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ルカの福音書(4)マリアのエリサベツ訪問1:39~45
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マリアのエリサベツ訪問について学ぶ。
ルカの福音書 04回
マリアのエリサベツ訪問
ルカ1:39~45
1.はじめに
(1)前回は、「イエス誕生の告知」について学んだ。
①マリアにしるしが与えられた。
②親類のエリサベツは、妊娠6ヶ月になっている。
③ルカ1:38
Luk 1:38
マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。
④ルカ1:39
Luk 1:39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
⑤マリアの妊娠は、38節と39節の間に起こった。
⑥そのマリアが、エリサベツに会いに行く。
⑦二人の無名の女性の出会いによって、人類救済の歴史が大きく動く。
⑧小さな始まりを決して軽視してはならない。
2.アウトライン
(1)マリアのあいさつ(39~42節a)
(2)エリサベツの応答(42b~45節)
3.結論
(1)神の母
(2)聖霊の満たし
マリアのエリサベツ訪問について学ぶ。
Ⅰ.マリアのあいさつ(39~42節a)
1.39~40節
Luk 1:39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
Luk 1:40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
(1)マリアに与えられた「しるし」は、エリサベツの妊娠であった。
①マリアは、急いでユダの山地の町に住むエリサベツを訪問した。
*ザカリヤとエリサベツは、「山地にあるユダの町」に住んでいた。
*紀元6世紀以降、この町はエン・カレムと特定されている。
②ナザレからは、徒歩で4日前後かかる(距離は約160キロ)。
③街道に強盗が出没したので、ひとり旅は非常に危険である。
④同行者がいたか、キャラバン隊を見つけたかのいずれかであろう。
⑤でなければ、家族はこの旅を許可しないはずである。
(ILL)聖地旅行でのエン・カレム訪問
(2)訪問の理由は書かれていないが、推測することはできる。
①ナザレから一時的に逃れるため
②不安定な時期を平安に過ごすため
③天使から聞いた「しるし」を確認するため
④親戚のエリサベツから、慰めと励ましを受けるため
(3)マリアは、ザカリヤの家に言って、エリサベツにあいさつをした。
①ザカリヤは、依然として耳が聞こえず、口もきけなかった。
*不信仰へのさばきの期間が続いていた。
②エリサベツは、少なくても妊娠6ヶ月目に入っていた。
③「あいさつ」とは、平安を祈る言葉である。「シャローム」
④その時、超自然的なことが2つ起こった。
2.41~42節a
Luk 1:41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
Luk 1:42a そして大声で叫んだ。
(1)子が胎内で躍った。
①躍るとは、喜びの表現である。
②ヨハネは、母の胎にあるときからメシアの先駆者としての奉仕をしている。
③ルカ1:15
Luk 1:15 その子は主の御前に大いなる者となるからです。彼はぶどう酒や強い酒を決して飲まず、まだ母の胎にいるときから聖霊に満たされ、
④すでにマリアの胎内に子が宿っているのが分かる。
⑤ヨハネは、マリアの胎内に宿るイエスについて証言したのである。
(2)エリサベツは、聖霊に満たされ、大声を上げた。
①胎児とその母は、イエスがメシアであることを認識する最初の人となった。
②彼女は、聖霊に満たされ、大声を上げた。
*満たされるとは、聖霊の支配のことである。
*大声で語るとは、預言的言葉を語ることである。
Ⅱ.エリサベツの預言的言葉(42b~45節)
1.42節b
Luk 1:42b 「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
(1)エリサベツの叫びは、ヘブル的対句法で記されている。
①マリアの賛歌もまた、非常にヘブル的である。
②「女の中で最も祝福された方」
*ヘブル的には、「非常に祝福されている」という意味である。
*当時は、女性の偉大さは、どのような子を産んだかによって決まった。
③「胎の実も祝福されている」ので、「女の中で最も祝福された方」である。
*マリアは、メシアを宿す特権に与った。
2.43節
Luk 1:43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。
(1)焦点はマリアではなく、胎内の子に合わせられている。
①マリアは、彼女自身の偉大さではなく、胎内の子のゆえに尊い存在である。
