私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
申命記(5)カデシュ・バルネアからセイル山までの移動
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カデシュ・バルネアからセイル山までの移動について学ぶ。
申命記5回
「カデシュ・バルネアからセイル山までの移動」
―不信仰に下る裁き―
申命記2:1~8
1.はじめに
(1)イスラエルの民は、正しい世界観と人生観を持つ必要があった。
①自分たちは、どこから来たのか。
②自分たちにカナンの地を与えると約束してくれたのは、誰か。
③カナンの地で生きる目的は何か。
(2)申命記のアウトライン(宗主権契約の形式)
①第1の説教:歴史の回顧(1:5~4:43)
②第2の説教:契約に基づく義務(4:44~26:19)
③第3の説教:祝福と呪いの宣言(27:1~29:1)
④第4の説教:契約条項のまとめ(29:2~30:20)
(3)2章のアウトライン
①カデシュ・バルネアからセイル山まで(2:1~8)
②モアブとアンモンを迂回(2:9~25)
③ヘシュボンの王シホンに対する勝利(2:26~37)
2.メッセージのアウトライン
(1)新しい出発(2:1~3)
(2)エサウの子孫への配慮(2:4~6)
(3)神の守り(2:7~8)
3.結論
(1)申2:7と詩23:1の対比
(2)エサウに対する約束から学ぶ教訓
カデシュ・バルネアからセイル山までの移動について学ぶ
Ⅰ.新しい出発(2:1~3)
1.1節
それから、私たちは向きを変え、【主】が私に告げられたように葦の海の道を荒野に向かって旅立ち、長らくセイル山の周りを移動していた。
(1)ここから、モーセによる勧告のメッセージではなく、歴史の記録に入る。
①主語の「私たち」は、これが歴史的出来事の記録であることを示している。
(2)「私たちは向きを変え、【主】が私に告げられたように葦の海の道を荒野に
向かって旅立ち、」
①申1:40の命令
あなたがたは向きを変え、葦の海の道を通って荒野に向かって旅立て。」
②カデシュ・バルネアから南に向かう。
③紅海まで行き、次に東に向かう。
(3)「長らくセイル山の周りを移動していた」
①申1:46には、「長い期間」という言葉があった。
こうしてあなたがたは、実際にあなたがたがとどまったとおり、長い期間カデシュにとどまった。
②「長い期間」(申1:46)と「長らく」(申2:1)の違い
③ヘブル語では、ともに「ラブ」である。
④前者は恐らく数週間、後者は38年間である。
(4)訳文の比較
「長らくセイル山の周りを移動していた」(新改訳2017)
「長い間セイルの山地を巡った」(新共同訳)
「日久しくセイル山を行きめぐっていたが、」(口語訳)
「長いことセイル山のあたりをさまよったあげく、 」(リビングバイブル)
①これは、ヨルダン川の東側、セイル山の周辺で遊牧生活をしたということ。
②高地なので、移動するのは容易でない。
③セイルの山地は、エサウの領地である(創36:8)
それでエサウはセイルの山地に住んだ。エサウとは、エドムのことである。
(5)モーセは、セイル山の周りを移動したことに関しては、詳細を記していない。
①それは、意味のない期間、失われた38年間だからであった。
②しかし、神の約束は変わらない。
③神は、イスラエルの新しい世代を約束の地に導かれる。
2.2~3節
【主】は私にこう言われた。
「あなたがたは長い間この山の周りを移動してきたが、北の方に向きを変えよ。
(1)38年後に新しい命令が下った。
①ここでの「長い間」も、ヘブル語の「ラブ」である。
②民は、セイル山の周りを、西に、南に、東に、目的もなくさ迷っていた。
(2)「北の方に向きを変えよ」
①ここから再び、カナンの地に向かう旅が始まる。
②イスラエルの民は、エドムの地の東の境界線を北上して行く。
Ⅱ.エサウの子孫への配慮(2:4~6)
1.4節
民に命じて言え。あなたがたは、セイルに住んでいるエサウの子ら、あなたがたの同族の領土内を通ろうとしている。彼らはあなたがたを恐れるであろう。ただし、あなたがたは十分に注意せよ。
(1)セイルには、エサウの子孫が住んでいた。
①エドム人は、エサウの子孫である。
②イスラエル人は、ヤコブの子孫である。
③両者は、兄弟関係にある。
(2)エドムの地を通過する際に、戦争が起こる危険性があった。
①一番考えられる可能性は、水争いである。
②この地方の年間降雨量は、たった125ミリ(東京は1800ミリ以上)。
③エドム人が大規模な民族移動を恐れるのは、当然のことである。
*イスラエル人の人口は、200万人以上いたと思われる。
(3)神は、エドム人の心を理解して、注意深く行動するように命じた。
①エドムの地の東側を通過し、領土に侵入しないように。
②戦いを仕掛けないように。
2.5節
彼らに戦いを仕掛けてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほどさえも、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイルの山を、彼の所有地として与えたからである。
(1)戦いを仕掛けてはならない理由
①エドムの地は、イスラエルに与えられたものではない。
②セイルの山は、エサウとその子孫に所有地として与えられている。
③神は、すべての民の上に、またすべての領地の上に、主権を持っておられる。
④40年間荒野を放浪してきた民は、すぐにこの命令に従った。
3.6節
食物は彼らから金で買って食べ、水も彼らから金で買って飲まなければならない。
(1)食物と水は、彼らから買う。
①戦争を起こさないためである。
②水を買うとは、井戸を掘る権利も含むと考えられる。
