私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.139 日曜日に働くことは罪でしょうか。
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質問者様は、会社から日曜日に出勤が必要な部署への異動を打診されているそうです。日曜日に働くことについて、聖書はなんと教えているでしょうか。
そもそも礼拝は絶対に日曜日でないといけないのでしょうか。
多種多様な働き方をしている現代の私たちにとって、興味深い質問ですね。どうぞ解説をご覧ください。
Q. 質問
Q:先日上司から、私がとても興味のある、やってみたいお仕事の部署への異動を勧められました。チャレンジだし、とてもチャンスだと思うのですが、週末は必ず仕事で、日曜日に教会に行けなくなります。日曜日に働くことは罪でしょうか。せっかくのチャンスを断るべきでしょうか。神様はどういう決断を望まれるのでしょうか。
A. 回答
A:この方は、重大な人生の岐路に立っておられるように感じます。具体的にどうすべきかは、ご自分で決断されることだと思います。私は、「日曜日に働くことは罪でしょうか」という部分に関して、お答えします。このテーマに関して、聖書が教えていることを、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、旧約聖書の時代、安息日は土曜日でした。
今でも、土曜日に礼拝すべきだと主張する方がいますが、それは間違っています。土曜日を安息日とせよいう命令は、モーセの律法の一部です。イエス・キリストが十字架について以降は、モーセの律法は無効になり、恵みの時代に入りました。従って、新約時代に生きる私たちがモーセの律法に束縛される理由は、なにもありません。さらに言えば、安息日の命令は、「この日に労働を休め」ということであって、「この日に礼拝をせよ」ということではありません。モーセの律法によれば、礼拝は、年に3度の巡礼祭の時に、エルサレムで捧げるものです。
2番目に、安息日は今も土曜日であって、日曜日に移ったことはありません。
安息日は、今も週の7日目です。日曜日は、今も週の初めの日です。恵みの時代においては、安息日を守ることは、義務ではなくなりました。使徒の働きの中に安息日という言葉が9回出てきますが、すべてユダヤ教の会堂での礼拝に関する箇所で、教会での礼拝ではありません。
3番目に、日曜日に信者が集うという習慣は、紀元1世紀にすでに成立していました。
それは、日曜日にキリストが復活したからであり、日曜日に教会が誕生したからです。しかし、ユダヤ人信者たちは、ユダヤ人の習慣を守り、安息日にも神殿や会堂に集っていました。日曜礼拝は、初代教会から始まった習慣ですが、それは命令ではありません。新約聖書の教えは、定期的に集うということです。定期的にというのですから、少なくとも週に1回は集って礼拝するということでしょう(ヘブル10:25参照)。
以上のことをまとめると、新約聖書は、曜日と時間を指定せずに、定期的に集うことだけを命じているということになります。従って、日曜日以外の日でも礼拝ができるような方策を講じることが、現代社会を生き抜く信徒たちへの励ましになると思います。
参考になる聖句
「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」(ヘブル10:25)
新約聖書は、定期的に集って礼拝することだけを命じています。
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