私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ルカの福音書(12)イエスの成長2:39~52
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イエスの成長について学ぶ。
ルカの福音書 12回
イエスの成長
ルカ2:39~52
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエス誕生後の40日間の出来事
*8日目のイエスの割礼
*40日目のマリアの清め
*シメオンとアンナの祝福のことば
②イエスの成長
*ナザレでの子ども時代
*12歳でのエルサレム訪問
*公生涯までの生活
2.アウトライン
(1)12歳までのイエス(39~40節)
(2)12歳でのエルサレム訪問(41~50節)
(3)12歳以降のイエス(51~52節)
3.結論
(1)メシアの受肉
(2)エルサレムの中心性
イエスの成長について学ぶ。
Ⅰ.12歳までのイエス(39~40節)
1.39節
Luk 2:39
両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰って行った。
(1)両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げた。
①ヨセフとマリアは、敬虔な人たちであった。
②彼らは、ガリラヤの町ナザレに帰って行った。
③そこが、イエスが育つ町となる。
(2)ルカが省略したことがいくつかある。
①ヘロデ大王による迫害
②エジプトへの逃避行とナザレへの帰還(マタ2:13~21)
③この段階で「メシアの拒否」を示すことは、ルカの目的ではない。
④ルカでは、メシアが初めて拒否されるのは、ナザレの会堂においてである。
*イエスによるメシア宣言(ルカ4:16~30)
*この出来事は、メシアの公生涯のパラダイムになる。
*同胞から拒否されたお方が、異邦人の救い主となる。
2.40節
Luk 2:40
幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった。
(1)バプテスマのヨハネとの対比(ルカ1:80)
Luk 1:80 幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に現れる日まで荒野にいた。
(2)イエスの成長記録
①肉体的成長
*普通の赤子が通過する段階をすべて通過された。
②知的成長
*知恵に満ちてとは、体験した知識を適用する能力があったということ。
③霊的成長
*神の恵みがその上にあった。
*ここでは、神の寵愛を受けていたという意味。
(3)成長記録の要約
①原罪のない人間性が、どのように成長するかの例証がここにある。
②後にも先にも、これが唯一の完ぺきな成長の例である。
③12歳までのイエスに関する記述は、これだけである。
④ルカの目的は、イエスの公生涯を記すことにある。
⑤イエスの知恵については、次の箇所で具体的な解説が用意されている。
Ⅱ.12歳でのエルサレム訪問(41~50節)
1.41節
Luk 2:41
さて、イエスの両親は、過越の祭りに毎年エルサレムに行っていた。
(1)3つの巡礼祭(成人男子がエルサレムに上って祝う祭り)
①過越の祭り
②七週の祭り(五旬節、ペンテコステ)
③仮庵の祭り
(2)離散以降、ディアスポラのユダヤ人たちにはこれを実行するのが困難になった。
①年に一度、過越の祭りにはエルサレムに上る。
②あるいは、数年に一度、生涯に一度など、経済状況に応じて異なる。
③生涯、一度もエルサレムに上らないユダヤ人も多くいた。
(3)パレスチナのユダヤ人たち
①過越の祭りの優位性が認識されていた。
②少なくとも、年に一度、過越の祭りの時にエルサレムに上るように努力した。
③ヨセフとマリアは、過越の祭りには毎年エルサレムに上った。
④マリアは必ずしも行く必要はなかったが、信仰の表現としてそれを実行した。
⑤紀元1世紀のユダヤ人社会では、婦人の参加は一般的な習慣になっていた。
⑥ちなみに、エルサレム以外で行う過越の祭りは、モーセの律法違反である。
2.42~43a節
Luk 2:42
イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習にしたがって都へ上った。
Luk 2:43a
そして祭りの期間を過ごしてから帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。
(1)12歳という年齢
①ユダヤ人の少年が父の職業を学び始める年齢である。
②13歳になると、神の前で成人した男子と見なされるようになる。
「父親は、13歳までは息子に神について話すが、バール・ミツバ以降は、神に息
子について話す」
③バール・ミツバという成人式の習慣は、後代のものであろう。
④イエスと預言者サムエルの対比(1サム2:26)
1Sa 2:26 一方、少年サムエルは、【主】にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。
⑤1サム3:10
1Sa 3:10
【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
*ユダヤ人史家ヨセフスは、これを、サムエル12歳の時と解説している。
(2)両親は、イエスをエルサレムに連れて行った。
①これが初めてなのかどうか、分からない。
②12歳でのエルサレム訪問は、イエスの生涯で画期的な経験となった。
(3)両親は、祭りの期間を過ごしてから、帰路に就いた。
①過越の祭りは1日の祭りである。
②それに続いて、7日間の種なしパンの祭りがある。
③この時代、合計8日間を「過越の祭り」や「種なしパンの祭り」と呼んだ。
④ユダヤ教では、巡礼者は最低2日間エルサレムに留まるように命じられた。
⑤8日間エルサレムにとどまったのは、彼らの信仰表現である。
(4)42~43a節の主動詞は、「とどまった」である。
①訳文の比較
「少年イエスはエルサレムにとどまっておられた」(新改訳2017)
「少年イエスはエルサレムに居残っておられた」(口語訳)
「少年イエスはエルサレムに残っておられた」(新共同訳)
②これは、両親への意図的反抗ではない。
③潜在意識の中にあった神殿や礼拝への興味が、少年イエスを捉えた。
3.43b~47節
Luk 2:43b
両親はそれに気づかずに、
Luk 2:44
イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを進んだ。後になって親族や知人の中を捜し回ったが、
Luk 2:45
見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。
Luk 2:46
そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