(2)しかしエドム人は、イスラエルがその地を通過することさえ拒否した。
①民20:19~21
イスラエルの子らはエドムに言った。「私たちは大路を上って行きます。私たちと私たちの家畜があなたの水を飲むことがあれば、その代価を払います。歩いて通り過ぎるだけですから、何事でもないでしょう。」
しかし、エドムは、「通ってはならない」と言って、強力な大軍勢を率いて彼らを迎え撃つために出て来た。
こうして、エドムはイスラエルにその領土を通らせることを拒んだので、イスラエルは彼のところから向きを変えた。
Ⅲ.神の守り(2:7~8)
1.7節
事実、あなたの神、【主】はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、【主】はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」
(1)「【主】はあなたのしたすべてのことを祝福し、」
①【主】は、イスラエルの民の「手の業」(新共同訳)を祝福された。
②食糧や水は、必要なときに買うことができた。
③家畜の頭数が増えた(民32:1)。
ルベン族とガド族は、多くの家畜を持っていた。それは、おびただしい数であった。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所は家畜に適した場所であった。
④また、宿営した場所で農業を営み、富を増やしたことであろう。
⑤さらに、荒野で出会うキャラバン隊と交易し、富を増やしたことであろう。
(2)「この四十年の間、あなたの神、【主】はあなたとともにいて、あなたには
何一つ欠けたものがなかった」
①【主】は40年の間、イスラエルの民の旅を見守ってくださった。
②【主】はイスラエルの民とともにおられた。
③イスラエルの民には、何一つ欠けたものがなかった。
④それゆえ、エドムと戦わなくてもよい。
2.8節
それで私たちは、セイルに住むエサウの子孫である私たちの同族から離れ、アラバへの道から離れ、エイラトからも、またエツヨン・ゲベルからも離れて進んで行った。/そして、私たちは向きを変えて、モアブの荒野への道を進んで行った。
(1)イスラエルの民は、エドムの地を通過することを諦めた。
①申2:8(新共同訳)
我々はセイルに住む親族エサウの子孫を離れ、エイラトとエツヨン・ゲベルからアラバを走る道を避けて向きを変え、モアブの荒れ野に通ずる道を通った。
②エドムを通過する道を避け、その東の道を通った。
*エドムの東の道が、「モアブの荒野に通ずる道」である。
*エイラト=エツヨン・ゲベル(アカバ湾の港町)
*エツヨン・ゲベルは後にエイラトと呼ばれるようになる。
③今イスラエルの民は、モアブの野にあってモーセの説教を聞いている。
結論
1.申2:7と詩23:1の対比
(1)申2:7
事実、あなたの神、【主】はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、【主】はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」
(2)詩23:1
【主】は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。
私は乏しいことがありません。
(3)モーセは40年の旅を総括し、「何一つ欠けたものがなかった」と告白する。
(4)詩23篇は、ダビデが晩年になって詠んだ詩篇である。
①ダビデも人生を総括し、「私は乏しいことがありません」と告白する。
(5)神は、贅沢品を与えることはしない。
(6)しかし、生活の必需品は与えてくださる。
(7)ヘブ13:5
金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。
2.エサウに対する約束から学ぶ教訓
(1)創36:6~8
エサウは、その妻たち、息子と娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れて別の地へ行った。
一緒に住むには所有する物が多すぎて、彼らの群れのために寄留していた地は、彼らを支えることができなかったのである。
それでエサウはセイルの山地に住んだ。エサウとは、エドムのことである。
①ヤコブは長子の権利を手に入れ、約束の地を相続する約束を得た。
②エサウは、セイルの山地に移り住んだ。
③神はその地を、エサウとその子孫に与えた。
④この地は岩場で、現在ペトラがある場所である。
⑤イスラエルの民は、この地に侵入することが許されなかった。
(2)使17:26
神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
①神は、それぞれの民のために国境を定めておられる。
②人類が経験してきた戦争は、そのほとんどが領土争いである。
③人類が神の主権に従うなら、平和が訪れる。
(3)イスラエルの民への励まし
①神は、エサウに対する約束をお守りになる。
②それならば、自分たちに与えられた約束は、真実なものである。
③自分たちは契約の民である。
④カナン征服戦争は、道徳的、倫理的性格を宿している。
*カナン人の罪を裁くための戦争である。
*それゆえ、時には「聖戦」と呼ばれる(申7章)。
(4)1テモ6:6~9
しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。
私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。
衣食があれば、それで満足すべきです。
金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。
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