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ルカの福音書(6)ヨハネの誕生1:57~66
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ヨハネの誕生について学ぶ。
ルカの福音書 06回
ヨハネの誕生
ルカ1:57~66
1.はじめに
(1)前回は、「マリアの賛歌」について学んだ。
(2)文脈としては、ヨハネとイエスの対比が続いている。
①誕生の告知
②実際の誕生物語
③人々の喜び
(3)この対比によって、ヨハネよりもイエスのほうが偉大であることが示される。
(4)ヨハネが誕生する。
①赤子の誕生を祝うために、私たちもザカリヤの家に行こうではないか。
2.アウトライン
(1)赤子の出産(57~58節)
(2)割礼と命名(59~64節)
(3)人々の反応(65~66節)
3.結論 :ザカリヤの信仰から学ぶ。
ヨハネの誕生について学ぶ。
Ⅰ.赤子の出産(57~58節)
1.57節
Luk 1:57 さて、月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。
(1)ヨハネの誕生物語の中には、奇跡的な要素が何もない。
①当時流布していたユダヤ人の聖人伝とは本質的に異なる。
②特に、ノアとモーセの誕生物語とは異なる。
*誕生時に部屋が明るく輝いた。
*赤子のノアがしゃべり出した。
③これは、短くて簡潔な記述である。
*イエスの優位性を証明している。
(2)エリサベツは、「月が満ちて」男の子を産んだ。
①創21:2~3
Gen 21:2 サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
Gen 21:3 アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。
②ルカ2:6~7
Luk 2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
Luk 2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2.58節
Luk 1:58
近所の人たちや親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをかけてくださった
ことを聞いて、彼女とともに喜んだ。
(1)ユダヤ人の習慣によって、近所の人たちや親族がお祝いに集った。。
①ルカ15:5~6
Luk 15:5 見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、
Luk 15:6 家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。
②息子の誕生、割礼、命名などは、祝いの典型的な例である。
③近所の人々や親族は、彼女とともに喜んだ。
④ちなみに、イエス誕生の際には、羊飼いたちが祝いに駆けつける。
(2)文法的考察
①「主がエリサベツに大きなあわれみをかけてくださった」
*主の業は終わっている(アオリスト形)。
②「彼女とともに喜んだ」
*喜びは共有され、継続している(未完了形)。
Ⅱ.割礼と命名(59~64節)
1.59節
Luk 1:59 八日目になり、人々は幼子に割礼を施すためにやって来た。彼らは幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、
(1)ユダヤの伝統では、隣人たちは誕生から割礼まで、毎晩集った。
①つまり、8日間集ったということである。
(2)ザカリヤとエリサベツは、律法の命令を忠実に守った。
①創21:4
Gen 21:4 そしてアブラハムは、神が命じられたとおり、生後八日になった自分の子イサクに割礼を施した。
②男子の誕生は、家系が継続するための必須条件であった。
③幼子は、アブラハム契約のしるしとして、8日目に割礼を受ける。
④当時は、父親が息子に割礼を施していた。
⑤イエスも8日目に割礼を受けた(ルカ2:21)。
Luk 2:21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子の名はイエスとつけられた。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。
⑥パウロも8日目に割礼を受けた(ピリ3:5)。
Php 3:5 私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、
⑦この習慣は、今も続いている。モヘルと呼ばれる専門のラビが執刀する。
(3)割礼時の命名
①誕生直後の命名が普通であったが、ここでは割礼時の命名になっている。
②ローマ人たちは、誕生後8日目(息子)か9日目(娘)に命名していた。
③ギリシア・ローマ文化の影響がユダヤ人たちに及んでいた可能性がある。
④長男は祖父の名を受け継ぐのが慣例であった。
⑤例外的に、父の名を受け継ぐこともあった。
*その場合は、「ザカリヤ・ベン・ザカリヤ」となる。
2.60節
Luk 1:60 母親は「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。
(1)最終的な決定権は、父親にある。
