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使徒の働き(29)―エチオピア人の宦官の救い―
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エチオピア人の救いについて学ぶ。
「エチオピア人の宦官の救い」
使徒8:26~40
1.はじめに
(1)伝道者ピリポの奉仕は、バウンダリーを越える奉仕であった。
①大きなバウンダリーは、サマリヤ人との間にあったものである。
②小さなバウンダリーは、エチオピア人の改宗者との間にあったものである。
(2)福音は、ユダヤ人、サマリヤ人、異邦人へと伝わっていく。
①伝道の主体は、復活のイエスである。
②主イエスは、さまざまな方法と人をお用いになる。
2.アウトライン
(1)天使による導き(26~28節)
(2)聖霊による導き(29~31節)
(3)みことばによる導き(32~35節)
(4)見えない御手による導き(36~40節)
結論
(1)ユダヤ人によるイザヤ書53章の解釈
(2)エチオピア人の宦官の救いの意味
エチオピア人の救いについて学ぶ。
Ⅰ.天使による導き(26~28節)
1.26~27a節
Act8:26 ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)
Act8:27a そこで、彼は立って出かけた。
(1)サマリヤ人伝道に関しては、神からの命令はなかった。
①ピリポが自主的にサマリヤ人に向ってキリストを伝えた。
②ここでは、天使がピリポに命じている(復活のキリストの命令である)。
③本来なら、使徒たちと行動をともにし、サマリヤの村々で伝道したはずである。
④しかし天使は、ピリポに方向転換を命じた。
*実り多い宣教地から、荒野への移動である。
*エルサレムからガザに下る道に出る(約80キロの道)。
*ペリシテ人の古代都市ガザは、前93年に破壊され、前57年に再建された。
*この道路は、ガザの遺跡を通過し、新ガザに至る荒野の道である。
⑤ピリポは、その命令に従順に従った。
2.27b~28節
Act8:27bすると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
Act8:28 いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
(1)ピリポは、同じ方角に向って旅をするエチオピア人の高官を見つけた。
①これはキャラバン隊であり、その真ん中を彼が乗る馬車が動いている。
②エチオピアでは、王は余りにも神聖な存在なので、統治は女王に委ねられた。
*王は、太陽神の息子である。
③カンダケとは、王母のタイトルである(エジプトのパロと同じ)。
④彼は、女王の財産全部を管理していた。
⑤これは、現代のエチオピアではない。
⑥聖書時代のエチオピアは、エジプトの南部とスーダンを含む地域(ヌビア)。
(2)この高官は、宦官であった。
①申23:1は、宦官が【主】の集会に加わることを禁じている。
Deu23:1 こうがんのつぶれた者、陰茎を切り取られた者は、【主】の集会に加わってはならない。
②イザ56:3~5は、千年王国で宦官に与えられる祝福を預言している。
Isa56:3 【主】に連なる外国人は言ってはならない。/「【主】はきっと、私をその民から切り離される」と。/宦官も言ってはならない。/「ああ、私は枯れ木だ」と。
Isa56:4 まことに【主】はこう仰せられる。/「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、
Isa56:5 わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。
(3)ユダヤ教への改宗者
①神を恐れる(敬う)異邦人
*ユダヤ教の神を礼拝する異邦人
②門の改宗者(proselyteofthegate)
*ユダヤ教のある戒律を実行する異邦人(割礼を除く)
③改宗者
*全面的にユダヤ教に改宗した異邦人
(5)ルカは、この高官がどのレベルの改宗者であるかは述べていない。
①恐らく、②か③であろう。
②彼は、最初に救われた異邦人ではない。使徒の働きの流れと矛盾する。
③また、最初に救われた改宗者でもない。
Act6:5 この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
④ペテロのペンテコステメッセージを改宗者たちが聞いていた(使2:10~11)。
⑤彼は、礼拝のためにエルサレムに上り、いま帰る途中であった。
*3つの巡礼祭があるが、恐らく、過越の祭りであろう。
(5)彼は、馬車に乗ってイザヤ書の巻物を読んでいた。
①馬車に乗っていただけで、金持ちであることが分かる。馬車には御者がいた。
②この巻物は、エルサレムに上った記念に買ったのであろう。
③彼が声に出して読んでいたのは、ギリシア語訳のイザヤ書であった。
Ⅱ.聖霊による導き(29~31節)
1.29~30節
Act8:29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。
Act8:30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。
(1)ここでは、聖霊からの語りかけがあった。
①聖霊は、人格である。「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」
(2)ピリポは、その語りかけに直ちに従った。
①走り寄った。
②ギリシア語に翻訳されたイザヤ書53章を大声で読んでいるのが聞こえた。
③「あなたは、読んでいることが、わかりますか」
*分かる。「ギノウスコウ」
