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30日でわかる聖書 マタイの福音書(9)
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この章の5種類のパリサイ人との論争は、イエスのメシア性を証明している。
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「マタイ9章」
イントロ:
1. 第41回聖地旅行から2日前に帰国した。
(1) 今回は、アナポリスでの中東和平国際会議の最中。二国共存への交渉を開始
(2) 「ユダヤ人はイエスの裁判、十字架、復活のことをどう思っているか」との問い。
(3) イスラエルが置かれている状況を理解しない旅行者の怒り。
(4) 以上のことは、すべて紀元70年のエルサレムの滅びと関係がある。
(5) さらに遡れば、イエスのメシア性を拒否したことに根本的な原因がある。
2. 8章では5種類の癒しを取り上げて、底流に光を当ててイエスのメシア性を証明した。
3. 9章では5種類のパリサイ人との論争を取り上げ、イエスのメシア性を証明する。
(1)中風の人の癒し
(2)マタイの召命
(3)断食論争
(4)会堂管理者の娘の蘇生(長血の女の癒し)
(5)ふたりの盲人の癒し
(6)悪霊につかれた口の利けない人の癒し
4. メッセージのゴール
(1)イエスを拒否した結果、ユダヤ人は取り返しのつかない悲劇を招いた。
(2)今も、イエスにどのような応答をするかで、人の運命は決まる。
(3)このメッセージによって、イエスに対する信頼を深めていただきたい。
マタイ9章に記された5種類の、パリサイ人との論争は、イエスのメシア性を証明している。
Ⅰ.中風の人の癒し
1. 場所
(1) カペナウム。ガリラヤの中心都市。
(2) なぜエルサレムから遠く離れたこの町が注目されるのか。メシア運動の中心地。
2. 人物
(1) 律法の専門家たち(ルカ5:17~26)。
(2) 理由は、イエスがメシアであるかどうかを確かめるため。
(3) イエスは、メシアにしかできない癒し(レプラ患者の癒し)を行われた。
(4) 宗教的な指導者たちは、イエスを観察するためにそこに来ていた。
(5) メシア運動評価の第一段階(観察の段階)。
(6) バプテスマのヨハネの時よりも、盛大。観察の最終段階。
3. 状況
(1) 中風の人が運ばれてきたが、戸口には律法の専門家たちがいた。
(2) そこで4人の友人たちは、屋根をはがして、中風の人をイエスの前に降ろした。
(3) イエスは「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と宣言された。
(4) 通常は癒しが先行するが、ここでは、罪の赦しの宣言が先。
4. 論争
(1) 神への冒涜か。ヘブル語では受動態。レビ記4章~6章のみ。メシアの業を指す。
(2) イエスが単なる人間か、メシアかで結論は異なる。
(3) 「観察の段階」。彼らは、「心の中で」論じた。
(4) 彼らの理屈を見抜いたイエスは、質問をした。質問で答えるのはラビ的方法。
(5) 「『あなたの罪は赦された』と、『起きて歩け』と、どちらがやさしいか」
① 結果が要求されること(体の癒し)を宣言するのは難しい。
② イエスは困難な方を行い、より易しいことが有効であることを示した。
③ これもまた、ラビ的教授法。
(6) 中風の人は、ただちに床をたたんで、神をあがめながら家に帰った。
(7) 「人の子」とは、イエスのメシア宣言。
(8) メシア運動は「観察の段階」から「審問の段階」に入る。
5. 適用
(1) 私たちが経験する最も恐ろしいことは、死ではなく、その後に来る。
(2) 信仰。罪を赦す権威。これがキーワード。
Ⅱ.マタイの召命(マタイの証し)
1. 取税人
(1) 当時、取税人は同胞から忌み嫌われていた。
(2) その職業自体が、ユダヤの律法に反するもの。
(3) 取税人は、ローマの手先として働く売国奴。同胞を搾取することで裕福に。
(4) 取税人は、ユダヤの律法によって共同体の交わりから追放された。
(5) 取税人には、所得税を取り立てる取税人と、通行税を取り立てる取税人があった。
(6) 前者よりも後者の方が、より嫌われていた。マタイは、後者。
2. 召命
(1) 「わたしについて来なさい」
(2) ローマ皇帝よりも権威ある方。すぐに、財産も地位も捨てて従った。
(3) 漁師から弟子になった者たちよりも、犠牲が大きい。
(4) イエスの7番目の弟子が誕生。
ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとナタナエル
3. マタイが催した宴会
(1) イエスに従った瞬間、マタイは霊的に新生した。彼の誕生パーティー。
(2) その喜びの結果が、宴会となって表れた。
(3) 出席者
①律法では、取税人が交際を許されたのは、取税人と罪人(娼婦)だけ。