(2)「私の主の母」
①エリサベツはマリアの胎内に宿っている子を「私の主」と認識した。
*エリサベツは、天使ガブリエルが伝えた内容を完全に理解していた。
②イエスは主であるという認識が拡がるのは、聖霊降臨以降のことである。
③使2:36
Act 2:36
ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
(3)マリアは「主の母」である。
①エリサベツは、妬み心から言っているのではない。
②彼女には、マリアの胎内に宿る子が自分の救い主であるという喜びがある。
③エリサベツは、自分は「主の母」の訪問を受けるに値しないと考えた。
④ここでは、バプテスマのヨハネに対するイエスの優位性が表現されている。
(4)主とは、「キュリオス」である。
①ユダヤ人には、「メシア」という言葉の方がより重要である。
*ユダヤ人たちは、メシアの到来を待ち望んでいた。
②しかし、ギリシア人には「キュリオス」という言葉の方が重要である。
*異邦人たちは、カイザルのことを「キュリオス」と呼んでいた。
③七十人訳聖書では、ヤハウェというヘブル語がキュリオスと訳されている。
④共観福音書では、「キュリオス」は166回出て来る(95回がルカ)。
⑤ルカは、イエスを指す言葉として「キュリオス」を用いた。
4.44~45節
Luk 1:44 あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
Luk 1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」
(1)エリサベツの子は、胎児の時からメシアの先駆者として働いている。
①その子は、喜んで使命を果たしている。「喜んで躍りました」
②成人したヨハネが語る言葉(ヨハ3:29)
Joh 3:29
花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。
(2)マリアは「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人」である。
①それゆえマリアは、幸いである。
②ザカリヤとの比較(ルカ1:20)
Luk 1:20
見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです。」
③マリアは、疑いを抱きながらエリサベツを訪問したのではない。
④彼女は、天使が告げた内容は必ず実現すると信じた。
⑤そしてエリサベツは、マリアの信仰を賞賛した。
結論
1.神の母
(1)カトリック教会は、マリアを「神の母聖マリア」と呼ぶ。
①確かに、マリアはイエスの母である。
②また、イエスは人間性と同時に神性を持っている。
③だからと言って、マリアが「神の母」であるとは言えない。
(2)聖書には、「神の母」という言葉は出て来ない。
①神に母があると考えるのは、教理的に問題である。
②神は永遠の存在である。
③しかしマリアは、母の胎に宿った時から存在し始めた。
④神がマリアから誕生したような印象を与える言葉は、危険である。
⑤マリアは、イエスの受肉という出来事において用いられた器に過ぎない。
⑥それ以上にマリアを崇めることは、非聖書的である。
2.聖霊の満たし
(1)聖霊の満たしとは、聖霊の支配下に置かれることである。
①ペンテコステ以前は、信者は特定の目的のために聖霊の支配を受けた。
②ペンテコステ以降は、信者の内に聖霊が継続して住まわれるようになった。
③エリサベツは、聖霊の導きによって預言的言葉を語った。
(2)ルカ1章で、3人の人物が聖霊に満たされている。
①バプテスマのヨハネ(1:15)
Luk 1:15 その子は主の御前に大いなる者となるからです。彼はぶどう酒や強い酒を決して飲まず、まだ母の胎にいるときから聖霊に満たされ、
②エリサベツ(1:41)
Luk 1:41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
③ザカリヤ(1:67)
Luk 1:67 さて、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言した。
(3)ルカ1章と2章で、5つの賛歌が登場する。
①エリサベツの預言的言葉(1:42~45)
②マリアの賛歌(マグニフィカート)(1:46~55)
③ザカリヤの賛歌(ベネディクトゥス)(1:68~79)
④天使たちの賛歌(グロリア・イン・エクセルシス・デオ)(2:14)
⑤シメオンの賛歌(ヌンク・ディミティス)(2:29~30)
(4)エペ5:18
Eph 5:18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
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