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ルカの福音書(17)ナザレでの伝道4:14~30
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ナザレでの宣教の意味について学ぶ。
ルカの福音書 17回
ナザレでの伝道
ルカ4:14~30
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
*イエスの上に聖霊が下った。
②聖霊は、イエスを荒野に導いた。
*イエスは聖霊の力によって、悪魔に勝利した。
③イエスは、聖霊の力によってガリラヤ伝道を開始する。
*ガリラヤ伝道の前に、短期間のユダヤ伝道があった(ヨハ1~4章)。
④ガリラヤ伝道の2つの目的
*メシア性を証明する。
*弟子たちを招く。
2.アウトライン
(1)ガリラヤ伝道のイントロダクション(14~15節)
(2)ナザレでの伝道(16~30節)
①ナザレの会堂での説教(16~21節)
②ナザレの人々の応答(22~30節)
3.結論
(1)ナザレでの伝道の意味
(2)ルカ4:21と24:44の関係
ナザレでの宣教の意味について学ぶ。
Ⅰ.ガリラヤ伝道のイントロダクション(14~15節)
1.14節
Luk 4:14
イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が周辺一帯に広まった。
(1)御霊の力は、イエスの奉仕の原動力であった。
①ガリラヤ伝道は、御霊の力によって実行に移される。
*ルカは、4~6章で、そのことを証明する。
②イエスは、御自身の神性ではなく、聖霊の導きに自らを委ねた。
*クリスチャンもここから教訓を学ぶことができる。
③聖霊の力による伝道というモチーフは、使徒の働きの中でも継続される。
2.15節
Luk 4:15
イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。
(1)イエスは、会堂から会堂へと巡回された。
①当初、会堂の扉は大きく開かれていた。
②イエスに対する最初の応答は、積極的なものであった。
③イエスは有名になり、すべての人に称賛された。
Ⅱ.ナザレの会堂での説教(16~21節)
1.16節
Luk 4:16
それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
(1)イエスはナザレを複数回訪問している。
①この訪問と、マタ13:53~58とマコ6:1~6の訪問とは異なる。
②この訪問が、最初のものである。
(2)ルカは、ナザレがイエスの育った村だという情報を伝えている。
①ルカ2:51に、12歳のイエスがナザレに帰り、両親に仕えたと書かれている。
②イエスは、安息日に会堂に行くことを習慣としていた。
③会堂は、捕囚期後、離散の地だけでなく、イスラエルの地にも広がった。
*会堂と神殿は、別のものである。
④律法を守るユダヤ人なら、安息日には会堂に行った。
(3)「朗読しようとして立たれた」
①トーラーの朗読
*その週の朗読箇所が決まっている(数章を部分に分け、月、木、土に朗読)。
*1年のサイクルが終わると、シムハット・トーラーという祝いをする。
*仮庵の祭りの最終日がそれに当たる。
*紀元1世紀の頃は、3年サイクルで朗読していた。
②預言書の朗読
*その日のトーラーの箇所と関連した箇所
*ハフタラーという(結論という意味)。
③朗読の後、奨励(説教)が語られる。
*朗読する時は、立って朗読した。神のことばに敬意を表するため。
*奨励の時は、座って語った。
④朗読も、奨励も、会堂管理者の判断で行われた。
*使徒13:14~15では、パウロとバルナバが会堂管理者から招かれている。
⑤この安息日では、会堂管理者がイエスを前に招いた。
*人々の間に期待感があった。
2.17節
Luk 4:17
すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。
(1)これは、ハフタラー(預言書)の朗読である。
①この日は、イザヤ書の巻物が手渡された。
②死海写本では、イザヤ書の写本は、1本の巻物になっている。
(2)イエスは、その安息日に予定されていた朗読箇所を読まれたのか。
①もしそうなら、ここには摂理的な導きがある。
②自らイザヤ書の特定の箇所を選んで、そこを読まれた可能性が高い。
3.18~19節
Luk 4:18
「主の霊がわたしの上にある。/貧しい人に良い知らせを伝えるため、/主はわたしに油を注ぎ、/わたしを遣わされた。/捕らわれ人には解放を、/目の見えない人には目の開かれることを告げ、/虐げられている人を自由の身とし、
Luk 4:19
主の恵みの年を告げるために。」
(1)イエスは、イザ61:1~2aを朗読された。
①イエスは、2節aまで読んで、そこでストップされた。
②この箇所は、メシアの奉仕に関する預言である。
*メシアの上に主の霊がある。
*メシアは、貧しい人(下層階級の人たち)に良い知らせを伝える。
*メシアは、預言的宣言を行う(目の見えない人とは、霊的に無知な人)。
*メシアは、主の恵みの年を告げる。
・ヨベルの年への言及であるが、最終的には、メシア的王国で成就する。
・これは、ユダヤ人も異邦人も恵みに与るという預言である。
(2)イエスは、2節bの「われらの神の復讐の日を告げ、」を読まなかった。
①これは患難期の預言である。
②初臨のメシアの奉仕の特徴は恵みであり、再臨のメシアの特徴は裁きである。
③ローマの圧政に苦しむナザレの人たちには、不満が残った。
3.20~21節
Luk 4:20
イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。
Luk 4:21
イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」
(1)奨励を語る時は、座るのが当時の習慣である。
①出席者は、イエスに注目した。
②イエスが何を語るか、大きな期待があった。
③イエスは、最初のことばの重要性を知っていた。