①ここでは、母親(エリサベツ)が口をはさんでいる。
(2)彼女は、ザカリヤという名を強く拒んだ。
①「いいえ」は、非常に強い否定の言葉「ウーキ」である。
②「名はヨハネとしなければなりません」
③夫ザカリヤから筆談で、天使の御告げについて聞かされていたのである。
2.61~62節
Luk 1:61 彼らは彼女に「あなたの親族には、そのような名の人は一人もいません」と言った。
Luk 1:62 そして、幼子にどういう名をつけるつもりか、身振りで父親に尋ねた。
(1)近所の人たちや親族は、それに反対した。
①これは、母親の意見である。
②親族にそのような名の人がいない。
*これは、系図を意識したことばである。
*さらに、先祖への敬意を表したことばである。
③彼らは、善意で反対しているのである。
(2)そこで人々は、父親に問いかけた。
①身振り手振りで尋ねた。
②ザカリヤは依然として、聾唖状態にあったことが分かる。
3.63節
Luk 1:63 すると彼は書き板を持って来させて、「その子の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。
(1)ザカリヤは、「その子の名はヨハネ」と書いた。
①書き板とは、木の板にロウを被せたもの。通常は、鉄のペンを使用した。
②ザカリヤは、エリサベツが提案した名と同じ名を書いた。
③これは、天使から命じられた名前である。
④それを見て、人々は驚いた。
4.64節
Luk 1:64 すると、ただちにザカリヤの口が開かれ、舌が解かれ、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
(1)ザカリヤの舌が直ちに癒された。
①彼は9か月間聾唖状態にあったが、それがたちどころに癒された。
②彼が最初にしたことは、神をほめたたえることである。
③人々にとっては、これはヨハネと命名したこと以上に驚きであった。
(2)先行例として、エゼキエルの体験がある(エゼ33:21~22)。
Eze 33:21 私たちが捕囚となって十二年目の第十の月の五日、エルサレムから逃れた者が私のもとに来て、「都は占領された」と言った。
Eze 33:22
その逃れた者が来る前の夕方に、【主】の御手が私の上にあり、朝になって彼が私のもとに来る前に、私の口は開かれた。こうして私の口は開かれて、もはや私は黙っていなかった。
①エゼキエルは、7年間沈黙していた。
②彼の預言(エルサレム崩壊)は成就した。
③エルサレム崩壊の知らせを告げる者が来る前の夕方に、彼の口は開かれた。
④エゼキエルは、約束の地に残された者たちに向かって預言を語り始めた。
Ⅲ.人々の反応(65~66節)
1.65節
Luk 1:65 近所に住む人たちはみな恐れを抱いた。そして、これらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体に語り伝えられていった。
(1)人々は、みな恐れを抱いた。
①これは恐怖心ではなく、畏怖の念である。
②この子は、並の子ではないという噂が急速に広がった。
③ユダの山地全体(エルサレム近郊)に広がり、人々はそれを話題にした。
2.66節
Luk 1:66
聞いた人たちはみな、これらのことを心にとどめ、「いったいこの子は何になるのでしょうか」と言った。主の御手がその子とともにあったからである。
(1)人々は、この子の将来を想像し、大きな期待を持った。
①人々は、主の御手がその子とともにあることを確認した。
(2)約30年後にヨハネが奉仕を開始したとき、人々はこの物語を覚えていた。
①マタ3:5~6
Mat 3:5 そのころ、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から、人々がヨハネのもとにやって来て、
Mat 3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
結論:ザカリヤの信仰から学ぶ。
1.不信仰と信仰の対比
(1)不信仰のゆえに舌が動かなくなった。
①神殿から出て来たとき、人々を祝福する祈りを唱えることができなかった。
(2)信仰のゆえに舌が自由になった。
①真っ先に、神をほめたたえた。
2.伝統と新しい道の対比
(1)伝統に従えば、祖父か父の名を息子につけるのは当然のことである。
①近所の人たちや親族は、善意のゆえにそう勧めた。
(2)ザカリヤは、伝統を捨て、新しい道を選んだ。
①ヨハネとは、「ヤハウェは恵み深い」という意味である。
②ヨハネの誕生は、恵みの時代の到来を告げている。
③それゆえ、新しい名前が必要である。
④恵みの時代は、律法の時代とは断絶した新しい時代である。
(3)信仰の父アブラハムは、伝統を捨て、新しい道を選んだ。
①ヘブ11:8
Heb 11:8
信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。
(4)キリストを信じることは、人生の中に新生という断絶をもたらすことである。
①2コリ5:17
2Co 5:17
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
②クリスチャンとは、古い伝統を捨てて、新しい伝統を作る人である。
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