私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q207 疑いを乗り越える方法はありますか。
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こちらはクリスチャンホームに育った方からのご質問です。時々「自分の信仰が間違っていたらどうしよう・・・」と思ってしまうのだそう。信仰というのは、マインドコントロールみたいなもの???
そんな、信仰への疑いの気持ち、どう対処すればいいでしょうか。
207 疑いを乗り越える方法はありますか
Q :僕はクリスチャンホームで育ち、幼い頃から聖書やイエス・キリストの話はとても身近なものでした。しかし時々、未信者の人に「お前はマインドコントロールにかかっている」と言われたことを思い出し、「もし自分が間違ってたらどうしよう」と思ってしまうことがあります。こういう時、どのようにすればいいでしょうか。
A:クリスチャンの中には、このような不安を覚える方がおられると思います。信仰とは何かをもう一度考えてみましょう。このテーマに関して、いつものように3つ申し上げます。
1 番目に、聖書は信頼できる書です。
聖書は、40人前後の人たちが約1500年に渡って書き継いで来た書です。それにも関わらず、聖書には調和と統一性があります。その理由は、聖書の真の著者が神だからです。神は、人間の著者の特徴を活かしながら、彼らを用いて御自身を啓示されました。聖書は、地上に存在するいかなる書とも異なります。
2 番目に、信仰とは決断することです。
聖書は神の自己啓示の書です。聖書には、神のご性質、神がなさった御業、神がこれから為そうとしておられることなどが書かれています。それを読んで、私たちは神がどのようなお方であるかということと、私たち人間が神に背を向けて生きているということを理解します。神は、私たちを招いておられます。信仰とは、神に信頼し、その招きに応答しようと決断することです。人間には、決断する能力が与えられています。
3 番目に、疑うことは罪です。
疑ったり、不安になったりする理由は、この世の声に耳を傾けるからです。聖書を通して語られる神の声とこの世の声は、真っ向から対立します。この世の声に信頼することは、神を偽り者とすることです。それゆえ、疑うことは罪なのです。クリスチャンにとっての罪の解決法が、ヨハネの手紙第一1章9節に書かれています。 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」 。疑いの解決法は、疑いを否定したり、追い出したりすることではなく、罪として告白することです。神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、平安を与えてくださいます。
参考になる聖句
「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」 (1ヨハ1:9)
疑いは、それを罪として告白することによって乗り越えることができます。
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