④ここは、講解メッセージにおいて、最初に適用を語るようなものである。
(2)イエス自身によるメシア宣言
①イエスは、ユダヤ人たちが長年待ち望んできたメシアである。
②イエスは、イザヤが預言していたメシアである。
③そのメシアが、今ナザレの会堂を訪問し、旧知の人々の前で語っている。
④「今日」ということばに強調点がある。
⑤今、待ち望んでいた「終末の時代」が到来した。
Ⅲ.ナザレの人々の応答(22~30節)
1.22節
Luk 4:22
人々はみなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いて、「この人はヨセフの子ではないか」と言った。
(1)積極的反応があった。
①イエスは、噂通り、あるいは、それ以上のお方である。
②恵みのことばは、予想をはるかに超えるものである。
(2)消極的反応もあった。
①「この人は、ヨセフの子ではないか」
②「いったいどうなってんだ。 ただのヨセフのせがれじゃないか」(LB)
③これは、同意を求める質問の形である。
2.23~24節
Luk 4:23
そこでイエスは彼らに言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ、自分を治せ』ということわざを引いて、『カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ』と言うでしょう。」
Luk 4:24
そしてこう言われた。「まことに、あなたがたに言います。預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。
(1)イエスはカペナウムで奉仕をされた。
①その噂が、ナザレにまで伝わっていた。
(2)「医者よ、自分を治せ」というたとえの意味
①名医であることを証明するために、先ず自分の病を癒してみろ。
②自分がメシアだと言うなら、カペナウムで行われたのと同様の奇跡を行え。
③自分の郷里で先ず奇跡を行うべきではないか。そうしたら信じてやる。
(3)「まことに、あなたがたに言います」
①重要な内容を、権威をもって伝える際の定型句である。
②預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。
③イエスは、ナザレ以外の場所では大いに尊敬された。
④ナザレの人々の問題は、プライドである。
3.25~26節
Luk 4:25
まことに、あなたがたに言います。エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。三年六か月の間、天が閉じられ、大飢饉が全地に起こったとき、
Luk 4:26
そのやもめたちのだれのところにもエリヤは遣わされず、 シドンのツァレファテにいた、一人のやもめの女にだけ遣わされました。
(1)エリヤの例
①1列17~18章
②「シドンのツァレファテにいた、一人のやもめの女」とは、異邦人の女である。
③イスラエル人で助けが必要な人が多くいたが、神はエリヤを異邦人に遣わした。
4.27節
Luk 4:27
また、預言者エリシャのときには、イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、その中のだれもきよめられることはなく、シリア人ナアマンだけがきよめられました。」
(1)エリシャの例
①2列5章
②「ツァラアト」とは、重い皮膚病のことである。
③シリア人ナアマン(異邦人の将軍)だけがきよめられた。
(2)2つの事例の共通点
①当時、イスラエルの民は不信仰の状態にあった。
②そこで神は、イスラエルではなく、異邦人を祝福された。
③異邦人の救いというルカの福音書のテーマが示唆されている。
5.28~30節
Luk 4:28
これを聞くと、会堂にいた人たちはみな憤りに満たされ、
Luk 4:29
立ち上がってイエスを町の外に追い出した。そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした。
Luk 4:30
しかし、イエスは彼らのただ中を通り抜けて、去って行かれた。
(1)ナザレの人たちは、激怒した。
①自分たちのことを言われている。
②ユダヤ人よりも異邦人が優遇されるのは、許せない。
③会堂にいた人たちがみな立ち上がり、イエスを町の外に追い出した。
④丘の崖の縁から、イエスを投げ落とそうとした。
*今も、「突き落としの崖」と言われる場所がある。
(2)イエスの脱出
①逃れた方法でなく、死ななかったという事実の方が重要である。
②十字架の時がまだ来ていなかった。
③また、イエスが死ぬ場所は、ナザレではない。
結論
1.ナザレでの伝道の意味
(1)ナザレで起こったことは、イスラエル全体でも起こる。
①イエスに起こることの「ドレスリハーサル」である。
②ナザレは、2度にわたってイエスを拒否する。
③「突き落としの崖」の事件は、イエスの死を予感させる。
(2)ナザレで起こったことは、メシア預言の成就である。
①イザ61:1~2a
(3)ナザレで起こったことは、イエスの公生涯のパラダイムとなっている。
①イスラエルはイエスをメシアとして受け入れない。
②そこで、異邦人が救いに招かれる。
*これは、教会時代に成就する。
*メシア的王国の成就は、再臨以降に持ち越された。
2.ルカ4:21と24:44の関係
(1)ルカ4:21
Luk 4:21
イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」
(2)ルカ24:44
Luk 24:44
そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」
(3)ルカの意図
①4:21は、公生涯の始めに、イエスが預言されていたメシアであることを示す。
②24:44は、公生涯の終わりに、イエスが約束のメシアであることを示す。
③ルカは、公生涯全体が、メシア預言の成就であることを示そうとしている。
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