Luk 2:47
聞いていた人たちはみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
(1)当時の巡礼者たちは、安全のためにグループ(キャラバン)を作って移動した。
①両親は、イエスがグループの中にいるものと思い込んでいた。
②自立するのは、12歳の少年には良いことである。
(2)3日間の動き
①1日目に、エリコまで行き、そこでイエスがいないことを発見した。
②2日目に、エルサレムまで引き返した。
③3日目に、イエスを宮で発見した。
*最初は、劇場、商店、見世物小屋、大通りなどを探したであろう。
(3)イエスの状態
①教師たちの真ん中に座っていた。
*教師たちとは、律法学者たちのことである。
*当時は、ソロモンの廊でラビたちが講話を披露していた。
②イエスは、教師たちの話を聞いたり、質問したりしていた。
*ユダヤ式教授法は、質問を多用する。
*教師が生徒に質問したり、生徒に質問させたりする。
*イエスの質問に教師たちは答えられなかったであろう。
③イエスは、ユダヤ的教授法を多用された。
*マタ22:43~45
Mat 22:43 イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは御霊によってキリストを主と呼び、
Mat 22:44
『主は、私の主に言われた。/「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。/わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするまで」』/と言っているのですか。
Mat 22:45 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」
(4)聞いていた人々の状態
①イエスの知恵と答えに驚いていた。
②40節の「知恵に満ちていった」が実証された。
③イエスは、天の父から霊的訓練を受けておられた。
4.48節
Luk 2:48
両親は彼を見て驚き、母は言った。「どうしてこんなことをしたのですか。見なさい。お父さんも私も、心配してあなたを捜していたのです。」
(1)驚きの理由は、イエスの奉仕の内容を本当の意味で理解していないからである。
①彼らは、啓示のことばを聞いてはいた(天使、羊飼いたち、シメオンなど)。
②しかし、本当のことは理解できていなかった。
③ナザレに帰還して以降、12年間の平凡な日常生活があった。
5.49~50節
Luk 2:49
すると、イエスは両親に言われた。「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」
Luk 2:50
しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。
(1)これは、ルカの福音書に出てくるイエスの最初のことばである。
(例話)劇作家は、最初のセリフを推敲して書いている。
①このことばは、メシアの公生涯の方向性を決するものである。
②私たちにとっても、口にすべきことばである。
(2)訳文の比較
「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然である
ことを、ご存じなかったのですか」(新改訳2017)
「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご
存じなかったのですか」(口語訳)
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だと
いうことを、知らなかったのですか」(新共同訳)
①これは、ほとんど地上の両親との断絶宣言に近い。
②これは、少年イエスの心に育ったメシアとしての使命意識の表明である。
③「父の家」は「父の仕事」とも訳せる(KJVはそう訳している)。
④12歳のイエスは、天の父からも職業訓練を受け始めていた。
⑤イエスが神を「父」と呼んだ時点から、新しい時代の幕開けとなった。
(3)両親は、イエスのことばの意味を理解できなかった。
①弟子たちも、見たり聞いたりしていたが、本当のことは理解できていなかった。
②すべてのことが腑に落ちるのは、復活を目撃して以降である。
③ペンテコステ以降、聖霊が彼らを真理へと導いた。
Ⅲ.12歳以降のイエス(51~52節)
1.51節
Luk 2:51
それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
(1)父なる神への従順と、地上の両親への従順の両立。
①イエスがエルサレムにとどまったのは、反抗的な動機からではないことを説明。
②両親への従順は、モーセの律法が要求する責務である。
③イエスは、大工としての職業を身に付けた。
④と同時に、メシアとして父なる神から訓練を受けた。
(2)マリアの内省
①ルカ2:19
Luk 2:19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
②ルカ2:51b
Luk 2:51b 母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
2.52節
Luk 2:52
イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。
(1)両親やラビたちよりも律法を理解していた少年が、約18年間の時を過ごす。
①肉体的成長に正比例して知恵を身に付けた。
②神と人に愛された。理想的な成長過程が描かれている。
③これ以外の情報は、何も書かれていない。
④次に登場するのは、およそ30歳になってからである。
結論
1.メシアの受肉
(1)神の子が人となられた。
(2)ルカは、原罪を宿さない人間の赤子の成長を記録した。
*これは、人類の歴史上、初めてのことである。
(3)イエスは、人間が通過する成長過程をすべて経験された。
*肉体と魂は、徐々に成長した。
*人間イエスは、自我に目覚めて行かれた。
*12歳のイエスは、神の子としての自我に目覚めた。
(4)イエスは、私たちに同情してくださる大祭司となられた。
2.エルサレムの中心性
(1)ルカの福音書は、エルサレムの神殿での出来事から始まった。
(2)少年イエスがメシア性に目覚めたのは、エルサレムの神殿である。
(3)イエスはエルサレムでメシアとしてデビューされる(ヨハ2章)。
(4)メシアは、エルサレムで十字架に付く。
(5)メシアは、エルサレムで復活する。
(6)エルサレムから地の果てに福音が伝えられる。
(7)しかし、終末の出来事は、エルサレムを中心に起こる。
①大患難時代
②メシアの再臨
③メシア的王国
(8)エルサレムが国際紛争の中心になるのは、偶然ではない。
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