
「あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思って
はなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来
てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」
(1)ラビ的教授法
①知っていること(自然現象)から始めて、知らないこと(超自然現象)へ。
(2)風の働きと、聖霊の働きの対比
①ともにヘブル語で「ルアㇵ」である。
②目には見えないが、結果は見える。
8.9~10節
「ニコデモは答えて言った。『どうして、そのようなことがありうるのでしょう』。イエス
は答えて言われた。『あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからな
いのですか』」
(1)ニコデモの限界が露呈した。
①彼は、知的混乱に陥った。「知っています」と言っていた(2節)。
②彼は、地上の領域でしかものごとを考えていない。
(2)イエスは驚かれた。
「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか」
①神学校の校長が、信仰の基本を理解していないのである。
②イザ32:15、エレ31:33、エゼ36:25~27など。
9.11~13節は、イエスが天から下った方であり、天上の真理を語っていることを示す。
10.14~15節
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、
信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」
(1)ニコデモへの個人伝道。民21:8~9
「すると、【主】はモーセに仰せられた。『あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの
上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる』。モーセは一つの青
銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の
蛇を仰ぎ見ると、生きた」
(2)神の行為と人の行為
①青銅の蛇は上げられた。それと同じように「人の子」も上げられる。
②青銅の蛇を仰ぎ見た人は生きた。「人の子」を信じる者も生きる。
Ⅲ.福音の要約(3:16~21)
1.16節
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じ
る者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(1)イエスのことばであっても、ヨハネの言葉であっても、結論は同じことである。
(2)イエス・キリストの福音の要約となっている。
①「世」とは、人間のことである。
②イエス・キリストを信じるかどうかで、道が分かれる。
*滅びの道と永遠のいのちの道
2.17~21節
(1)光と闇の戦い
①悪人が闇を好むのは、その行いが隠されるからである。
②真理を行う者が光を好むのは、その行いが光にさらされるためである。
結論:
1.救いに至る信仰
(1)神の御業
①ひとり子を、私たちの罪を贖うために犠牲にされた。
(2)私たちの責任
①それを神からの贈り物として受け取る(信じる)こと。
(例話)Forever 21のショッピングバッグにヨハ3:16が印刷されている。
2.ニコデモの救いは、ユダヤ人伝道のモデルである。
(1)ニコデモは、イエスのことばをすぐに理解したわけではない。
①次に来るのは、葛藤の段階である。
②現代のメシアニック・ジューも、同じところを通過する。
(2)ニコデモは、イエスを逮捕するかどうかに際して、先ずイエスを尋問するよう
に要求した。ヨハ7:50~51。
①まだ信者ではない。
(3)アリマタヤのヨセフとともに、イエスを埋葬した。ヨハ19:39~40。
②信者になっている。
(4)ニクディモン・ベン・グリオンという名がタルムードに出て来る。
①エルサレム在住の、尊敬されていた裕福なユダヤ人
②エルサレムの3人の義人のひとり
③職業は井戸掘り。
④彼の娘は、物乞いをして回った(ラビ文書の話である)。
⑤ニコデモは、霊的には豊かになった。
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