②マタイがこの宴会に招いたのは、当然、取税人と罪人だけ。
(4) そこに、イエスとその弟子たち(6人)も出席した。
4. 論争の内容
(1) パリサイ人たちは、メシアがこのようなことをするはずがないと迫る。
①メシア運動の吟味は、「観察の段階」から「審問の段階」へと移行。
②パリサイ人たちは、言葉に出してイエスを問いただす。
(2) イエスは3つの面から回答。
①「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」
②「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」
「いけにえ」とは、外側に出た行為のこと(律法主義的生活)。
「あわれみ」とは、内面的なもの(行為の背後にある動機)
③パリサイ人たちは律法主義的であったが、同情心や愛は持っていなかった。
(3) 「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」
①パリサイ人たちは、自分のことを「正しい人」と考えていた。
②メシアは、自らが罪人であることを認めている人を招くために来た。
Ⅲ.断食論争
1. 背景
(1) バビロン捕囚という悲劇は、ユダヤ人たちに大きな反省を迫った。
(2) 帰還後、エズラは613のモーセの律法を熱心に解説した。
(3) 次の世代の指導者たちは、その解説にさらに種々の命令を付け加えた(垣根)。
(4) 4百年の言い伝えが「口伝律法」となり、聖書と同じ権威を持つようになった。
(5) パリサイ人たちは、口伝律法に基づいて、週に2回(月曜と木曜)断食をした。
2. 論争
(1) 断食しないで飲み食いしているイエスとその弟子の姿は、実に不愉快。
(2) 「イエスがメシアであるなら、口伝律法を破るはずがない」
(3) イエスは、3つの答えを与えている。
①今は、喜びの時だから、断食する必要はない。
* 花婿がいるのに、花婿につき添う友に断食させることはできない。
* しかし、花婿が殺される時には、断食する。預言的な要素。
②だれも、新しい布切れで古い着物の継ぎをするような愚かなことはしない。
* 「新しい着物」とは、神の国の実質である。
* 「古い着物」とは、当時のユダヤ教、つまり、パリサイ的ユダヤ教。
* 両者は、全く異質のもの。組み合わせることはできない。
③新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしない。
* 当時は、やぎの皮を皮袋として用いていた。
* 新しいぶどう酒は、新しい皮袋にというのが、当時の常識。
* 醗酵途上の新しいぶどう酒は、古い皮袋を張り裂いてしまう。
* 新しいぶどう酒とは、神の国の実質、聖霊が与えるいのち。
* 古い皮袋とは、言い伝えや伝統を重視するパリサイ的ユダヤ教。
3. 適用
(1) イエスは、口伝律法をモーセの律法と同等に扱うパリサイ的ユダヤ教を批判。
(2) 現代のメシアニック・ジューの葛藤。
①モーセの律法や、ユダヤ教の伝統を自発的に実行するのはよい。
②それが、信者の義務として強制されるなら、それは律法主義。
(3) 私たちの信仰生活の中に、パリサイ的要素はないか。
①アルコール飲料、趣味、日曜礼拝
②ユダヤ教の場合は律法の内容は同一。
③キリスト教の場合は、教派、教団により異なる。
Ⅳ.ふたりの盲人の癒し
1. 「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」
(1) メシアへの信仰
(2) 個人的必要
2. イエスは、公の場では癒していない。
(1) 国の指導者たちが拒否しているから。
3. 私的場では癒しを行う。
(1) 信仰を確認。
(2) 「あなたがたの信仰のとおりになれ」
(3) 沈黙を要求したが、これは聞き入れられなかった。
Ⅴ.悪霊につかれた口の利けない人の癒し
1. 当時の悪霊の追い出し
(1) 名前を聞き出して、その名を呼んで追い出す。
(2) 口の利けない悪霊の場合は、名を聞き出せない。
(3) それは、メシアだけが行う奇蹟である。
(4) 第一のメシア的奇蹟は、レプラ患者の癒し。
2. イエスはその奇蹟を行った。悪霊につかれた二人の人
(1) 口を利けない人がものを言った。
(2) 群集は、驚嘆した。つまり、イエスはメシアであると考えた。
3. パリサイ人たちは、イエスがメシアであることを認めたくなかった。
(1) イエスの癒しの力は「悪霊どものかしら」から来ていると説明した。
(2) もし人が、聖霊の力を悪霊の力だと言い張るなら、それは聖霊への冒涜。
結論
1. 5種類の論争を見てきた。
2. パリサイ的目を離れてイエスを見るなら、イエスがメシアであることが分かる。
3. 私たちの前には、2つの道がある。
(1) イエスを信じるなら、罪の赦しを得る。これを救いという。
(2) イエスを拒否するなら、恐ろしい運命が待っている。
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