*読む。「アナギノウスコウ」
2.31節
Act8:31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
(1)これこそ真の求道者の言葉である。
①自分が助けを必要としていることを認めている。
②人種的偏見は一切ない。
③謙遜になって助けを求めている。
Ⅲ.みことばによる導き(32~35節)
1.32~33節
Act8:32 彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。/「ほふり場に連れて行かれる羊のように、/また、黙々として/毛を刈る者の前に立つ小羊のように、/彼は口を開かなかった。
Act8:33 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。/彼の時代のことを、だれが話すことができようか。/彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
(1)イザヤ書53:7~8
①受難のしもべの箇所(イザ52:13~53:12)
②この高官は、旧約聖書の中で最も明白なメシア預言を読んでいた。
2.34節
Act8:34 宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
(1)宦官の質問は、非常に重要なものである。
①この預言が、ある人物に関するものであることを理解していた。
②その人物とは、イザヤなのか、だれかほかの人か。
3.35節
Act8:35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
(1)ピリポは、旧約聖書を用いて個人伝道を行った。
①イザヤは、メシアについて預言している。
②イザヤが預言した受難のしもべは、イエスである。
③過越の祭りを祝った直後の彼にとっては、有意義なメッセージであった。
Ⅳ.見えない御手の導き(36~40節)
1.36節
Act8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
(1)これは、神の摂理による導きである。
①荒野の道を進んでいくうちに、水のある所に来た。
②これは荒野に流れるワジである。
③ワジに水が流れるのは、過越の祭りの季節である。
(2)「私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか」
①彼は、ユダヤ教に改宗した際に、ミクヴェで洗礼を受けた。
*水から上がった瞬間、新しいアイデンティティを得た。
*彼はもはや異邦人ではなく、ユダヤ人と見なされた。
②今彼は、イスラエルのメシアを信じた証しとして洗礼を受けようとしている。
*ミクヴェでなく、荒野のワジで。
(3)37節は、後代の付加である。
Act8:37 〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕(口語訳)
2.38~39節
Act8:38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
Act8:39 水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
(1)この洗礼は、浸礼である。
①ユダヤ教の洗礼は、浸礼しかない。
(2)聖霊がピリポを連れ去ったで、彼は奇跡的にその姿を消した。
①ハルパゾウという動詞。
②携挙を示す動詞。
1Th4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
③ハルパゾウ→ラプツロ(ラテン語)→ラップチャア
④宦官は、喜びながら帰って行った。
3.40節
Act8:40 それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。
(1)聖霊は、ピリポをさらに30キロ北に運んだ。
①旧約時代、アゾトはアシュドデと呼ばれた。
(2)それからピリポは、さらに80キロ歩いてカイザリヤに行った。
①途中の町々で、福音を宣べ伝えた。
②カイザリヤが彼の居住地となった。
結論
1.ユダヤ人によるイザヤ書53章の解釈
(1)古代のラビたちは、イザ53章はメシア預言であるとの意見で一致していた。
(2)初期の教会の見解も、これを同じであった。
(3)11世紀の有名なラビであるラシが新説を紹介した。
①イザ53章の受難のしもべとは、イスラエル民族である。
②恐らく、クリスチャンがこの預言を伝道に使うことに反発したのであろう。
③現代のユダヤ教では、イザ52~54章は会堂での朗読箇所から除外されている。
(4)現代のラビたちの多数意見は、イスラエル民族説である。
(5)しかし、メシア説を支持する少数のラビたちもいる。
(6)イエスは、この預言を自分に適用された。
Luk22:37 あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」
(7)イザヤ書53章は、ユダヤ人伝道の最強の武器である。
2.エチオピア人の宦官の救いの意味
(1)エチオピア人の宦官の救いは、サマリヤ人の救いとサウロの回心の間に来る。
(2)これは、サマリヤ人と異邦人の間のバウンダリーの深さを示している。
(3)当時ユダヤ人たちは、エチオピアは南の方にある地の果てだと考えられていた。
①ローマは、西の方にある地の果てだと考えられていた。
(4)エチオピア人の救いは、異邦人の救いと地の果てまで届く伝道を予感させるも
のである。
終わりに:きょうからハーベストフォーラム東京は12年目に入る。
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